屋島に咲く

モトコ

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藤戸合戦

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 日間山の斜面を登ると、同じように合戦を見物してやろうという衆が、あちらこちらにたむろしていた。なかには酒を手にして騒いでいるものたちもいる。

 どうも集まっているのは、坂東の兵だけではないようだ。僧兵姿のものや、浮浪者のようなものたちまで混ざっている。薙刀を抱えた僧兵が、しきりに指を立てて唾を飛ばしていた。そのまわりに人垣ができている。賭け事でもしているのであろう。

 そういう有象無象を、景高は気にもとめずに押しのけた。

 日間山の頂上に近いあたり。もうしわけ程度の掻盾と幕で覆われたその場所が、彼らの陣ということになるのだろう。二十人ほどの兵が見張りに立っている。軽装ではあるが、圧はある。訓練をされた兵たちだということが、通信にはすぐにわかった。

 陣中では景時がよろいびつ鎧櫃に腰をかけて、しきりになにかを書いている。

 黄朽葉色きくちばいろの鎧直垂に銀糸の文様が入った杜若色かきつばたいろの籠手をつけていた。不格好に伸びていた髭も、いまはきちんと整えられている。通信は軽く顎を引いて会釈をした。景時は通信をいちべつ一瞥すると、さほど興味がなさそうに、ふたたび手元に視線をおとした。

「ほれ」

 景高が郎等に碗を持たせていた。それを通信たちに押しつける。雑穀ともうしわけ程度に菜の入った汁ものであった。立ちのぼる湯気が食欲をそそる。

「なに」
「いや、腹減ってんじゃねぇのかと」
「なんで」
「お前らが、しょげた顔してるからさ」

 景高の言葉に、七郎が碗の中身を勢いよくかきこんだ。続いて忠員が、軽く手をあわせてから口に運ぶ。通信も二人にならって碗に口をつけた。汁をすすると、香ばしいにおいが鼻腔をくすぐる。かすかな塩気の奥には、脂の甘味と濃厚な旨味があった。冷え切った臓腑に染み入る熱が心地よく、通信はため息を漏らした。

「鴨、おれが獲った」

 景高が満足げに白い歯を見せる。

「平次、ちょっと聞きたいんだけど」

 碗をたいらげたのち、通信は昨日おこったことを、景高に洗いざらい白状した。景高は顎に手をあて、通信のたどたどしい話を聞いていた。

「どうもこうも、それが一番安全で手っとり早いでしょ」
「いや、わからなくはないよ。けれど、殺す必要があるか」
「関係性しだいかな。その男が、例えば四郎の手のものだとしたら、佐々木三郎は手を出さなかったと思う。そこの男は生きているし」

 景高は七郎を指さした。

「ならば、佐々木があの漁夫を連れて帰るなりして抱えこめば良かったのに」
「なんでだよ。佐々木はお前を頼ってんのに? あとは、損得勘定っしょ。死人に口なし、斬って捨てれば簡単だ。んなこと言うなら四郎が漁夫を抱えこめばよかっただろ。佐々木だって、四郎とはことを構えたくはないっしょ」
「でも」
「まあ……言ってもしかたないんじゃん」
「おれのせいか」
「いや、そこは」
「お前のせいだろ」

 景高の言葉を否定したのは、景時だった。いつから聞いていたのか、鎧櫃に腰をかけたまま腕を組み、じっとこちらを見ている。

「お前の詰めの甘さだわ。佐々木のことを読めなかったのはお前だろ。たしかに殺す必要はなかったかもしれないが、そいつを殺すか殺さないか、そのときに選ぶ権利があったのは佐々木であって、お前じゃない」
「でも」
「でももへったくれもないわ。お前はいま、そこの男が自分にもっと様子を知らせてくれていたら、なんて思ってんのかもしれないが、それこそお前の指示が悪いんであって、そこの男はなに一つ悪くないからな」

