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3.許し
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三十分ほど経っただろうか。
楽が和室から顔を出した。
「掃除、終わりました」
「ありがとう」
「手を、合わせてもいいですか?」
「え? ああ、うん」
少し、ばつが悪くなった。
俺は手を合わせていない。
母さんが死んでから、一度も。
楽が薄い茶色のコップのようなものに水を汲んで、和室に運んだ。コップ、なのだろう。仏壇で乾ききって埃をかぶっていたに違いない。
チーンと、リンの音。
リン、という名前だけは知っていた。
いたずらをしてリンを叩く子供の俺に、ばあちゃんがよく言っていた。「リンをおもちゃにしていると、仏さんが怒って出てくるよ」と。
ばあちゃんの言う『仏さん』が、うちで言うと会ったことのないじいちゃんだと母さんに聞いて、俺はチン、チンと鳴らし続けたのを覚えている。
父親は無理でも、じいちゃんになら会えるかもしれないと、子供心に期待したのだ。
「お花、買って来ますね」
楽が和室から顔を覗かせ、言った。
「お祖母様とお母様が好きだったお菓子とか果物、わかりますか?」
「……敬語、やだ」
二人のことを思い出すと、今も苛立つ。
『悠久には、父親のことを知る権利があるんだから』
亡くなる直前、ばあちゃんは母さんに言った。
『いつまでも、悠久をこの家に閉じ込めていてはいけないよ』
俺がこの家を出て行く羽目になった元凶は、ばあちゃんだ。
ばあちゃんがあんなことを言わなければ、母さんが俺を父親に渡したりしなかったはずだ。
「悠久さん?」
楽が、ソファの、俺の足元に跪く。
「お仏壇に上げるお菓子は何がいい……?」
楽の穏やかな表情を見たら、脳裏にばあちゃんと母さんの姿が浮かんだ。
いつも俺が学校から帰ると、二人でドラマの再放送を見ながらお茶を飲んでいた。
「ばあちゃんはかりんとうが好きだった」
歯を悪くして硬いかりんとうを噛み砕けなくなったばあちゃんは、いつもかりんとうを咥えて舐めていた。
「お母様は?」
「……バタークッキー」
俺はよく「二人していっつも同じもんばっか食って」と呆れていた。
「悠久さんの好きなお菓子は?」
「……芋けんぴ」
笑われるの覚悟で、言った。
もっとも、好きでよく食べていたのはばあちゃんが生きていた頃までで、もう十年くらい食べていない。
「買って来るね」
楽は笑わなかった。
萌花なら絶対、笑う。「なにそれ?」とか言って、鼻で笑う。
楽は立ち上がり、エプロンを外した。
「今日のご飯は何がいいですか?」
ちょうど俺の目線でエプロンを丸める彼女の手を、握った。ギュッとはいかなかったが、今の俺の精一杯の力で、握った。
「……楽は何が好き?」
「私……は……」
彼女の手を、見ていた。
見上げる勇気は、ない。
「胡桃ゆべしが好きです」
俺の方が笑ってしまった。
「俺ら、渋過ぎじゃね?」
「本当ですね」と、楽も笑った。
「全部、買って来てくんない?」
「え?」
「かりんとうとバタークッキーと、芋けんぴと胡桃ゆべし。一緒に、食べよう」
「……はい」
楽が和室から顔を出した。
「掃除、終わりました」
「ありがとう」
「手を、合わせてもいいですか?」
「え? ああ、うん」
少し、ばつが悪くなった。
俺は手を合わせていない。
母さんが死んでから、一度も。
楽が薄い茶色のコップのようなものに水を汲んで、和室に運んだ。コップ、なのだろう。仏壇で乾ききって埃をかぶっていたに違いない。
チーンと、リンの音。
リン、という名前だけは知っていた。
いたずらをしてリンを叩く子供の俺に、ばあちゃんがよく言っていた。「リンをおもちゃにしていると、仏さんが怒って出てくるよ」と。
ばあちゃんの言う『仏さん』が、うちで言うと会ったことのないじいちゃんだと母さんに聞いて、俺はチン、チンと鳴らし続けたのを覚えている。
父親は無理でも、じいちゃんになら会えるかもしれないと、子供心に期待したのだ。
「お花、買って来ますね」
楽が和室から顔を覗かせ、言った。
「お祖母様とお母様が好きだったお菓子とか果物、わかりますか?」
「……敬語、やだ」
二人のことを思い出すと、今も苛立つ。
『悠久には、父親のことを知る権利があるんだから』
亡くなる直前、ばあちゃんは母さんに言った。
『いつまでも、悠久をこの家に閉じ込めていてはいけないよ』
俺がこの家を出て行く羽目になった元凶は、ばあちゃんだ。
ばあちゃんがあんなことを言わなければ、母さんが俺を父親に渡したりしなかったはずだ。
「悠久さん?」
楽が、ソファの、俺の足元に跪く。
「お仏壇に上げるお菓子は何がいい……?」
楽の穏やかな表情を見たら、脳裏にばあちゃんと母さんの姿が浮かんだ。
いつも俺が学校から帰ると、二人でドラマの再放送を見ながらお茶を飲んでいた。
「ばあちゃんはかりんとうが好きだった」
歯を悪くして硬いかりんとうを噛み砕けなくなったばあちゃんは、いつもかりんとうを咥えて舐めていた。
「お母様は?」
「……バタークッキー」
俺はよく「二人していっつも同じもんばっか食って」と呆れていた。
「悠久さんの好きなお菓子は?」
「……芋けんぴ」
笑われるの覚悟で、言った。
もっとも、好きでよく食べていたのはばあちゃんが生きていた頃までで、もう十年くらい食べていない。
「買って来るね」
楽は笑わなかった。
萌花なら絶対、笑う。「なにそれ?」とか言って、鼻で笑う。
楽は立ち上がり、エプロンを外した。
「今日のご飯は何がいいですか?」
ちょうど俺の目線でエプロンを丸める彼女の手を、握った。ギュッとはいかなかったが、今の俺の精一杯の力で、握った。
「……楽は何が好き?」
「私……は……」
彼女の手を、見ていた。
見上げる勇気は、ない。
「胡桃ゆべしが好きです」
俺の方が笑ってしまった。
「俺ら、渋過ぎじゃね?」
「本当ですね」と、楽も笑った。
「全部、買って来てくんない?」
「え?」
「かりんとうとバタークッキーと、芋けんぴと胡桃ゆべし。一緒に、食べよう」
「……はい」
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