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10 全力で謝罪
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しおりを挟むそもそも、今回の出張の目的である工場への挨拶には、函館支社の人間が同行するはずだった。それが、どこで聞きつけたのか、益井がしゃしゃり出て来た。
彩にどう話そうかと考えているうちに、益井が話してしまった。
俺は、出張の同行者が益井だと聞いて、生まれて初めて、仕事に行きたくない、と思った。
益井との一件があった直後でさえ、思わなかった。むしろ、益井を見返してやろうと躍起になった。若かった、というか、自棄になっていた、というか。
とにかく、仮病でも何でも使って、誰かに出張を代わってもらおうかとさえ思った。
が、出来るはずもなく。俺は鉛のように重く感じる身体に鞭打って、函館まで来た。
ところが、益井に再会しても、驚くほど何も感じなかった。
過去の怒りや嫌悪を思い出すこともなかった。
俺にとって、益井環という女は、過去、だった。
『久し振りね、溝口君』
彩の言った通り、彼女の髪は短かった。けれど、それをどうとも思わなかった。長い髪を懐かしむことも、今の短い髪を新鮮だと感じることもなかった。
ただ、彼女に『溝口君』なんて呼ばれたことがなかったから、違和感を持っただけだ。だから、感じたそのままを口にした。
『気持ち悪り』
『私もよ』
そう言って口角を上げた彼女が、見ず知らずの人間にすら思えた。
工場に挨拶に行き、仮契約を結び、空港に向かおうと乗ったタクシーの行き先を、益井が勝手に函館支社に変えた。渋々、支社に顔を出し、飲み会に誘われ、渋々、付き合った。
そこでようやく、思い出した。
益井と付き合っていた頃も、よく、こうして振り回された。
明日の朝一の便に変更して、一次会だけ付き合って、益井の案内で駅近くのビジネスホテルにチェックインした。俺は八階、益井は五階の部屋で、どちらも一番安いシングルルーム。
益井に『お疲れ』とだけ言って、部屋に入り、十分ほどでドアベルが鳴った。
『スマホ、間違えちゃった』と、酒に頬を赤らめた益井が顔の前でスマホを振って見せた。
『いつもと違う着信音に驚いて、落としちゃった』
俺は自分のだと思ってベッドに放り投げたスマホを取り、益井に渡した。
『智也……』
手が触れて、益井が伸びをして俺にもたれかかって来た時、彼女のスマホが、ジリリリリッ! と黒電話のベルの音を鳴らした。
俺はスマホを交換し、ドアを閉めた。
着信履歴を見て、彩にかけ直した。
で、今に至る。
眠れる気がしなかったが、ベッドに入ると自然と瞼が下りてきた。酒のせいだ。が、眠って酒を抜いておかないと、それこそ彩に話も聞いてもらえない。
俺は瞼の意思に従った。
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