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貴方と居たい

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「これで良いのでしょうか?……閻魔様はいったい何をお考えに……」

 美鈴は現在進行形で悩んでいた。
 それは何故か、否、先ほどの発言でわかる様に閻魔が発端だ。
 じゃあよろしく、その言葉と謎の薬を混ぜたお菓子を残して閻魔は美鈴から去っていった。
 美鈴は閻魔のことだから危険な薬ではないと思ってはいるが、不安だった。

「美鈴ちゃん、閻魔様の言うことは絶対ですよ」

「地獄では閻魔に逆らえる奴はいないからな」

 小夜子と冥王は、美鈴に憐れみを感じながら閻魔が寄越して来たお菓子を手に取る。
 それを見た美鈴は二人を止めようとするが、二人はお菓子を食べずにニヤリと笑った。

「冥王様……ふふっ」

「これは面白いことになりそうだ」

 そんな物騒な昼時の会話。
 昼飯から一番早くに帰って、このお菓子を食べる者は誰か?
 小夜子と冥王は、想像するだけで顔の緩みが取れなかった。


 ~~~~


「はぁ……まだ仕事……」

「おかえり、陽。我の作った菓子でも食べて元気出せ」

「ああ、有り難く頂くとするよ」

 そう言って昼飯から帰って来た陽に冥王は、あの薬入りのお菓子を差し出す。
 自分が作ったと爽やかに嘘をついて、陽の警戒を解いてお菓子を食べさせ様としているのだ。
 まあ、陽は最初から警戒してはいないが。

「では、いただきます」

 ぱくり

 陽が、そのお菓子を食べたことを美鈴は確認して慌てる。
 小夜子と冥王は相変わらずにやけ顔だが。

「美味い……!?」

 ぼふんと音が鳴って、陽を白い煙が包む。
 彼は煙の中で噎せながら、目の前が見える様にと、手で煙を払いのける。

「何だ!?……っ!これは!?」

 陽は自分の華奢になった体に驚きを隠せないでいた。


 ~~~~


「御影兄さん、食べるの遅いです。おかげで陽が私を置いて行ったではありませんか」

「すまん……」

「殺、陽に愛想尽かされたんじゃない?」

「ああ?」

「怒るなら私に!」

 そんなことは如何でも良いですよと殺は人殺し課の扉の前で地を這う様な声で言う。
 何てことない会話を四人は重ねていって、殺は扉に手をかける。

「さあ、仕事ですよ」

 そう言って扉を開けた先には見慣れない様で見慣れた眼鏡をかけた女が居た。

「あ……や」

 女は高い声が恥ずかしかったのか、下を向く。
 肩まで伸びた艶めいた黒髪、ぱっちり開かれた紫の瞳、胸は美乳といったところだろうか?
 しなやかな体は無駄なものなど何もない。
 女子の平均身長より少し高い背丈は、モデルを連想させる。そして服はいつも見ている死神のもので、背格好があってない。

「誰だ?人殺し課に何か用があんのか?」

 サトリは女を覗き込む。
 心まで覗き込む。
 そして驚愕をした。

「おまっ!?え!?は?!」

「如何したのですの?サトリ様?」

「よう!よう!」

「だから用があって来たのですわよね?」

「違う!!」

 サトリは、何があってこんなことになったのか……、と考えるしかなかった。
 サトリは恋人の彼奴なら気づくか?などと考え、殺を見上げる。
 サトリはまた目を疑った。

 殺が鼻血を垂らして固まっている。

 サトリは異様な光景に少し身を竦めながらも、殺はわかっているのだと判断した。
 だから必死で殺を起こす。

「おい!殺!」

「……はっ!陽!」

 殺は陽と叫ぶと目の前の女を抱き締める。
 それを見てMと御影は何が起こったのかと謎を抱えたままで居た。
 すると冥王は、ある一言を言う。

「性転換の薬」

「は?」

 Mは冥王に訊き返す。
 それに対し、冥王は笑顔でまた答えた。

「だから、陽が性転換したのだ。あれは陽だ」

「……はぁぁぁぁぁぁ!?」
「……はぁぁぁぁぁぁ!?」

 漸く状況を理解したMと御影は叫び声をあげた。
 御影は驚愕しているが、Mは歓喜を孕んでいた。

「何ですの!?その美味しい展開は!誰がやったのです?!」

「えっと……閻魔様が……」

「ナイス!!!」

 Mはまた雄叫びをあげる。
 そんな様子を見て女は……陽は怒りの声を出した。

「何で僕がこんなことにならなければならないんだ!?戻るんだよな!?」

「さあ?」

「小夜子姫!適当な返事はやめていただきたい!」

 こうやってぎゃーぎゃーと叫んではいるが、顔は見えない。
 何故なら殺の体にすっぽりと収まっているからだ。
 陽の顔が見えるのは殺だけだ。
 殺も陽を独占していると満足感に溢れ、幸せそうである。

「怒った顔もやはり可愛らしい!」

「かわいっ!?な……何を……」

 陽は可愛いと言われたことで照れたのか最初の勢いを失っている。
 普段なら、かっこいいと言われたらご機嫌な陽が、今では可愛いと言われたら少し喜んでいる。
 これも性転換したから、感覚が変わってしまったのか?

