続・最後の男

深冬 芽以

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1 心の距離

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 突然、すごい力で俺を押し退け、彩は身体を捻らせ、俺に背を向けた。

「なんだよ」

「かかと! ガサガサしてて……」

「は?」

「お風呂の後でクリーム塗るの、忘れた……から」

「……ふ――っ……」

 思わず、吹き出してしまった。

 他の女はどうか知らないが、彩は時々、すごくくだらないことを気にする。

「どーせ! くだらないって思ってるんでしょ!」

「くくくっ――!!」

 腹が痛い。

 さっきまでの重い空気が、俺の笑いに吹き飛ばされる。

「仕方ないじゃない! 冬は乾燥するんだから!」

「なんも……言ってないだろ」

 笑い過ぎて涙が出る。

「もうっ!」

 彩が口を尖らせて、布団をばふっと叩いた。

 こうやって、他の奴には見せない一面を見せてくれると、安心する。こんな時は、彩が気持ちを許してくれていると思えるから。

「クリームは?」

「え?」

「持って来いよ」

「……」

「塗った方がいいんだろ?」

 クリームは寝室ここにあった。着替えやなんかと一緒に。

 彩はバッグからクリームを取り出し、ベッドに腰かけた。俺に背を向けて。

 膝の上に片足をのせ、クリームの蓋を開ける。俺はそのクリームを、彩の手から取り上げた。

「ちょっ――」

 背後から肩をグイッと引き寄せると、彩はごろんとベッドに仰向けになった。俺は彼女の足首を掴み、引き寄せた。俺の胡坐の上に、彼女の足を置く。

「なに?」

「塗ってやるよ」

 俺はクリームを人差し指ですくい、反対の掌にのせた。手をこすり合わせて、クリームをのばし、その手で彩の足を撫でる。

 彩が上半身を起こした。

「自分でやるからっ!」

「いいから」

「よくない!」

 俺は彩に構わず、足にクリームをのばしていく。確かにかかとが少しガサガサしている。もう一度指でクリームをすくい、今度は直接足に置いた。集中的に、かかとにのばす。

「智也!」

「女は大変だな」

 なんだか、楽しい。

 初めての経験だからかもしれない。

 こんな風に、女を世話するようなこと、したことはない。

 俺はもう片方の足にもクリームを塗った。

「……けど、年齢感じてヘコむのは女だけじゃないぞ?」

「智也でも凹むこと、ある?」

「あるぞ? 抜け毛とか、下っ腹とか、白髪とか」

「白髪?」

「そ。あそこの毛に白髪を見つけて、めっちゃ凹んだ」

「……」

 彩が無言で俺の顔を見て、それから、笑った。

「笑い事じゃねーよ! 誰かに見られるわけでもないのに、めちゃくちゃ凹んだし」

「あはははは――っ!!」

 こうして馬鹿言って笑っていると、忘れられる。

 けれど、確かに俺と彩の心には距離がある。

 彩は一年も冨田との関係を聞けずにいた。

 俺はそれに苛立ったけれど、俺にも彩に聞けないことがある。

 正月、姉さんに聞かれた。

『いつ結婚するの?』

 俺は答えた。

『釧路にいる間は、ないかな』

 嘘じゃない。

 俺が釧路にいる状態で結婚すれば、彩と子供たちの生活を大きく変えてしまう。それは、俺の望むところではない。

 確かにそう思う。が、実際は、言い訳半分。

 半分は、怖いんだ。

 彩の気持ちを聞くのが、怖い。

 俺はクリームの蓋を閉めた。

 まだ乾かない彼女の足に息を吹きかける。

「これからは、ちゃんと言えよ」

「え?」

「思ってること」

「……うん」

 自分のことを棚に上げて、と思った。

 俺は彩に聞けない。



 彩が望む未来に、『結婚』の文字はあるか――?



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