屋島に咲く

モトコ

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藤戸合戦

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 翌日。通信は忠員をともなって海辺を歩いた。もうじき戦がはじまるというというのに、このあたりの海の民は逃げださずに漁を続けていた。

 海にいくつも網が立っている。それを引きあげて魚を捕るのだ。獲った魚は、いつもは干すなどして市で売るのだろうが、いまはその場で武士らに売っているようである。

「稼ぎどきでもあるのか」
「まあ、民草はしぶといですから――若、あれを」

 忠員が顎をしゃくる。視線のさきに砂浜に網を広げて破れを繕っているものたちがいた。そのなかに見知った顔がある。七郎だった。

 七郎は河野家の郎等ではない。西海の島々をねぐらにする海賊であったのを、通信が気にいって取り立てたものだ。通信の父の代から仕えている忠員は、そういう七郎のことを良く思っていない。

 通信は七郎に気づかれないように、そっとまわりこむと、その肩を思いきり叩いた。おどろき叫ぶ七郎の襟首をつかむと、砂浜をひきずる。

「違うんです」

 七郎が目を白黒させながら喚いた。

「なにが違う」
「臼杵殿と緒方殿に脅されてしかたなくですね」
「あれはいつだったか。お前が野忽那のぐつなに座礁した船から荷を奪ったときだ。おれがお前らを懲らしめたよな。あのとき、お前なんつった」
「お許しくださいよ、御館みたちさま、ねえ」

 みっともなく懇願する七郎を、通信は海に放り投げた。高々とあがった波しぶきに、浜にいるものたちの視線が集まる。

「一生ついていきます殺さないでくださいって、おまえ泣きながら言ったよな!」

 忠員が、息を吸おうともがく七郎の背を踏みつけた。

「忠員、やめてやれ」

 通信の制止に、忠員がしぶしぶといった様子で足をあげる。

「しかたがないじゃないですか、あれだけ燃えている城内で、まさか御無事だとは思わなかったんですよ」

 濡れ鼠のような七郎を砂浜に蹴り転がす。襟をつかむと怯えきった瞳が震えた。

「漁民に混じれ」
「え」
「もしお前が良い働きをしたのなら、また梶取としておれのもとに迎えてやる」
「は」
「耳を貸せ」

 忠員の胡乱な視線を感じながら、通信は踵を返した。砂だらけになってうつむいた七郎を、漁師たちが心配そうに見つめていた。


 月が変わった。合戦の日が近くなり、焦れた盛綱からは毎日のようにせっつかれたが、通信はそれをのらりくらりとかわした。

 七郎のことは、それとなく忠員に監視させている。忠員が言うには、七郎は漁民たちと網をたてるふりをしながら海に潜り、浅瀬を探っているということだから、近いうちにわかることがあるだろう。

 通信のもとに範頼からの使いが来たのは、さらに二日が過ぎた十二月三日であった。

「梶原殿が戻られましたか」

 盛綱の問いに、使者はうなずいた。

 範頼のもとに向かう道すがら、通信は大量の兵糧を目にした。下人とおぼしき薄汚い男たちや、せわしなく荷を運ぶ女たちの姿もあった。

「佐々木殿あれは」
「ああ、梶原殿が道中、奪ってきたものだろう」

 だから行軍が遅かったのかと通信は理解した。播磨から藤戸まで、それほど距離もないのに到着がいまである。つまり彼らの通った道沿いにある家には、米の一粒も残っていないということだ。

「佐々木殿、梶原殿とはどういったひとですか」

 通信は以前、盛綱にたずねたことがあった。しかし盛綱は目を逸らして髭を撫でただけで、なにも話してはくれなかった。

 あの景高の父ならば、きっと癖のある人物だろう。身構えて陣幕をくぐった。集められたのは通信、盛綱のほかに土肥實平、臼杵、緒方の兄弟、そして猫背の痩せぎすな男が一人。

「梶原殿、彼は」
「河野四郎だろう、伊予の」           
             
 景時は範頼の言葉をさえぎった。通信に視線を向けると、顎を斜めに跳ねあげる。

 彫りが深い。落ちくぼんだ目蓋の奥にある三白眼が、やはり猛禽の類いを彷彿とさせて、いかにも景高の父親という感じがした。痩けた頬には白髪まじりの髭が中途半端にはえている。

「七日に合戦で変わりないんですよねぇ。こちらはどうするんです、舟は」
「どうするもこうするもない」

 實平がため息をついた。

 盛綱が通信を睨む。通信は、それに気がついていないふりをした。

「梶原殿、播磨国衙の水軍を動かすことはできませんか」
「無理ですね。平家に室泊むろのとまりを焼かれ、こちらも舟がありません。ただでさえ屋島の田口を牽制してるんですよ?」

 景時の言葉に範頼が閉口した。重苦しい沈黙が場を支配する。ただひとり、ふんと鼻を鳴らした景時が、おどおどとしている臼杵、緒方に体を向けた。

「臼杵次郎と緒方三郎は即刻、国へ帰り舟を用だてろ」
「なぜです、我々は戦力にならぬと」

 臼杵が歯を剥いた。

「実際問題この場に舟がない以上、あんたたちの出る幕はないじゃないの」

 景時が節くれ立った指で、臼杵の胸のあたりを小突く。盛綱はあからさまに視線を逸らし、實平は頭を抱えた。

「ま、京都のほうが騒がしいんですわ」
「京都?」
「あなたの弟さんが動きだしそうだ」
「九郎が」

 範頼が一歩前に出た。

「おお、九郎が来てくれるのであれば頼もしいかぎりだ」
「本当にそう思ってんですかぁ?」

 景時は、烏帽子の隙間からこぼれた白髪交じりの癖毛をなでつけた。

九郎判官くろうほうがんが動きだすということは、決戦の時はおのずと早まるってことですよ」

 九郎判官――源義経のことだ。風聞によれば、戦場では鬼神のごとき働きなし、だれもが想像もしなかったようなことをやってのける将だという。真偽は不明だが、一ノ谷では果敢に崖を駆け下り、平家の陣の背後を突いてみせたということだ。

「つまり平三それは」

 腕を組んだ實平がのけぞった。

「そうです。早々に九州を抑えねばならんということです」

 通信は、男たちのかこんでいる絵図を見た。平家の拠点は四国の屋島。そして九州の北側と彦島である。平家がこの西海で、いまだ精強な兵を率いることができるのは、自由自在に動く水軍を利用した九州と四国の連携にある。そして、屋島で決戦を迎えようと彼らが思惑するならば、その連携を絶つ必要がある。

「臼杵殿、緒方殿」

 範頼が背筋を伸ばした。

「すぐに発ち、周防すおうに陣を敷く和田小太郎に会えますか」
「はあ」

 怪訝な表情を浮かべた臼杵が曖昧にうなずく。

「和田別当べっとうには伝令をとばしてある。会えばすぐにわかるよ」

 景時が邪魔だと言わんばかりに手を振った。その目はすでに臼杵や緒方のことをとらえていない。ただ目の前に広げられた絵図を、食い入るように見つめている。

「どうか、我らの渡海の舟をできるだけ多くご用意願いたい。あなたたちが頼りです」

 範頼が深々と頭をさげると、さすがの臼杵もしぶしぶとうなずいた。

 通信は景時に圧倒されていた。この男はどれだけのことを知っているのだろう。たしか淡路で戦をし、播磨の国衙からここに来たのではなかったか。

「この戦、勝たねばなりませんな」

 實平が低い声で言った。臼杵、緒方の両名が、苛立たしげに陣幕を捲りあげる。それを追うように範頼が、そして實平が続いた。

「河野四郎は残れ」

 盛綱とともに出ようとした通信は、景時に引きとめられた。どうしましょうやと盛綱を見ると、おれの知ったことではないと言わんばかりに背を向けられる。盛綱の小さな舌打ちを、通信は聞き漏らさなかった。

「なんですか」
「お前、佐々木ん所にいるんだってなぁ、なに企んでるんだか知らんが」
「企むなんてなにも」
「まあ、どうでもいいやね」

 そこまで言って、ようやく景時は通信に向きなおった。華奢な体躯が猫背のせいでよけいに小さく見える。だが言葉の一つ一つが、研ぎ澄まされた太刀の切っ先のように鋭利だ。

 通信は、背に冷たいものがしたたり落ちるのを感じた。次はなにを問い詰められるのだろう。不安で身じろぎすらも苦しい。そういう奇妙な圧のある小男だった。

「さっきの話、お前、意味わかった?」
「あ、ええ。九州を抑えなければ平家の抑えこみは難しいという話、ですかね」
「ふぅん。だてに三年、一人で戦ってたわけじゃねぇってか」

 ふいにもたらされた言葉に、通信は目を見開いた。もしかしておれはこの男に褒められたのか。むずがゆさに口元が緩んだ。

「でも負けっぱなしで話にならねぇ」
「よくご存知で」

 頭をかきながらうなだれると、景時が鼻で笑った。

「ところでお前、今木でなにを見た」
「なにとは」
「鈍いか?」
「能登守! 能登守、平教経を見ました」
「そんなはずはないだろう。教経は一ノ谷で獄門に処した」
「でも見たんです!」

 通信は、前のめりになった。

「お前は昨年、沼田で能登守と対峙してるんだったなあ」
「そうですよ。その上で、あれはまちがいなく」
「なるほどね」

 景時が目頭を指でつまみ、息を吐く。

「おれが平らげた淡路でも」
「見たのですか」
「いやおれが直接見たわけじゃないが、見たというものが」
「能登守が生きていると、なにか不都合が?」

 通信が言うと、景時が面倒くさいものを見るような顔をした。一から説明しろというのかと言いたげな、景時の気怠い態度は癇に障る。

「ははぁ、坂東の兵は能登守一人に恐れをなして逃げ帰るような腰抜けばかりか」
「いやぁ、そうじゃない」

 通信の悪態に激昂するでもなく、景時は顔の前でひらひらと手を振ってみせた。

「能登守を、うちの大将は無視できない」
「三河殿が?」
「九郎判官が!」

 景時が声を荒げた。

「御曹司九郎判官が出てくるとなれば、この合戦は急かされる。なんせ京を守るのが判官の役割だもの、そうそう京都からはなれてはいられんでしょ。そうなれば鎌倉殿の言う、『海上和気の時期に四国にて決戦』など、とてもとても、そのような悠長さは許されない」

 気圧されて口を閉ざした通信に、景時が少しもうしわけなさそうな表情を浮かべた。

「まあ、おれたちだって坂東から来ているものはともかく、西国の侍たちの力を借りてなんとかやってる状態さ。だから彼らが平家に勝機を見出すような状況ってのは、潰しておきたいってことよ」

 なるほど。つまり、源氏と平家のあいだで揺らいでいる西国の武士が味方のなかに多いということか――通信は首を捻った。

 神出鬼没の能登守はたしかに驚異だ。手のひらをかえして平家に加勢する輩も出てくるかもしれない。それは理解ができる。しかし、それこそ範頼が軍勢を差配して対応すればいいのではないか。義経がわざわざ京都の治安維持をなげうってまで西海に出てくると、なぜ景時は断言するのだろうか。

「あの、なぜ」
「九郎判官は、そういう男だからさ」

 右眉をつり上げた景時は、にべもなくそう言った。
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