神の居る島〜逃げた女子大生は見えないものを信じない〜

(旧32)光延ミトジ

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20XX/07/13(水)

a.m.10:02「眠っている間の出来事」

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 最後に、こんなに泣いたのはいつだろう。

 母が亡くなった悲しみを分かち合い、共に号泣した月島姉弟は、診療所の医師である鷲頭が来るまで泣きやむことはなかった。泣きすぎて火照った身体に、医者は冷たい水を処方してくれる。

 グラスの水を飲み干したのち、一風はサーモンピンクの病衣からTシャツとハーフパンツに着替えた。ベッドには戻らない。大部屋の病室を出て、八雲に支えられながら診療所の屋上へ向かった。

 建付けの悪いドアを開け、コンクリートの屋上へ出る。診療所がある場所は少し小高くなっており、集落の向こうに海が見えた。夏の太陽が眩しい上、思っていたよりも風が強い。一風は髪を抑えながら目を細めた。

 屋上の物干し竿で洗濯物がたなびいている。フェンスの傍に背もたれのないベンチがひとつあり、一風と八雲は並んで腰かけた。まだ朝だが、じわじわ汗が滲んできそうなほど気温が高い。ここに長時間座っていることはできないだろう。

「――葬式は、おれがしたけん……」

 先に口を開いたのは八雲だった。

「勝手にして、ごめん。姉ちゃんも、出たかったろ?」
「それはそうだけど……まあ、夏だからね。しかたないよ。わたしがいつ起きるか分からなかったんでしょう?」
「ん……」
「綺麗な姿のまま、お葬式あげてやりたいし……ありがとう。喪主も、してくれて。全部任せっきりにして、ごめんね」
「……上手くできたか、分からんけど……それに、お礼も、ごめんもいらん。大寿さんと、島長が手伝ってくれて、おれは……ほとんど、立っとっただけだもん……」

 弟はそう言うが、十八歳の青年が母の喪主として立つことが、どれだけ大変かは予想がつく。精神的にも辛かっただろう。身内に――姉の一風に支えて欲しい、引っ張って欲しいと思っていたのかもしれない。

 一風は弟の大きな背中に触れて、トントンと軽く叩いた。

 言葉はない。

 八雲は、少し黙って――それから、一風が眠っている間のことをポツポツと、少しずつ話してくれた。

 月島八雲が目覚めたのは、海へ飛び込んだ日の朝のことだ。診療所のベッドで目を覚ました時、傍らに二匹の魚と、二匹の龍を見たらしい。ずっと傍にいた自分の魚――ディ二号とディ三号という名前だそうだ――と、母の龍が佇んでいた。

 金の龍と銀の龍は、八雲の目覚めと共に窓から飛び出し、そのまま天へ昇っていったという。蛇の目に魅入られ意識が沈んでいた時も、いつも傍に銀の気を感じていたと、八雲は言った。母の龍が自分を助けてくれたのだと――そして、龍の力によって呪いに対抗していた月島彩乃は、龍を失い、命を落としたのだと――

「――まだ、話しても、いいと?」
「何が?」
「姉ちゃん、嫌いやん。こういうの……」

 口を尖らせる弟に、一風は肩を竦める。

「嫌いだけど、いいよ」
「なんで?」
「八雲の声を聞くの、久しぶりだから」
「っ、んなの、おかしかって……だって、姉ちゃん島を出てから、電話もめったにせんかったし、そん時のほうが、話さんかった時間長かったじゃん……」
「そうだね。変だね。でも、そうなんだからしかたないでしょ」

 元気だと思っている相手から連絡がないのと、目の前で動かなくなった相手と会話ができないのとでは、心配の度合いが違う。ベッドに横たわる八雲の姿を思い出し、一風はそのビジョンを振り払うためにゆっくりまばたきをした。

「なんなん、それ……わけ分からん……」

 彼は鼻が詰まったような、震える声で言い、服の襟を引っ張って目元を拭う。

 そして、涙が出たのを誤魔化すように話を続けた。

 八雲が目覚めた時、一連の事件は解決していたそうだ。港での一風と夏目弥生の会話を録音したレコーダーを、診療所へ運ばれた一風が所持していたことで――

「待って。レコーダー?」
「うん。鷲頭先生が姉ちゃんが持ってるのを見つけたって」
「え……」

 そんなものを所持していた記憶はない。

 鬼石堂安に連れ出された時、持ち出す暇などなかった。そもそもボイスレコーダー自体を持っておらず、明らかに第三者が置いて行ったとしか思えない。もっとも、八雲の顔から察するに、他の人たちはレコーダーの持ち主が一風だと思っているようだが……。

