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五条坊門
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京都の冬は厳しいと、坂東からきた武者どもが身をさすりながら口々にいう。平野の広がる坂東の冬は、強い風が吹き抜けるところをのぞけば、天候もよく暖かい。
一方、盆地にある京都は、体の中心から熱が逃げていくような、じっとりとまとわりつく寒さがあった。骨身に染みるといえば、そうなのだろう。それでも雪深い奥州の冬に比べたら、なんということはない。
十二月の半ばである。
兄範頼の藤戸浦戦勝の知らせは、義経のもとにも届いていた。秋には京都を発った軍勢が、ずいぶんと時をかけたものだ。
あの軍勢は図体が大きすぎるのだ。だから動きが遅い。それに、なにかと仕切りたがる坂東の武者たちがひしめいている。鎌倉にいる兄の頼朝も、後白河法皇も公卿たちも、いちいち大げさなのだ。
自分だったらその半数以下の兵で、すでに九州に達しているだろう。兵糧調達の口実のもとに行われる荘園や民草への略奪行為や駆り武者の徴発などは、もっと少なくてすんだはずだ。院と鎌倉とのあいだで書状が行き交っていることを、義経が知らないはずもなかった。
それに時をかければかけるほど、東国武士たちの倦怠気分は募るだろう。そういったなか、いまは源氏方にいる西国の武士たちが、またいつ平家につくとも限らない。彼らが源氏方に勝利がないと踏めば、範頼の大軍勢は崩壊する。そのくらい敵対する両勢力の差は微妙なものだ。
ああ、じれったい……義経はため息をついた。目の前には神妙な面持ちの男が二人、座している。
一人は薄汚い格好をしているものの、武者のなりをしている。もう一人は僧兵のような姿であった。
義経のかたわらには、佐藤三郎継信と伊勢三郎義盛が控えている。かっちりと直垂を着こんだ継信とは対照的に、伊勢三郎は襟を大きくくつろげて袖を抜いていた。
二人の男は義経たちの前で、ただ平伏している。義経はうんざりして坪庭を見た。薄氷の張った池のほとりには、紅葉の木が植えてある。その枝に一枚、真っ赤な葉が残っていた。それが風に煽られて、いまにもひらりと池に落ちてしまいそうである。
しかし、こういうのはしぶといんだよなぁ――脇息に肘を置き手の甲に顎をのせる。
夏に伊勢国と伊賀国で蜂起した平家の叛乱軍を討伐し、それらの戦後処理や自軍の兵糧確保などに追われていたら、もう冬である。
検非違使に任ぜられて、やらなければならないことが増えたということもあるのだろうが、このところ月日の流れがおどろくほど速い。
無言で対峙し続けるこの時が無駄だ。義経は痺れを切らした。掌を二人に向けると、「どうぞ」と促す。
「は、あの」
「なにか言いたいことがあってここに来たのでは。なにもなければお帰りください」
「しかし」
「時がもったいないので」
こういう言いかたをすると、大概のものが嫌そうな表情を浮かべることを、義経は知っている。例にもれず目の前の男たちも、少し調子が狂ったような微妙な表情を浮かべた。こんなことを言われて、両手を叩いて笑ったのは梶原平三景時くらいである。
梶原景時――武士たちからはなにかと煙たがられている男だが、きれ者だと義経は思っていた。兄頼朝の腹心で、義経がなにか事を起こそうとすると、回りくどい方法で先手を打ってくる、鬱陶しい男だった。ただ幸いなことに、いまは範頼たちの軍勢とともに西海にいる。
「おそれながら、淡路国の阿万六郎忠景ともうします。こっちは」
「園部次郎重茂……紀伊国の泉荘から」
僧兵姿の男が俗名を名乗った。
「淡路国のことは知っています。源義嗣殿と義久殿が討たれたと聞きました。その後、官軍が平定し、いまは落ち着きを取り戻しているとも」
がちがちに固まっている阿万六郎に対して、義経は笑顔を見せてやった。
「あなたたちは、その戦の最中に逃げだしてきた、そうでしょう」
「そうですね」
僧兵姿の園部次郎が、憮然とした態度でうなずいた。下手な弁解をせずにあっさりと認めた園部次郎に、義経は好感をおぼえた。
「お言葉ですが、判官殿……おれたちは」
「いいわけか」
「そうです。いいわけでかまいません。でもおれたちは戦いました」