 景時の指さす先で、七郎がうつぶして泣いていた。さすがに見ていられなかったのか、忠員が背をさすってやっている。

「全部お前の責任だ。河野四郎」

 通信は膝の上で拳を握った。理不尽だと思った。一つ二つ、言いかえしてやりたかったが、言葉がまったく浮かばない。腹のうちで怒りの気持ちだけが空回りしている。

 景高が横で、どうしたものかというような表情を浮かべていた。

「それでさぁ、それをおれの前でべらべら喋っちゃっちゃあ、だめじゃないの?」
「……」
「そりゃあ、お前はうちが前線に出ないつもりだということを知っている。だから話した。信頼してくれてどうもありがとう。でも、おれのなかでお前の信頼度は下がりましたよ?」

 悔し紛れに睨めつける。だが景時は涼しい顔をしていた。通信の反応はすべて予想どおりだと言いたげな、文句があるならばいくらでも言ってみろというような、挑発的な視線ですらある。

「考えろよ。そんなんでどうする」

 呆れたようにため息をつく景時のもとに、侍がやってきた。

「奥方様より書状です」
「あ、ちょうだい」

 景時は、なにごともなかったかのように書状を受けとると、文字を目で追いかける。

 うつむいた通信の背を、景高が無言で叩く。その同情的な態度に、通信は少しばかり景高を気の毒に思った。これが毎日続くのかと思うと、うんざりする。

 佐々木盛綱にしても土肥實平にしても、景時を良く思ってはいないようだった。当然だろうと通信は思った。軍議の都度これをやられては、たまったものではない。おそらくだれもなにも言えなくなる。そして、ひどく矜持を踏みにじられたように感じるだろう。

「さすが、おれの奥さんはできる子!」

 唐突な景時の声に、通信は顔をあげた。

田代冠者たしろかじゃでいい。京都のほうは、すべて奥に任せる。おれはそっちには戻らないから、細かく連絡をよこせと伝えろ」

 侍が一礼して駆け去る。景時はといえば上機嫌そうに鼻歌まじりで、ふたたび書状を書きはじめていた。さきほどまで怒っていたように見えたが、いまはもうどこ吹く風といった調子だ。不思議な情緒の持ち主だ――通信は、ほっとため息をついた。

「そら、舟が出てきたぜ」

 景高がいつのまにか木に登っていた。太い枝に腰かけて、指を児島に向けている。通信たちも目を懲らした。

 快晴。海はどこまでも青く、平家軍舟の赤い旗がよく映える。

 中型の舟が数艘。児島の影からあらわれた。つられたように源氏の武者が十数騎、浜に駆けてくる彼らは各々矢を放つも、それらはすべて波に吸いこまれている。

「ああ、馬鹿。矢がもったいねぇだろが」

 景高が言う。浜辺の武者たちが右往左往としているうちに、舟が沖で横一列に並んでみせた。中央に大型の舟が一艘、割りこむようにはいる。操船の巧みさに、通信は見とれた。

「ははは、佐々木兄弟、煽られてやんの」

 木の上で景高が笑った。味方のことだが、彼にとっては他人事なのだろう。大型の舟の舳先で、金色に光るものがひらひらと舞った。

「扇だ。ありゃあ舞ってるのか。挑発するねぇ」

 一方、浜では馬が一頭、竿立ちになっている。

「見ろよ四郎! 生喰いけづきだ」

 生喰という言葉に反応したのか、景時が浜の様子を見にきた。気がつけば、警護をしていた兵たちもが集まってきている。みな一様に浜を見つめた。

「生喰いるの?」
「はい、あの暴れ狂っている馬ですよね、白っぽい」
「よく見えるね、おまえたち」
「海には舟が、いまは八艘出てきてます。あの大型舟に、大将が乗っているのかも。浜にいる佐々木殿をさっきから挑発してます」
「はっは、そいつはいいわ。もっとやれ」

 すでに日は十分な高さにあった。浜辺に展開した佐々木の軍勢が、とうとう痺れをきらしたのか、または潮が引きはじめたか。雄々しい黒馬が浜から海へと駆け入った。佐々木三郎盛綱だろう。殿を討たすなと言わんばかりに、その家人、郎等が続く。生喰も後ろ脚で砂を蹴りあげながら、波に向かって猛然と突っこんでいった。

