楽園 ~きみのいる場所~

深冬 芽以

文字の大きさ
25 / 182
3.許し

しおりを挟む
 三十分ほど経っただろうか。

 楽が和室から顔を出した。

「掃除、終わりました」

「ありがとう」

「手を、合わせてもいいですか?」

「え? ああ、うん」

 少し、ばつが悪くなった。

 俺は手を合わせていない。

 母さんが死んでから、一度も。

 楽が薄い茶色のコップのようなものに水を汲んで、和室に運んだ。コップ、なのだろう。仏壇で乾ききって埃をかぶっていたに違いない。

 チーンと、リンの音。

 リン、という名前だけは知っていた。

 いたずらをしてリンを叩く子供の俺に、ばあちゃんがよく言っていた。「リンをおもちゃにしていると、仏さんが怒って出てくるよ」と。

 ばあちゃんの言う『仏さん』が、うちで言うと会ったことのないじいちゃんだと母さんに聞いて、俺はチン、チンと鳴らし続けたのを覚えている。

 父親は無理でも、じいちゃんになら会えるかもしれないと、子供心に期待したのだ。

「お花、買って来ますね」

 楽が和室から顔を覗かせ、言った。

「お祖母様とお母様が好きだったお菓子とか果物、わかりますか?」

「……敬語、やだ」

 二人のことを思い出すと、今も苛立つ。

『悠久には、父親のことを知る権利があるんだから』

 亡くなる直前、ばあちゃんは母さんに言った。

『いつまでも、悠久をこの家に閉じ込めていてはいけないよ』

 俺がこの家を出て行く羽目になった元凶は、ばあちゃんだ。

 ばあちゃんがあんなことを言わなければ、母さんが俺を父親に渡したりしなかったはずだ。

「悠久さん?」

 楽が、ソファの、俺の足元に跪く。

「お仏壇に上げるお菓子は何がいい……?」

 楽の穏やかな表情を見たら、脳裏にばあちゃんと母さんの姿が浮かんだ。

 いつも俺が学校から帰ると、二人でドラマの再放送を見ながらお茶を飲んでいた。

「ばあちゃんはかりんとうが好きだった」

 歯を悪くして硬いかりんとうを噛み砕けなくなったばあちゃんは、いつもかりんとうを咥えて舐めていた。

「お母様は?」

「……バタークッキー」

 俺はよく「二人していっつも同じもんばっか食って」と呆れていた。

「悠久さんの好きなお菓子は?」

「……芋けんぴ」

 笑われるの覚悟で、言った。

 もっとも、好きでよく食べていたのはばあちゃんが生きていた頃までで、もう十年くらい食べていない。

「買って来るね」

 楽は笑わなかった。

 萌花なら絶対、笑う。「なにそれ?」とか言って、鼻で笑う。

 楽は立ち上がり、エプロンを外した。

「今日のご飯は何がいいですか?」

 ちょうど俺の目線でエプロンを丸める彼女の手を、握った。ギュッとはいかなかったが、今の俺の精一杯の力で、握った。

「……楽は何が好き?」

「私……は……」

 彼女の手を、見ていた。

 見上げる勇気は、ない。

「胡桃ゆべしが好きです」

 俺の方が笑ってしまった。

「俺ら、渋過ぎじゃね?」

「本当ですね」と、楽も笑った。

「全部、買って来てくんない?」

「え?」

「かりんとうとバタークッキーと、芋けんぴと胡桃ゆべし。一緒に、食べよう」

「……はい」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく… なお、スピンオフもございます。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

清掃員と僕の密やかな情状

MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。 青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。 肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。 44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。

処理中です...