阿万六郎が膝の上で拳を握っている。
「能登守、平教経」
「ほう」
「鬼神の如き将でした。まちがいありません。あれは能登守でした」
「自分も見ましたが、あれは紛うことなく。そして、自分は能登守であると名乗りました」
阿万六郎の言葉に、園部次郎がたたみかけた。
「判官殿。妄言に惑わされてはなりません。能登守は」
かたわらに控えていた継信が、角張った声で義経に耳打ちをする。
継信の言わんとしていることはわかる。能登守は一ノ谷の合戦で確かに獄門に処した。いかに強い将とはいえ、ひとだ。死してのち、よみがえることなどありえない。
「化け物じゃあるまいに」
伊勢三郎がぼやいた。
「おもしろい」
義経は久々に体中に血が巡るのを感じた。合戦前に、いてもたってもいられなくなるような。いわゆる、ときめく、というやつである。東国武士たちの苦戦に続き、今度は能登守ときたか。
あやかし、かもねぇ。口のなかで小さく呟くと、継信が眉をひそめた。
「おれたちをあなたの麾下に加えてはいただけないでしょうか、源氏のためにお役に立たせてください」
額を床にこすりつける阿万六郎とは対照的に、園部次郎は眉の一つも動かさない。
「それはかまいませんけど」
淡路国の阿万六郎や紀伊国の園部次郎は、水軍を有しているだろう。義経と繋がりのある摂津国の渡辺党も水軍を有しているが、それだけでは平家の大舟団にはかなわない。両人の力はいずれ役に立つだろう。
「四国の阿波国に、近藤六郎というものがおります」
唐突に、園部次郎が身を乗りだした。
「源氏に心を寄せているのですが、いかんせん」
「四国の屋島には、主上のおわす御所がありましょう」
義経の言葉に、園部次郎がうなずく。
「いまはなんとか凌いでおりますが、平家が力をつけてくれば、いずれ近藤も耐えきれなくなります」
「なるほど」
義経は口元を手で覆った。頭のなかに絵図を思い描く。
阿万六郎は、その名のとおり阿万荘のものだろう。阿万荘は、たしか淡路国の南端にあったはずだ。園部次郎は紀伊国から来たと言っていた。紀伊国の園部次郎が、四国阿波国の近藤六郎と面識があるのだとすれば、彼らの交流の範囲は広いものだと思う。
おそらく西海の小島や沿岸部の様々な勢力と、海を通じて結びついているのだろう。そういった節を、義経は摂津国衙でも感じていた。
摂津国渡辺津――淀川河口に位置する港湾である。ここにはおどろくほど雑多なひとやものが溢れていた。渡辺党も阿万六郎や園部次郎のように、実にさまざまな地域のものたちと繋がっている。
海の民はおもしろい。
京都は国の中心ではあるが、どこか閉ざされた雰囲気がある。義経はそれに退屈していた。おのれの生きる場所はこんな場所ではないはずだ。こんなところで院やその近臣たちの顔色をうかがっているなど性にあわない。
なんのために奥州から飛びだしたのか。義経は自問自答の日々を送っていた。能登守を見たというものがいるのであれば、なおさら。
それに、範頼率いる大軍勢が能登守の噂をどう受け止めているかはわからないが、下手をすれば西国の武士たちが掌をかえし、形勢逆転となるする可能性も捨てきれない。
この状況では早期決戦が有利だというのに、彼らの――否、『海上が穏やかな時期に決戦』という方針を崩さない鎌倉の意向に、義経は呆れるばかりだった。
「おれが、立てばよいか」
「九郎殿!」
継信が義経の袖を抑えた。言外に、西海のことに関しては鎌倉の沙汰を仰げと言っているのだろう。もっともである。
義経は検非違使少尉だ。それは兄である頼朝と後白河法皇の合意の上で決められたことだ。京都の治安を担えということであり、おいそれと都を離れることもままならない。
「院は渋るだろうなあ」
「院も鎌倉も、双方から納得はいただけますまい」
つんと唇を尖らせた継信の顔がおかしくて、義経は思わず噴きだした。笑う義経を見て、継信は心外だというように目を見開く。きりりとつり上がった目尻が、真っ赤に染まっていた。
「もし、お二方――おれの麾下に加わりたいと言いましたよね」
「は、はい」
義経の言葉に、阿万六郎がぎこちなくうなずいた。
「その近藤六郎殿とおれを、繋いではくれませんか」
「と、いうと」
「そして、紀伊の熊野水軍」
