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5.縮まる距離
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「美空さん?」
「いいんですか? 今の女性」
「秘書なんだ。会食に同席していて送っていくところで」
「そうですか」
「たまたま俺が飲まなかったからそうしただけで、いつもは別々にタクシーで帰ってるし、大丈夫」
私でも気づいた、彼女の気持ち。
成悟さんは気づいていないのだろうか。
これが神海さんなら、奈都は問答無用でネクタイを引き抜いてるわね。
「行こう。送るよ」
成悟さんが私の腕からショップバッグを引き抜く。
「あ!」と思わず声をあげてしまった。
「うん?」
「割れ物が入っているんです。なので私が――」
「――気をつけるよ」
そう言った彼が私に背を向ける。
身軽になった私は、彼の背を追う。
荷物を後部座席に載せた成悟さんが、助手席のドアを開けてくれて、私は素直に乗り込んだ。
ふわりとスパイシーでありながら甘さも含む香りが鼻につく。
あの秘書の香水だろう。
香水はつけず、せいぜい気に入ったハンドクリームを首筋に少し塗るくらいの私には、少し不快な香り。
「食事はした?」
運転席に戻った彼が、シートベルトを締めながら聞く。
返事を迷う。が、素直に答えた。
「いえ」
「何が食べたい?」
「え? でも――」
成悟さんは食べ終えている。
「――とりあえず行こう」
彼がハザードランプを消し、車を発進させる。
ゆっくりとスピードを上げ、私が乗るはずだった列車とすれ違う。
「今日はごめん」
前を見たまま、彼が言う。
私も前を見たまま、答えた。
「いいんです。こうして会えたから」
「会えなかったら、怒ってた?」
「怒っては……」
なんとなくそれ以上は言いにくくて、ドアの窓に目を向ける。
信号で停まると同時に、膝の上の手が大きくて温かな彼の手に包まれた。
「会えて良かった」
「私も」
成悟さんの人差し指がクイッと曲げられて、私の指の付け根をくすぐる。
深い意味はないのかもしれない。
なのに、私は彼の指先の熱を意識し、加速する鼓動が成悟さんに聞こえないか心配になる。
信号が変わり、彼の熱が離れ、少しホッとし、かなりガッカリした。
手が触れただけで、ドキドキしすぎでしょ。
経験値の低さが嫌になる。
「鍋でも食べに行こうか」
「え?」
「寒かったろう?」
私が彼の手を温かいと感じたということは、成悟さんは私の手を冷たいと思ったはず。
確かに外を歩いていたし、最近は風が冷たくなった。
「温かいものを食べよう」
今はさっきよりもかなり体温が上昇しているなどとは言えず、私は「いいですね」なんて澄まして答えた。
成悟さんが連れて行ってくれた古風な一軒家に見える店は、引き戸に『小鍋亭』と書かれた暖簾がかかっていた。
彼は常連らしく、カウンターの向こうのご夫婦と挨拶を交わす。
ラーメン屋のような店内に客はおらず、私たちはカウンターの中央に座った。
メニューにはたくさんの種類の鍋の写真が載っていて、どれも一人分か二人分かを選べる。
それ以上の人数分は要相談だそう。
「どんな鍋が好き?」
私はメニューを見つめ、悩み、成悟さんに「お勧めはどれですか?」と聞いた。
「いいんですか? 今の女性」
「秘書なんだ。会食に同席していて送っていくところで」
「そうですか」
「たまたま俺が飲まなかったからそうしただけで、いつもは別々にタクシーで帰ってるし、大丈夫」
私でも気づいた、彼女の気持ち。
成悟さんは気づいていないのだろうか。
これが神海さんなら、奈都は問答無用でネクタイを引き抜いてるわね。
「行こう。送るよ」
成悟さんが私の腕からショップバッグを引き抜く。
「あ!」と思わず声をあげてしまった。
「うん?」
「割れ物が入っているんです。なので私が――」
「――気をつけるよ」
そう言った彼が私に背を向ける。
身軽になった私は、彼の背を追う。
荷物を後部座席に載せた成悟さんが、助手席のドアを開けてくれて、私は素直に乗り込んだ。
ふわりとスパイシーでありながら甘さも含む香りが鼻につく。
あの秘書の香水だろう。
香水はつけず、せいぜい気に入ったハンドクリームを首筋に少し塗るくらいの私には、少し不快な香り。
「食事はした?」
運転席に戻った彼が、シートベルトを締めながら聞く。
返事を迷う。が、素直に答えた。
「いえ」
「何が食べたい?」
「え? でも――」
成悟さんは食べ終えている。
「――とりあえず行こう」
彼がハザードランプを消し、車を発進させる。
ゆっくりとスピードを上げ、私が乗るはずだった列車とすれ違う。
「今日はごめん」
前を見たまま、彼が言う。
私も前を見たまま、答えた。
「いいんです。こうして会えたから」
「会えなかったら、怒ってた?」
「怒っては……」
なんとなくそれ以上は言いにくくて、ドアの窓に目を向ける。
信号で停まると同時に、膝の上の手が大きくて温かな彼の手に包まれた。
「会えて良かった」
「私も」
成悟さんの人差し指がクイッと曲げられて、私の指の付け根をくすぐる。
深い意味はないのかもしれない。
なのに、私は彼の指先の熱を意識し、加速する鼓動が成悟さんに聞こえないか心配になる。
信号が変わり、彼の熱が離れ、少しホッとし、かなりガッカリした。
手が触れただけで、ドキドキしすぎでしょ。
経験値の低さが嫌になる。
「鍋でも食べに行こうか」
「え?」
「寒かったろう?」
私が彼の手を温かいと感じたということは、成悟さんは私の手を冷たいと思ったはず。
確かに外を歩いていたし、最近は風が冷たくなった。
「温かいものを食べよう」
今はさっきよりもかなり体温が上昇しているなどとは言えず、私は「いいですね」なんて澄まして答えた。
成悟さんが連れて行ってくれた古風な一軒家に見える店は、引き戸に『小鍋亭』と書かれた暖簾がかかっていた。
彼は常連らしく、カウンターの向こうのご夫婦と挨拶を交わす。
ラーメン屋のような店内に客はおらず、私たちはカウンターの中央に座った。
メニューにはたくさんの種類の鍋の写真が載っていて、どれも一人分か二人分かを選べる。
それ以上の人数分は要相談だそう。
「どんな鍋が好き?」
私はメニューを見つめ、悩み、成悟さんに「お勧めはどれですか?」と聞いた。
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