「あ、海に入った!」
「あれ、後ろからもだれか来たな――ありゃ、土肥の爺さんじゃん」

 佐々木たちの行動に驚いたのだろう。土肥實平が一騎浜に駆け寄ってきた。どうも、引き返すように言っているようだ。

 平家の舟は、ゆったりと構えている。まさか彼らが騎馬で児島に渡るなど、考えてもいないのだろう。舟の上で武者どもが弓をつがえた。

 降り注ぐ矢の雨のなか、佐々木らの騎馬が海を渡る。後続の数騎は射貫かれ藻屑と消えるが、それでもなお進み続ける。

 佐々木たちの勢いに圧倒されたのか、舟が陣形を崩しはじめた。本気で児島に上陸しようとしていることに、いまさら気がついたのだろう。

 だが遅い。図体の大きな舟が中央にいるので、うまく旋回ができないようだ。潮の流れのせいもあるだろう。

「先駆けの功名、あっぱれ」

 景高が叫んだ。

 盛綱が海を渡りきったのを見た源氏方の武者たちが、次々と海に入っていった。こうなると、平家方は手の出しようがなくなってしまう。そもそも、児島で陸戦をやることになるなんて想像もしていなかっただろう。馬も兵も、のんびりと待機していたはずだ。

 形勢逆転だ。

 勢いのついた坂東武者たちは、それまで燻っていたものもあったのか、あれよと海になだれこんでいく。平家方も応戦するが、数が違いすぎて意味をなさない。

 小舟から次々と、赤い旗が引きちぎられた。

 おそらく島では猛り狂った源氏の武者たちが、馬蹄で敵兵を蹂躙しているだろう。藤戸浦から児島へと伸びる騎馬の行列は壮観であり、また滑稽でもあった。

 ほんの一瞬でもいい。海を駆け抜けたい――そう言っていた盛綱の顔を、通信は思いだしていた。

 勝ち鬨が、満ち満ちる。

 どこかほっとして、戦場から目をはなしたとき、ふと、視界の端で陣幕が揺れた。

 ふりむくと、緋威ひおどしの鎧をまとった若武者の姿が目に入った。武者は景時のもとに歩み寄ると、そっと耳打ちをする。景時は若武者と短い言葉をかわすと、さきほどまで書いていた書状を手渡した。

 若武者は拝謁してそれを受けとると、ちらりと通信に視線をむけた。見とれていたことを勘づかれてしまっただろうか。視線がぶつかり、通信は戸惑った。

 匂い立つ、花のような武者だった。

 大きな黒目がちの瞳には、凜とした若々しい光がある。ふくらとした色の白い頬は、見るものに春の陽気すら感じさせた。小さくとがった鼻に、形の良い赤い唇。しかし女々しいといった風体ではない。大柄で肩幅も広く、武者らしい覇気がある。

 若武者は、おどおどとした通信を見て小首をかしげると、視線を木の上へと向けた。

「平次、降りろ」

 その声に景高が振り向いた。若武者を一瞥すると、不承不承といった様子で枝から飛び降りる。それを見て満足したのか、若武者は景時に一礼をすると、陣幕をくぐった。

「あれは?」
「兄貴」
「は」
「おれの兄貴!」
「あまりにも似ていない」
「うるせぇな、どうせおれは嫡流じゃないからな!」

 景高が拗ねたように唇を尖らせる。

 源氏軍の攻撃は夜まで続き、児島のあちらこちらから煙が立ちのぼった。

 夜が明けると平家のおびただしい数の舟が、遠く沖のほうに浮かんでいた。炎のような赤の旗は、海の上にくすぶった熾火のようであった。

 藤戸の合戦は佐々木盛綱の蛮勇によって源氏方の勝利となった。しかし、逃げた平家の船団を追う術がない。源氏の軍勢は、またしばらくの滞留を余儀なくされた。
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