愛が全てじゃないけれど

深冬 芽以

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4.差し伸べられた手

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「端の席でいい?」

「はい」

 端のふた席に向けて手を伸ばした店員が、わずかに腰を折る。

 峰濱さんが一番端の椅子の背後に立ち、背もたれに手をかけた。

 男の人に椅子を引いてもらうのは初めてだ、と思いながら私は椅子の前に立ち、ゆっくりと腰を下ろした。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 彼が隣に座ると、店員がメニューを差し出した。が、峰濱さんがそれを断った。

「任せてもらっていいかな」

「はい」

 遠い半円の向こう側では、私と同じくらいの年のカップルが顔をメニューを見て考え込んでいる。

 お冷を持って来てくれた店員に気を取られているうちに、峰濱さんに注文を聞いていた店員はいなくなっていた。

 察するに、メニューを見た私が値段を気にしないようにという配慮だろう。


 隠されると気になるんだけど……。


 人二人分くらい向こうの窓から見える街並みを眺めながら、帰ったらネットで見てみよう、と思う。

「仕事忙しいの?」

「え?」

 夜景から視線を外して首を回すと、峰濱さんが頬杖をついて私を見ていた。

「仕事、大変?」

「あ……はい」

「人事部か……。人を見る目が養われる?」

「……どうでしょう。会社が作成した人事評価シートを埋めるだけなら、誰でもできますから。それに――」

 せっかくの食事の場だ。

 楽しい話題と楽しい食事の方がいい。

 私は脳裏に浮かんだ慶太朗と蜂谷さんの顔を、見なかったことにした。

「――峰濱さんの会社ではあります? 人事評価制度」

 すごく無理やりに話題を振る。

 空気を読める大人なら、その意味をわかってくれる。わかってほしい。

「あるにはあるよ」

 峰濱さんがそう言ったタイミングで、店員がシャンパンとグラスを運んできた。

「まずは乾杯しよう。口に合わなければ、二杯目は好きなのを注文して」

「峰濱さんが――」

「――美空さん」

「はい?」

 彼が私をじっと見て、少しだけ考えて、微笑んだ。

「いや。あ、乾杯しよう」

 店員がシャンパンを注いだ細くて長いグラスを私と彼の前に置く。

 私は彼が何か言いたげなことに気づきながら、言わないのなら聞かないのが、空気が読める大人だろうと、言われるがままにグラスを持った。

 峰濱さんもグラスを持ち、軽いグラスを気遣いながら乾杯する。

 フルーティーな甘い香りと、爽やかな喉ごしのシャンパンは飲みやすい。


 気をつけないと、飲み過ぎちゃいそう……。


「キャビアとサーモン、アボガドのブリニでございます」


 ブリニ……?

 キャビア……!?


 目の前に置かれた、高級感のある陶器の仕切り皿をマジマジと見てしまう。

 クラッカーサイズのパンケーキのような生地の上に、おそらくクリームチーズが塗られ、その上に黒光りした小さな粒が盛られている。

 隣には、こちらもまた艶々と輝くサーモン。

 そのお隣には、青々とした輝きのアボガド。

「キャビア、苦手だったりしない?」

 キャビアを見つめる私の表情からどう思ったのか、峰濱さんが聞いた。

 いえ、と答えるだけでいい。

 なのに、初めて足を踏み入れ、この先の人生で二度と足を踏み入れることがないかもしれない異世界のようなお店の雰囲気と、友人の結婚式でクラッカーにのった、何粒かを数えられる程度のキャビアしか食べたことのない私は、落ち着きを失くしていた。

「苦手だと思うほどキャビアを食べたことがありません」
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