「陽!可愛いです!嗚呼、ずっとこうしていたい!」

「馬鹿……」

 陽はさりげなく殺の背中に手をまわしている。
 殺はそれが嬉しくて、抱き締める腕の力を強めた。
 力は強めるが、壊れない様に。
 優しく彼は抱き締める。
 そんな二人の微笑ましい光景を見て、冥王はぼそりと呟く。

「もう女のままで良いのでは?」

 その一言を聞いて、陽は再び覚醒する。
 恋人との甘い時間はいつでも味わえる、だから甘い時間より緊急事態を重んじた。
 そう、男に戻れるか如何か、を。

「女の姿は嫌だ!僕は男だ!」

 陽が冥王に怒りをぶつける。
 すると冥王は陽を殺から引き剥がして、部屋の隅っこに連れていき、小さな声で呟いた。

「女でいれば、殺の子を孕める。彼奴を永遠に縛れるのだぞ?」

「……え?」

 話に反応を示した陽を見て、冥王はニヤリと笑った。

「彼奴は子を孕むのが夢だったろう?彼奴は子が欲しいんだ。もう心が男な今、彼奴は子を孕める女を選ぶかもしれない。今がチャンスだ」

「……」

 陽は下を向く。
 それは冥王の言葉が本当になるかもしれないと思ったからだ。
 殺は時々だが、こっそりグラビア雑誌を見ている。
 彼の家に行った時、従者がエッチな雑誌を見つけたと自分に話した。
 これは殺が女にも興味がある証拠。
 そして、殺は子を望んでいる。
 ならば、子が産めない自分は用無しなのでは?

 陽はあらゆることを考えて思い悩む。
 考え性な彼は一瞬で大きな不安に見舞われた。
 そんな陽を見て冥王は囁く。
 可愛い子を、と。

「そろそろ、冥王様でも許せませんよ。私の陽を奪うのは」

 殺は笑って冥王の首根っこを掴む。
 笑ってはいるが目が冷たい。
 氷河期ってこんな感じなのだなと錯覚してしまう。

「もう我は用は済んだ。後は貴様たちが何とかしろ」

「ええ、わかってますよ。少し惜しいですが、陽を元の姿に戻さねば」

 元の姿に、その言葉を聞いて陽は無意識の内に殺の狩衣の袖を掴んだ。

「陽?」

「も……う少し、この姿で」

 泣きそうな声に殺は何も言えなくなる。
 そして殺は冥王を睨んだ。
 だが冥王はどこ吹く風である。

「……今日はこのままで仕事をしましょう」

「賛成ですわ!殺様!」

 Mは元気良く賛成と挙手をする。
 そして自分の机へ向かう際にMは陽に小さな声で囁いた。

「今、自分がすべきことを」

「!?」

 陽は固まる。
 冥王とMの言葉を知らない者たちは陽が固まったことに不思議そうにしていた。
 只一人を除いては。

「楽しそうですね」

 小夜子は笑う。
 其の日は夕方までギクシャクした空気が流れたまま仕事を終わらせた。

 ~~~~


「ただいま帰りました」

「おかえりなさい、陽」

「姉様、何故わかるのですか?」

「勘」

 陽は太陽が沈んでから少しした時間に己の家に帰っていた。
 姉の凪は陽の変化を何とも思わず、スナック菓子を只管貪り食べていた。
 思ったことといえば可愛い妹に変化したな、程度である。

「……」

「……?如何したの?いつもならご飯前にお菓子を食べてはいけないって怒るじゃない」

「わかっているなら食べるのを止めてください」

「嫌よ」

 凪は舌を出してスナック菓子を抱き締める。
 これで陽が怒るだろうと考えてのことだ。
 だが陽は怒るどころか黙ったままだ。
 それを見かねた凪は陽の腕を引っ張る。

「姉様!?」

「今から私とお風呂タイムよ。女の体は貴方にはまだ早いわ」

 そう言って凪は陽をお風呂場へと連れて行った。


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「くすぐったいです!姉様!あははは!」

「じっとしてなさい!……やっぱりこちょこちょー!」

「あははは!」

 お風呂場で姉弟は体を洗う。
 弟の方は今は事情が事情なので、目隠しをされて姉に体の隅々まで洗われていた。
 弟は姉のくすぐり攻撃に負けて笑っては息を乱している。

「……ふふっ、やっぱり貴方は笑っている方が良いわ」

「姉様?」

 陽は凪の言葉に耳を傾ける。
 すると凪は優しい声音で陽に語りかけた。

「仕事場で何か言われたのでしょう?貴方は人の言葉全てを取り入れる。だから悩む。でもね、貴方は貴方なの。取り入れる言葉を選ぶのは貴方なのよ。貴方は自分の信じているものを信じて。他人に信じたものを奪われないように」

「姉様……」

「さあ、洗い終わったから、お風呂から出るわよ」

「はい!」

 陽は姉の言葉を聞いて思った。
 自分の信じたものを奪われてはならないと。
 自分が信じた者は自分を信じて大切にしてくれていると。
 だから確かめなければならない。
 信じている者の解答を。
 自分の解答と合っているかと。