義経は阿万六郎の問いを無視した。困惑した表情を浮かべる阿万六郎に対し、園部次郎はむっつりと押し黙ったままである。腕を組み、やや間をあけたのち口を開く。
「熊野水軍が源氏につくように説得してみせろと、そうもうされておりますか」
「兄である三河守の率いる坂東からの軍勢にも言えることですが」
「舟が足りないのですな」
「ええ、足りません。平家の主力は水軍でしょう。海に逃れられては、我々の騎馬とて、文字どおり手も足もだせません」
「熊野の連中は気難しいですよ」
義経は、打てば響くような返答をする園部次郎が気にいった。
「阿万殿、わたしはあなたを頼りにしております」
園部次郎とは対照的に目を白黒とさせるばかりの阿万六郎の手を義経は握ってやった。すると、阿万六郎は声のならない声をあげ、頻りに首を振った。効果てきめんである。
こういったひとの誑かしかたは、兄頼朝から学んだことだ。継信がじっとりとした目で見ていた。継信は堅い男である。上辺だけ取り繕ったような態度をよしとしない。
しかし、京都にいてはそういう継信ですら毒される。昔であれば、危ういかけひきをする義経をとめたであろう継信も、ただ黙るということを覚えたようだ。
「ときに園部殿」
「はい」
「貴殿はもとより剃髪しておられたのです?」
「いえ、これは」
「負けた腹いせに自分で髪を剃ったんですよ」
阿万六郎がへらりと言う。
「負けた腹いせに。では、法名はないのですか」
義経の問いの意味がわからなかったのか、園部次郎が片眉をつりあげた。
「僧形のものを俗名で呼ぶのは気が引けるというか」
義経は小鳥のように首をかしげてみせる。園部次郎はそれを無邪気と受けとったようで、ふっと表情を緩めた。
「好きに呼んでいただいてかまいませんよ」
「では、べんけい弁慶としましょう。いまから貴殿は弁慶だ」
「弁慶って、九郎殿そいつ、弁慶?」
伊勢三郎が指をさして笑う。
「四代目ですね」
継信が、やれやれと言うように目を細めた。
「九郎殿、本当に僧兵好きっすね」
手を叩いて笑い続ける伊勢三郎を、継信が肘で小突いた。
一方、盆地にある京都は、体の中心から熱が逃げていくような、じっとりとまとわりつく寒さがあった。骨身に染みるといえば、そうなのだろう。それでも雪深い奥州の冬に比べたら、なんということはない。
十二月の半ばである。
兄範頼の藤戸浦戦勝の知らせは、義経のもとにも届いていた。秋には京都を発った軍勢が、ずいぶんと時をかけたものだ。
あの軍勢は図体が大きすぎるのだ。だから動きが遅い。それに、なにかと仕切りたがる坂東の武者たちがひしめいている。鎌倉にいる兄の頼朝も、後白河法皇も公卿たちも、いちいち大げさなのだ。
自分だったらその半数以下の兵で、すでに九州に達しているだろう。兵糧調達の口実のもとに行われる荘園や民草への略奪行為や駆り武者の徴発などは、もっと少なくてすんだはずだ。院と鎌倉とのあいだで書状が行き交っていることを、義経が知らないはずもなかった。
それに時をかければかけるほど、東国武士たちの倦怠気分は募るだろう。そういったなか、いまは源氏方にいる西国の武士たちが、またいつ平家につくとも限らない。彼らが源氏方に勝利がないと踏めば、範頼の大軍勢は崩壊する。そのくらい敵対する両勢力の差は微妙なものだ。
ああ、じれったい……義経はため息をついた。目の前には神妙な面持ちの男が二人、座している。
一人は薄汚い格好をしているものの、武者のなりをしている。もう一人は僧兵のような姿であった。
義経のかたわらには、佐藤三郎継信と伊勢三郎義盛が控えている。かっちりと直垂を着こんだ継信とは対照的に、伊勢三郎は襟を大きくくつろげて袖を抜いていた。
二人の男は義経たちの前で、ただ平伏している。義経はうんざりして坪庭を見た。薄氷の張った池のほとりには、紅葉の木が植えてある。その枝に一枚、真っ赤な葉が残っていた。それが風に煽られて、いまにもひらりと池に落ちてしまいそうである。
しかし、こういうのはしぶといんだよなぁ――脇息に肘を置き手の甲に顎をのせる。
夏に伊勢国と伊賀国で蜂起した平家の叛乱軍を討伐し、それらの戦後処理や自軍の兵糧確保などに追われていたら、もう冬である。
検非違使に任ぜられて、やらなければならないことが増えたということもあるのだろうが、このところ月日の流れがおどろくほど速い。
