共犯者 ~報酬はお前~

深冬 芽以

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第十五章 吐露

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 逃げられた。

 帰ったらちゃんと話そう、と言ったのに。

 馨は、俺より三十分は早く会社を出たはずなのに、帰っていなかった。

 逃亡先はすぐにわかった。

「馨の荷物を取りに来ました」

 平内がインターホン越しに言った。

 俺はドアを開けた。

「俺は馨を取りに行きたいんだけど」

「落ち着いたら取りに来てもらいます」

 平内はなぜか、少し楽しそうに見えた。

 俺は馨の部屋に案内し、コーヒーを淹れた。

 荷物をまとめ終えた彼女は、当然のように椅子に座った。馨の場所。

「いただきます」

「話し合うつもりだったんだけど」

「みたいですね。けど、馨には気持ちを落ち着ける準備が必要みたいです」

「馨から聞いたのか?」

「これからです」

 平内の落ち着き払った態度が、やけに気に障る。

「で? お前はなんでそんなに楽しそうなんだ?」

「そう見えますか?」

「だから、聞いてる」

 ふふっと笑い、カップを置いた。

「馨、高津さんとは喧嘩したことがなかったんですよ」

「え?」

「驚きですよね。四年も付き合っていたのに、喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかったんでって」



 元彼とは四年もつきあっていたのか……。



「仲がいいって言えばそれまでですけど、それにしたって不思議だなと思ってたんです。馨は優しいから、我慢してるんじゃないかって心配だった時もあったし。だけど、馨が部長と喧嘩して帰りたくないって動揺するのを見て、ちょっと安心しました」

「親友の痴話喧嘩で安心するなよ」

「すみません。でも、元彼とはしなかった喧嘩をするくらい、部長には気を許してるってことでしょう?」



 物は言いようだな。



 馨にとって、俺は元彼以上だと言われたようで、少し嬉しくなる。

「そういうことなので、当分馨をお預かりします」

「ああ……」

「部長、一ついいことを教えてあげますから、いい子で待っていてください」

 話を終えると、平内はコーヒーの礼を言って帰って行った。

 俺は、今すぐに馨を迎えに行きたい気持ちを募らせるばかりだった。

 馨と暮らし始めて二週間。

 たった二週間なのに、この家に一人でいることが寂しい。



 重症だな……。



『無理だよ、結婚なんて――』

 眠れずにいると、馨の言葉を思い出した。

『本物じゃなくても、隠し事はイヤ』

『春日野さんも、黛ですら知っているのに』



 やっぱ……両親おやのことだよな……。



 他人の口から知る前に、ちゃんと話しておかなかったことを悔やみつつ、この期に及んでも知られたくなかったと思う。

 知れば、馨は結婚を拒むだろう。

 卑怯なのはわかっているが、出来るなら隠したまま結婚してしまいたかった。

 そんなことをしたら両親も怒るだろうけれど、どうでもいい。

 俺は両親の地盤を継いで国会議員になるつもりなんてない。

 けれど、俺が実の親の跡を継がずに立波リゾートの社長になることを、馨は良しとしないだろう。

 いくら俺の意思だと言っても、負い目を感じるはずだ。

 そのうち、今日みたいに感情的になることもなくなってしまうんじゃないか。

『元彼とはしなかった喧嘩をするくらい、部長には気を許してるってことでしょう?』

 平内の言葉を思い出し、思わずニヤける。



 元彼は、あんな風にいじけたり怒ったりする馨を知らない……ってことだよな。



 思えば、俺も女相手にあんなにムキになったことはなかった。

 喧嘩になるほど踏み込んだ付き合いをしてこなかった。だから、くだらないことでいじける馨を可愛いと思う反面、煩わしいと思った。

 それを見抜かれたんだろう。



 まさか、結婚をやめるとまで言い出すとは……。



 一時間以上、悶々と考えを巡らせた挙句、俺は馨の枕に顔を埋めて眠った。
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