 ~~~~


 朝の早い時間に人殺し課の部屋の扉の前に陽は立つ。
 この時間には彼しか居ない筈。
 うちの馬鹿共は早起きが苦手なんだと笑いながら。
 そうして扉を開ける。

「おはようございます、陽。今日は早いですね」

「殺……」

「陽?……!?」

 陽は一瞬で殺の前まで飛べば、殺の袖を後ろに引っ張って倒れさせる。
 そして殺の上に馬乗りになり、彼を逃さない様にした。

「朝から随分、情熱的ですね」

「馬鹿言うな。頭打っただろ?痛くないか?」

「大丈夫です」

 そうか……、そう呟いて陽は本題を切り出す。

「お前、女の僕の方が良いか?この姿だと子が孕めるし……お前は子が欲しかっただろ?」

 陽は自分の解答と殺の解答が同じか如何かで不安になる。
 不安になって震え、涙目になっていた。
 もう雫を溢しそうな紫の瞳は電気の光を灯しながら歪む。
 息が上手く出来ない。
 呼吸とは何だったかと酸素が足りない脳で考える。

 だが答えなど出ない。

 ありふれた普通が出来なくなるほどの不安に押し潰される。
 そんな陽の様子を殺はわかって、陽の頬に手を伸ばした。

「女の貴方も素敵ですが、私はいつもの貴方の方が良いです。それに私は貴方を戻すつもりでしたし。……貴方が私の性別を気にしなかったように、私も貴方の性別がとか、子が孕めるか孕めないか如何とかで別れるとかは決めませんよ。寧ろ永遠に貴方と居たいです」

 殺の答えを聞いた陽は震えが一気に止まった。
 それは殺の解答を聞いて、胸のつっかえが取れたからか。
 殺と自分の解答は一言一句同じとはいかないが、結論は一致していた。

 殺は子で縛らなくても自分の側に居てくれる。
 それがわかり、その次に陽は悪戯心が湧いた。

「でもグラビア雑誌とか……従者がエッチな雑誌を隠していると言っていたが?」

「な!?……それはサトリ兄さんに押し付けられて……」

「本当か?」

「本当です!」

「そうか……くくっ」

 陽は静かに笑う。
 殺はグラビア雑誌を読んでいることがバレたことにより羞恥に襲われていた。
 だが殺はそれを如何でも良いと急いで判断し、陽に重大なことを話す。

「男に戻る方法、閻魔大王から聞いてきました」

「何だと!?早く言え!」

 陽は殺の胸倉を掴んで揺らす。
 殺は陽に落ち着く様にと言って、方法を話す。

「好きな者と接吻すれば良いらしいです」

「……は?」

 陽は少しだけ固まる。
 そして殺の言葉を理解したら陽は羞恥を覚えた。

「はぁぁぁぁぁぁ!??」

「しないのですか?!するのですか?!」

「……する」

「よっしゃ!」

 殺は一人盛り上がる。
 そんな殺をよそに陽は己の唇を殺の唇に合わせ様とした。
 だが恥ずかしくて出来ない。
 そう思っていたら殺の顔が近づき、リップ音が鳴る。

 唇に柔らかいものが、それは紛れもなく殺の唇だった。
 唇が合わさる。
 二人は幸せな時間に酔いしれながら目を閉じる。

「戻りましたね」

「ああ」

 陽の少し低い声が部屋の中に響く。
 陽は女の自分も悪くなかった、そう考えれば笑いが止まらなかった。


 ~~~~


「戻ったのですわね」

「陽に胸を揉ましてもらうつもりだったのにー」

「女子の陽も良かったのう」

 人殺し課に後から集まった三人は残念そうにする。
 だがMだけはすぐに機嫌が良くなり、陽にまた囁く。

「愛されてますわね」

「……ああ」

 それだけの会話を交わして、お互いの仕事机に向かう。
 さあ、新たな一日の始まりだ。
 今度こそいつも通り。
 地獄の様な一日だ。
 それでも働く、時々巻き起こる奇妙な出来事を楽しみにして。

 奇怪な一日は日常の始まり。


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