愛が全てじゃないけれど

深冬 芽以

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13.消したい過去

 細く長い指が、成悟の腕に触れる。

「や――」

 思わず声を上げそうになった時、成悟が持っていた引き出物を持ち替えた。

 自然な流れで彼女の手を払った彼が、一歩後退る。

「裕典にお祝いと、また連絡するからと伝えてください」

 そう言って軽く頭を下げると、成悟は友人らに「じゃあ、またな」と言い、もう一度瑛子さんを見て「さよなら」と告げて背を向けた。

 振り返らずに正面玄関を目指す成悟は、私の位置からはもう見えないけれど、瑛子さんがじっと、おそらく彼の背中を見ている姿は見えた。

 自分には言ってもらえなかった『また』を、彼女はどう感じたのだろう。

 自分にだけ言われた『さよなら』に、彼女は何を思っただろう。

 そして、成悟は今、どんな想いでいるのだろう。

 このままカフェを出て彼女たちの前に姿を見せる気にはなれず、私は正面玄関とは違う向きのカフェの出口に視線を向けた。

 そこに、スマホがメッセージを受信する。

〈ホテルに戻ってる? 早く会いたい。引き出物、スイーツセットらしいから一緒に食べよう〉

 涙が出そうだった。

 瑛子さんに別れを告げた後で、私を想ってくれた。

 それが、たまらなく嬉しかった。

〈私もあい――〉

 メッセージを入力している時、瑛子さんの声が聞こえた。

「あ! 私、裕典から成悟に伝言を頼まれてたんだわ」

 スマホから顔を上げた時には、数秒前まで視界にいた彼女はもういなくて。

 けれど、確かにそこにいたことを示すように、カッカッカッとヒールの音が響いている。

「あ、俺帰る前にトイレ行って来るわ」

 誰かが言った。

「俺も」

「それ、持っててやるよ」

「サンキュ」

 そんな会話と共に、成悟の友人たちの視線がトイレに向く。

 だから、カフェを飛び出した私には気づかなかっただろう。

 良かった。

 いつか、成悟の恋人として紹介された時に、『あの時、全速力でホテルを出て行った女だ』なんて覚えていられたら恥ずかしすぎるから。

 とにかく、私は成悟と瑛子さんの後を追った。

 成悟にバレても構わない。

 勢いよくホテルを出ると、右手にタクシー乗り場があり、数台が客を待っていた。

 左手には大型バスが停まっている。

 成悟も瑛子さんも姿が見えない。

 成悟が、追いかけてきた瑛子さんを無視してタクシーに乗ったとは思えない。

 ならば、と私はバスの横を突っ切って、ホテルの玄関前から続く歩道を走った。

 が、すぐに足を止めることになる。

 ホテルの建物の脇、業務用駐車スペースのそばにいる二人を見つけたから。

 自分でも驚くほどの瞬発力で、建物の影に隠れた。

 そして、隠れてから、なぜ隠れたのかと不思議に思う。

 これでは、盗み聞きだ。

 そしてそれは、成悟を信じていないことになる。

 風になびいた髪を手櫛で整えて、深呼吸を数回した後で、今来たかのように出て行こう。

 そう思ったのに、深呼吸ができなかった。

 正確には、吸っただけで吐くのを忘れた。

「俺は会いたくなかった」

 成悟の低い声に、吐くはずの酸素を飲み込んでしまった。

「でも、裕典の結婚式だ。あなたに会いに来たんじゃない」

「あの日のことを怒っているの? メッセージをブロックして、引っ越しまでするほど?」

 さっきの、弟の友人たちの前での余裕のある声色とは違い、縋るような甘ったるい声に吐き気がする。

 きっと、成悟は私以上だろう。

「もう、怒ってない。怒っていることも忘れた。あなたのことは、あなたとのことはもう二度と思い出したくない。俺の中から消したい過去だ!」
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