26 / 191
4.差し伸べられた手
4
しおりを挟む「端の席でいい?」
「はい」
端のふた席に向けて手を伸ばした店員が、わずかに腰を折る。
峰濱さんが一番端の椅子の背後に立ち、背もたれに手をかけた。
男の人に椅子を引いてもらうのは初めてだ、と思いながら私は椅子の前に立ち、ゆっくりと腰を下ろした。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
彼が隣に座ると、店員がメニューを差し出した。が、峰濱さんがそれを断った。
「任せてもらっていいかな」
「はい」
遠い半円の向こう側では、私と同じくらいの年のカップルが顔をメニューを見て考え込んでいる。
お冷を持って来てくれた店員に気を取られているうちに、峰濱さんに注文を聞いていた店員はいなくなっていた。
察するに、メニューを見た私が値段を気にしないようにという配慮だろう。
隠されると気になるんだけど……。
人二人分くらい向こうの窓から見える街並みを眺めながら、帰ったらネットで見てみよう、と思う。
「仕事忙しいの?」
「え?」
夜景から視線を外して首を回すと、峰濱さんが頬杖をついて私を見ていた。
「仕事、大変?」
「あ……はい」
「人事部か……。人を見る目が養われる?」
「……どうでしょう。会社が作成した人事評価シートを埋めるだけなら、誰でもできますから。それに――」
せっかくの食事の場だ。
楽しい話題と楽しい食事の方がいい。
私は脳裏に浮かんだ慶太朗と蜂谷さんの顔を、見なかったことにした。
「――峰濱さんの会社ではあります? 人事評価制度」
すごく無理やりに話題を振る。
空気を読める大人なら、その意味をわかってくれる。わかってほしい。
「あるにはあるよ」
峰濱さんがそう言ったタイミングで、店員がシャンパンとグラスを運んできた。
「まずは乾杯しよう。口に合わなければ、二杯目は好きなのを注文して」
「峰濱さんが――」
「――美空さん」
「はい?」
彼が私をじっと見て、少しだけ考えて、微笑んだ。
「いや。あ、乾杯しよう」
店員がシャンパンを注いだ細くて長いグラスを私と彼の前に置く。
私は彼が何か言いたげなことに気づきながら、言わないのなら聞かないのが、空気が読める大人だろうと、言われるがままにグラスを持った。
峰濱さんもグラスを持ち、軽いグラスを気遣いながら乾杯する。
フルーティーな甘い香りと、爽やかな喉ごしのシャンパンは飲みやすい。
気をつけないと、飲み過ぎちゃいそう……。
「キャビアとサーモン、アボガドのブリニでございます」
ブリニ……?
キャビア……!?
目の前に置かれた、高級感のある陶器の仕切り皿をマジマジと見てしまう。
クラッカーサイズのパンケーキのような生地の上に、おそらくクリームチーズが塗られ、その上に黒光りした小さな粒が盛られている。
隣には、こちらもまた艶々と輝くサーモン。
そのお隣には、青々とした輝きのアボガド。
「キャビア、苦手だったりしない?」
キャビアを見つめる私の表情からどう思ったのか、峰濱さんが聞いた。
いえ、と答えるだけでいい。
なのに、初めて足を踏み入れ、この先の人生で二度と足を踏み入れることがないかもしれない異世界のようなお店の雰囲気と、友人の結婚式でクラッカーにのった、何粒かを数えられる程度のキャビアしか食べたことのない私は、落ち着きを失くしていた。
「苦手だと思うほどキャビアを食べたことがありません」
34
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
優しい彼
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
私の彼は優しい。
……うん、優しいのだ。
王子様のように優しげな風貌。
社内では王子様で通っている。
風貌だけじゃなく、性格も優しいから。
私にだって、いつも優しい。
男とふたりで飲みに行くっていっても、「行っておいで」だし。
私に怒ったことなんて一度もない。
でもその優しさは。
……無関心の裏返しじゃないのかな。
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
甘い束縛
はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。
※小説家なろうサイト様にも載せています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる