続・最後の男

深冬 芽以

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16 俺を変えた女

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「さっ……き、益井課長に言われたの……」と、彩が声を震わせながら言った。

「『子供が二人もいて、ブヨブヨの身体して、職場で年下の男引っ掛けるなんて、四十過ぎたババアが色惚けてんな』って……。本当のこと言われて……キレちゃった」

 手を伸ばして、彩の手首を掴み、引き寄せた。脚の間に彼女の身体を差し込み、逃げられないよう腰に腕を回す。見上げると、涙が目尻から零れる瞬間だった。

「引っ掛かった覚えはないけどな」

 ぐすっと、彩が鼻をすする。

「俺が、お前に惚れたんだ。バツイチで、子供が二人もいて、年上で、ブヨブヨっつーかぷにぷに? した女に」

「フォローになってない!」と、彩が両手でぺちっと俺の頬を挟んだ。

「それでも、好きなんだよ」

 彼女の頬から顎へと伝った雫が、俺の頬に滴る。

「俺がお前より年上で、離婚歴があったりして、別れた嫁んとこに子供でもいて、お前以上に下っ腹が出てて、ついでに髪が薄かったりしたら、お前が嫌味を言われることも、負い目を感じることもないんだろうけどさ」

 そこまで言うと、彩がフフッと笑った。その拍子に、大粒の雫が、今度は真っ直ぐ俺の唇に降ってきた。しょっぱい。

「でも、もしそうだったら、俺たちが出会うことすらなかったかもしれないだろ」

 結局、周囲に何を言われても、俺が今の俺で、彩が今の彩でなければ、出会うことも、愛し合うこともなかった。俺が益井に裏切られ、彩に離婚歴がなければ、すれ違うことすらなかったかもしれない。そう考えたら、俺たちを取り巻く全ての事象は、俺たちが出会うために必要なことだったわけで。感謝こそすれ、悔やむことはない。

「益井の言ったこと、半分は当たってるな」

「え?」

「益井に裏切られて仕事人間になった俺を、彩が変えたんだ」

「それは……良かった……の?」

「ああ。俺は、今の自分を気に入ってるよ」

 顎を上げて首を伸ばすと、当然のように彩が前屈みになって、唇が触れた。

 こういう時、しっくりくるな、と思う。

 彩が俺の下唇を咥え、ペロリと舐める。だが、俺が唇を開くと、あっさりと唇が離れた。ほんの少し顎を上げたら触れる距離。

「次に名前で呼んだら、噛みついてやる」

 まだ少し目に涙を溜め、彩は俺を睨みつけた。が、いつものように恐怖で背筋が伸びるような威力はなく、どちらかと言えば、素直に嫉妬を言葉にしてくれて嬉しかった。

「次、はねぇよ」

 勢いよく立ち上がると、椅子がひっくり返り、彩は仰け反った。それでも、腰に回した腕を解かずに、今度は俺が彩にキスを落とした。

 よろけた彼女を机に押し付けると、腰かける格好になった。更に、グイッと身体を押し付けると、椅子同様にひっくり返りそうになった彩が、俺の首にしがみついた。

「とも――っ」

 俺は舌をねじ込み、彼女の舌を絡め取った。温かくて、柔らかくて、気を抜くと勃ってしまいそうだ。

 昨日は、キスしなかった。

 だからどうということではないが、したかった。

 その分、しておきたかった。

「戻りたくねぇな」

 叶わぬ願望を口にした。

 弱音を言えるのも、子供染みたわがままを言えるのも、彩だから。

「言っとくけどな、愛想尽かされないか不安なのは、俺も同じなんだからな」

「智也……が?」

「お前、俺がいなくても逞しく生きられそうだろ。実際、独りで真と亮を育ててきたんだし。それに、見切り付けたら問答無用で捨てられそうだし」

 だから、彩に甘えられると嬉しい。

 必要とされている気になれるから。役に立っていると、自信を持てるから。

「意外……」と、彩が呟いた。

「昔はこんなんじゃなかったのにな」

 そう言うと、彩は口を尖らせた。

「私のせいってこと?」

 俺は彼女の唇に吸い付き、わざとジュウッと音を立てた。

「そうだよ。お前と付き合って変わったんだ」

 まだ薄っすらと目尻に浮かぶ雫を、唇で吸い取る。

「だから、責任とってそばにいろ」

 尤もらしく、偉そうに、縋る想いで願いを口にした。
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