2 / 56
一
第二話
しおりを挟む止まない雨はないと言うが、中学二年生になれば転機が訪れた。瑞樹の描いた絵が学校で表彰されたのだ。 日頃の『芸術活動』が功を奏したのだろう。
目立ちたがらぬ本人にとっては、不愉快なだけであったが、意に反して母は大いに喜んだ。
「良かった。本当に良かったね、瑞樹」
中学校の授業で描いた絵が表彰された子供に対するその賞賛の仕方は、一般家庭と比較すれば、度を越えている。瑞樹の両肩に熱めに手を置き、ゆらゆらと揺らした。
久し振りに間近で見るその表情は、少し窶れていた。口をギュッと噤み、泣かぬよう堪えている。
その潤ませた涙の向こうに、近頃の様子が思い出された。
父親の仏壇を前に、眠る姿を見かけていた。傷が癒えないのは瑞樹だけではない。明るく振舞おうが、暗く振舞おうが、心がその傷を癒す時間は、変わらない。
自分が父親の代わりになる。
明朗快活で、太陽のように照らしてくれた人。今度は自分がその役を担わなければ、と必死だった。
母もやる、そして父もやる。
『きっと大丈夫』
その言葉を信じて。
癌で死ぬ人間、そして死なれる人間を、職業柄幾度となく見届けて来た。誰よりも熟知していた筈なのに、何故気づけなかったのか。私がいながら、何故あの人をこんなにも早く逝かせてしまったのかと、自責の念に駆られた。
日増しに衰えるその様子から、時の迫りを予感した。
「どうしよう。どうすればいいのかわからない、わからないよ……」
溢れ出る悲しみと恐怖を抑え切れず、病床に縋りつく。肩に触れる手の感触が、とても温かい。
「きっと大丈夫。大丈夫だよ」
子供を諭すように囁かれる声が心地良く、どこか調べのようで落ち着いた。
『お父さん、あの子を守ってください。どうか、お願いします』
こうして仏壇を前に手を合わせることが、日課になっていた。そっと目を閉じると、傍にいてくれているような気がした。
だがその祈りとは裏腹に、息子は遠く離れ、暗闇の底まで落ちていく。
あの日以来、口を利かなくなった。そこにあるのは怒りではなく『無』。それまでのあの子は、跡形もなく消えてしまった。生きる人形も同然の姿に、胸を締め付けられる。
大切な我が子を不幸にしてしまったのは自分のせいだと、己を憎んだ。憎んで憎んで、その先に待っていたのは、失意。父親になることはできない、という厳しい現実を突き付けられるのだった。
学校で良からぬことが起きている。それは十分に察していた。自信を失った自分に何ができる。焦りばかりが押し寄せるが、心を閉ざし続ける息子に、どう接していいのかわからない。怒りに任せてぶつかって来られた方が、まだ対処の仕様があるのだが。それでも下手に動くことはできない。凶と出れば、より息子を苦しめてしまう。これ以上あの子を傷つけることは許されない。
考えろ、考えるんだ。
夫の遺影に向かい、絞り出した案について、『作戦会議』をした。そしてそのまま眠りに落ちることもあった。
背中にはブランケットが掛けられていた。優しい子。父の血がしっかりと受け継がれている。あんな良い子が、どうしてこんな目に遭わなければならない。神などやはり、いないのか。そんな時に舞い込んだ吉報であるからこそ、人一倍嬉しかったのだ。
そこに希望を感じた。きっとこれから、全てがうまくいく。お父さんがこうして見守ってくれているから、などと期待が膨らんだ。
一方で息子は、無のままであった。母が喜ぶ様子を認めると、すぐ部屋に戻ってしまう。頼りない母親で本当にごめん、と閉められたドアに向かって、投げかけた。
表彰状を手に、一体どんな絵を描いたのか、と思考を巡らせた。瑞樹は一切教えていなかった。
あの時の教室は、真面目に取り組む生徒などおらず、雑談に花を咲かせていた。テーブルには色とりどりの果実が盛られ、その周りを取り囲んで座る様子が物珍しいのか、皆興奮気味であった。
そんな喧騒の中にそっと佇むひとつの林檎。自然とそれに惹き付けられた。
手慣れた黒塗りの背景、そこに真っ赤な林檎はとても象徴的で、どこか不気味さをも漂わせる。背後にある額縁の中には、半分に切られたその中身が描かれていた。
それは林檎の背後を映し出す鏡。暗がりの中に浮き出るその林檎の表と裏。
部屋に戻った瑞樹は丸められた画用紙を開き、じっと眺めた。視線の先にあるのは、額内に描かれた林檎の中身。種に見える部分は全て虫だった。中心から外を抉るかの如くその黒い芋虫は果肉を蝕んでいたのである。
中二の作品としては意味深く、鑑賞者をゾッとさせるものがあった。
瑞樹はそのまま紙を、グチャッと握り潰した。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
鷹鷲高校執事科
三石成
青春
経済社会が崩壊した後に、貴族制度が生まれた近未来。
東京都内に広大な敷地を持つ全寮制の鷹鷲高校には、貴族の子息が所属する帝王科と、そんな貴族に仕える、優秀な執事を育成するための執事科が設立されている。
物語の中心となるのは、鷹鷲高校男子部の三年生。
各々に悩みや望みを抱えた彼らは、高校三年生という貴重な一年間で、学校の行事や事件を通して、生涯の主人と執事を見つけていく。
表紙イラスト:燈実 黙(@off_the_lamp)
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる