屋島に咲く

モトコ

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藤戸合戦

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 忠員が通信に進捗を伝えたのは、その翌日のことだった。

 藤戸から児島まで、なんとか馬で行けるのではないかという場所を見つたらしい。ただ、仕掛けが必要だということなので、六日の夕暮れ時に浜に来て欲しいという。

 どのような仕掛けなのかと聞いても、忠員はなにも答えなかった。漁師たちにも手伝わせながら、笹を集めているらしいということはわかった。

 通信がその旨を伝えると、盛綱は「ならば結構」と膝を打った。

「昨日、梶原になにを聞かれた」
「今木のことを」
「四郎殿、このことを漏らしてはいないだろうな」
「え」

 通信は自分がなにをなじられているのかわからなかった。七郎のいう仕掛けが使えるものなのかということを疑われているのであれば理解ができる。もともと海賊だった七郎は潜水も得意だ。水深の見立ては信頼に足る。しかし仕掛けとやらのほうに関しては、通信ですら半信半疑だ。

 それをさしおいて、盛綱が気にしているのは先駆けの功名、ただそれだけなのだ。

「この合戦のことは」

 梶原殿は、あまり乗り気ではないのでは――と言いかけて飲みこんだ。

 この男は溺れようとも駆けるのだろう。そう悟ったとき、通信は、はじめて盛綱を恐ろしいと感じた。兵糧もろくにないなかでの遠征だ。兵たちのあいだに鬱屈した雰囲気が漂っているのは事実である。ここで、ひとつ華々しい手柄をあげたい――だれでもそう思うかもしれない。しかし、あまりにも苛烈であり、身も蓋もない。

「なにも聞かれませんでした」

 そう言うと盛綱の表情がほぐれた。その顔からは、声に潜んでいた悲壮なまでの覚悟も、もはや感じとれなかった。


 六日。日が傾くころ、通信は盛綱をともなって浜辺へとやってきていた。あれから通信は、高坪山の城郭から一歩も外に出ていなかった。盛綱から余計な嫌疑をかけられることは本意ではない。

 夕日が山海を染めあげていた。白い砂浜に斜めに長く影がのびる。葉を落とした木々の枝が天を刺し、通信たちの足は楔となって地を繋いでいた。光る波は儚く、しかし激しくもある。燃えるような空と海とは裏腹に、島々は黒く塗りつぶされた。

 先に浜辺に来ていた七郎が駆け寄ってきた。魚の入った籠をさしだして、うやうやしく頭をさげる。

「小潮なのでね、それが良かったかもしれません」

 そう言って、七郎がにやりと笑った。

「仕掛けが流されずにすみます」

 盛綱が、かぶっていた笠を眩しそうに傾ける。七郎が手招きをすると、男が一人、笹を担いで歩いてきた。たしか網を繕っていた漁夫のなかにいた若い男だ。

「こいつがよくやってくれましたよ、いい水夫になる」

 七郎は親しげに男の背を叩いた。暗に自分たちの働きについて恩賞を求めているのだろう。男のあかぎれた指先が、日々のつつましやかな暮らしを彷彿とさせる。

「ちょうどこのあたりです」

 男がぎこちないそぶりで、児島の方角を指さした。

「潮が引けば、なんとか馬でも渡れます。途中、深いところもありますが」
「このあたりと言われても、どうやって見わけるのだ。まさかお前が先導をするとでも?」

 盛綱が訝しげな視線を向ける。

「この笹を。笹はすべて四尺ばかりあるものを揃えました。そうして、それを海底の岩場に突き立ててあります」

 四尺程度ならば馬で渡れますよねぇ――七郎が横から口を挟んだ。

「笹の頭が波間に見えたら、それが目印になります」

 言って、男がもじもじとうつむく。

「それは、いつごろになる」
「潮は日に二度、満ち引きを繰りかえします。明日、潮が一番引くのは、ちょうど昼を過ぎた頃合いではないでしょうかね」

 自信たっぷりに七郎が答えた。さすがに元海賊である。潮流、潮位を見極める目は、武者としての顔をもつ忠員や通信よりも、よっぽど確かだった。

「なるほど」

 うなずいた盛綱が、太刀に手をかけた。

 はっとした通信が制止する間もなく、盛綱が男を切り捨てた。

 なにが起こったのかわからないといった様子で唖然と立ち尽くす七郎を、通信は咄嗟に自らの背に庇った。

「この男はおれの梶取です、佐々木殿。ただの漁民ではありません」
「他に、このことを知るものはいるか」
「わたしは、しばらく七郎と主人の連絡役をしておりましたが、そのものしか見ておりません」

 忠員が淡々と答えた。嘘だろうと思ったが、通信は黙っていた。

「ふん。まあ、明日になればわかる。このこと他言無用」

 捨て台詞を残して、盛綱は去っていった。

 通信は自分の手が震えていることに気がついた。盛綱はなんの前触れもなく、息を吸って吐くようにひとを斬った。合戦場でもない。仇敵相手でもない。

 七郎が嗚咽をもらしていた。


 翌日、まだ日が昇るか昇らないかというころ、通信は忠員と七郎をともなって高坪山をおりた。盛綱は鎧直垂姿で、きびきびと兵たちを差配していた。山をおりる通信たちの姿にも気がついていたようだが、盛綱はなにも言わなかった。

 三人は無言だった。昨晩は遅くまで死んだ男を弔っていたのだ。爪の隙間には砂がたまっている。

 気さくで、いいやつだった――松の木の根本に穴を掘りながら、七郎がぽつりと漏らした。男の死を、仲間や家族に伝えねばならない。けれど、その術がない。そう言って七郎は泣き腫らした目をこすった。合戦に巻きこまれぬように、男をのぞき、このあたりの民はみな一様にどこかに潜んでしまっているのだという。

 通信は、ふと梶原景高の顔を思い出した。あの男はなんと言うだろうか。自然と駒をひるまやま日間山に進めていた。日間山には源氏の本陣が敷かれている。

 通信たちの薄汚れた格好を見て兵たちが訝しんだが、気にとめないようにした。

 陣は日間山を背にして、佐々木盛綱らが陣を敷く高坪山を包みこむように広がっていた。軍勢は三万ほどになるだろうか。

 軍馬を美しく飾り、鎧をまとった将たちが、従者に兜を持たせている。ちょっと羨ましい――きらびやかな将たちを見て、通信は唇を尖らせた。

「河野殿」

 土肥實平が馬を寄せてきた。大鎧をまとった實平には、どっしりとした貫禄があった。

「佐々木殿のもとにおられたのでは」
「足手まといになるでしょうから」
「合戦は続くでしょう。河野殿にはこれから大いに活躍いただきたい」
「ははは。あの、ところで梶原殿はどちらに」

 通信の言葉に、實平がぎょっとしたような表情を浮かべた。

「ちがいますよ、平次に」

 あっ――と顔を背けると、實平が手を叩いて笑った。

「いや、すまん。あの偏屈のどこに絆されたのかと思ったが、平次か。そうかそうか」

 實平は腹を揺すって笑いながら、山肌近くを指さした。

 ひしめきあう兵たちのあいだをすり抜けていくと、すぐに鮮やかな浅葱色が目にはいる。景高だ。今日は柳色やなぎいろの籠手をつけている。脛当てもつけているが、鎧は身にまとっておらず軽装だった。通信の姿を見つけると、馬上で目を丸くした。

「お、四郎じゃん!」

 呼びかけに片手をあげて答えると、景高が笑った。軽い身のこなしで馬から飛び降りる。通信と忠員もならって下馬をした。

「なにしてんだよ、お前。佐々木殿のところで一旗あげなくていいのかよ」
「甲冑もないのに?」
「ははっ、ちげぇねえわ」

 景高は郎等に指図して、馬をひかせた。

「うちは親父があんまりやる気がねぇから後詰め」
「みたいだね」
「児島の平家、さすがにここまでこねぇだろ。つか、連中がここまで攻めきたら佐々木兄弟見事に全滅だわ」
「……」

 通信と忠員の視線に気づいたのか、景高がちょっと首を傾けた。

「でも、四郎も合戦見物するつもりなんでしょ」
「まあ」
「じゃ、こっち。高いほうがよく見えるっしょ」
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