 鷲頭はその夜、蛇の形(なり)をした式神に襲われ、意識を失っていた。しかし診療所のドアを激しく叩く音で目が覚め、入口に置き去りにされていた、月島姉弟を発見。治療にあたったそうだ。

 そこで発見したレコーダーの内容を聞いた鷲頭は、蛇に襲われた記憶がハッキリあったこともあり、即座に、古くからの付き合いがある島長の興梠に相談した。そしてふたりの老人は観伏寺を訪ね、夏目大寿に事の次第を話したのだ。

 夏目大寿の対応は早かった。

 夜が明ける前に現場の港へ行き、そこで気を失っている夏目弥生を発見。寺に連れ帰ったという。そして事の次第を問い質し、愛すべき島民を傷つけたことは決して許せないと、離婚をつきつけた。弥生は抵抗したが、最後には離婚届に判を押し、寺の座敷牢で本渡からの船を待ったあと、二日後に島を去った――。

「鬼石堂安と、百花台雲仙は?」
「港にはおらんかったって」
「島の、中には?」
「みんなで探したけど、見つからんかった」
「じゃあ、消えたってこと?」
「……かもしれん。レコーダーで言いよった、港に泊まっとった船が、なくなっとったみたいだけん……」

 逃げ足が早い。

 協力者だった夏目弥生を切り捨て、自分たちだけさっさと逃げたのだろう。悪事がバレたら即座に退散。それが詐欺師の鉄則だと、コンビニのアルバイト仲間の佐々木と李が、漫画を片手に言っていたのを思い出す。

「そういえば、あの子は?」
「あの子て?」
「伊蔵くるみちゃん。八雲と同じ部屋にいた子」

 一風がそう言うと、八雲は表情を強張らせた。

 そして、口をつぐんで首を横に振る。

「……そっか……」

 蛇云々はともかく――夏目弥生が診療所で鷲頭を襲ったのなら、殺し損ねた伊蔵くるみを放っておくマネはしないだろう。あの女は夏目大寿に執着していた。己の愛する男に秋波を送る人間が離れてくれないのなら、命を奪うしかないと、極論を唱えるくらいに。

 伊蔵くるみ。

 彼女が眠っていたベッドの、殺風景な枕元を思い出す。せめてあの子の家族が、友人が……妻を嫉妬させるくらい良き理解者だった夏目大寿が、幼い彼女の死を悼み、冥福を祈ってくれていますように。

 一風は空を見上げる。

 雲ひとつない青空だった。

「で、姉ちゃん……あの……」

 夏の空の青さに、爽やかさではなく、苦々しさを覚えていると、八雲が躊躇いがちに、言葉を澱ませながら、再び口を開いた。

「その……神々廻さん、のこと、なんやけど――」
「いいよ」
「……え?」

 一風は八雲の言葉を遮る。

「言わなくていいよ。分かってるから」

 今、この場に神々廻慈郎がいない。

 彼女は小さく息を吐く。

 そして八雲の顔を見て、苦笑しながら口を開いた。

「あの人、消えたんでしょ?」
「……うん。なんか、木守の家とやり合って、そのままおらんくなったって……」
「やり合って、勝ったんだろうね」
「そうだけど……なんで分かると?」

 弟が首を傾げる。

「木守家の人が今目の前にいないから」

 木守家が勝っていたのなら、我が物顔でこの場にいただろう。そして、月島と木守が手を携えていこうだとか、ふたりきりになった姉弟の後ろ盾になってあげようだとか、美辞麗句と共にそんなことを言っていたはずだ。

 けれど今、木守家の人間はいない。

「神々廻さんが、追い払ってくれたんだね」
「でも、おらんくなった……姉ちゃんば、置いて……っ」

 八雲の言葉端には怒りが滲んでいる。一風はフッと笑った。

「なんで怒ってるの?」
「だって、姉ちゃんの婚約者なのに、こんな時におらんて……ありえんやろ。しかも急に消えるとか……島の漁船、一艘なくなっとったって……」
「じゃあ、もうとっくに本渡だね」

 一風は再び空を見る。

 青く、澄んだ空――苦々しさは、少しだけ。仮初の婚約者はおしまいだ。バカップルのフリももうすることはないだろう。彼女の胸には、寂しさが……寂莫の感情が広がっていた――。




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