無言で対峙し続けるこの時が無駄だ。義経は痺れを切らした。掌を二人に向けると、「どうぞ」と促す。
「は、あの」
「なにか言いたいことがあってここに来たのでは。なにもなければお帰りください」
「しかし」
「時がもったいないので」
こういう言いかたをすると、大概のものが嫌そうな表情を浮かべることを、義経は知っている。例にもれず目の前の男たちも、少し調子が狂ったような微妙な表情を浮かべた。こんなことを言われて、両手を叩いて笑ったのは梶原平三景時くらいである。
梶原景時――武士たちからはなにかと煙たがられている男だが、きれ者だと義経は思っていた。兄頼朝の腹心で、義経がなにか事を起こそうとすると、回りくどい方法で先手を打ってくる、鬱陶しい男だった。ただ幸いなことに、いまは範頼たちの軍勢とともに西海にいる。
「おそれながら、淡路国の阿万六郎忠景ともうします。こっちは」
「園部次郎重茂……紀伊国の泉荘から」
僧兵姿の男が俗名を名乗った。
「淡路国のことは知っています。源義嗣殿と義久殿が討たれたと聞きました。その後、官軍が平定し、いまは落ち着きを取り戻しているとも」
がちがちに固まっている阿万六郎に対して、義経は笑顔を見せてやった。
「あなたたちは、その戦の最中に逃げだしてきた、そうでしょう」
「そうですね」
僧兵姿の園部次郎が、憮然とした態度でうなずいた。下手な弁解をせずにあっさりと認めた園部次郎に、義経は好感をおぼえた。
「お言葉ですが、判官殿……おれたちは」
「いいわけか」
「そうです。いいわけでかまいません。でもおれたちは戦いました」
阿万六郎が膝の上で拳を握っている。
「能登守、平教経」
「ほう」
「鬼神の如き将でした。まちがいありません。あれは能登守でした」
「自分も見ましたが、あれは紛うことなく。そして、自分は能登守であると名乗りました」
阿万六郎の言葉に、園部次郎がたたみかけた。
「判官殿。妄言に惑わされてはなりません。能登守は」
かたわらに控えていた継信が、角張った声で義経に耳打ちをする。
継信の言わんとしていることはわかる。能登守は一ノ谷の合戦で確かに獄門に処した。いかに強い将とはいえ、ひとだ。死してのち、よみがえることなどありえない。
「化け物じゃあるまいに」
伊勢三郎がぼやいた。
「おもしろい」
義経は久々に体中に血が巡るのを感じた。合戦前に、いてもたってもいられなくなるような。いわゆる、ときめく、というやつである。東国武士たちの苦戦に続き、今度は能登守ときたか。
あやかし、かもねぇ。口のなかで小さく呟くと、継信が眉をひそめた。
「おれたちをあなたの麾下に加えてはいただけないでしょうか、源氏のためにお役に立たせてください」
額を床にこすりつける阿万六郎とは対照的に、園部次郎は眉の一つも動かさない。
「それはかまいませんけど」
淡路国の阿万六郎や紀伊国の園部次郎は、水軍を有しているだろう。義経と繋がりのある摂津国の渡辺党も水軍を有しているが、それだけでは平家の大舟団にはかなわない。両人の力はいずれ役に立つだろう。
「四国の阿波国に、近藤六郎というものがおります」
唐突に、園部次郎が身を乗りだした。
「源氏に心を寄せているのですが、いかんせん」
「四国の屋島には、主上のおわす御所がありましょう」
義経の言葉に、園部次郎がうなずく。
「いまはなんとか凌いでおりますが、平家が力をつけてくれば、いずれ近藤も耐えきれなくなります」
「なるほど」
義経は口元を手で覆った。頭のなかに絵図を思い描く。
阿万六郎は、その名のとおり阿万荘のものだろう。阿万荘は、たしか淡路国の南端にあったはずだ。園部次郎は紀伊国から来たと言っていた。紀伊国の園部次郎が、四国阿波国の近藤六郎と面識があるのだとすれば、彼らの交流の範囲は広いものだと思う。
おそらく西海の小島や沿岸部の様々な勢力と、海を通じて結びついているのだろう。そういった節を、義経は摂津国衙でも感じていた。
摂津国渡辺津――淀川河口に位置する港湾である。ここにはおどろくほど雑多なひとやものが溢れていた。渡辺党も阿万六郎や園部次郎のように、実にさまざまな地域のものたちと繋がっている。
海の民はおもしろい。
京都は国の中心ではあるが、どこか閉ざされた雰囲気がある。義経はそれに退屈していた。おのれの生きる場所はこんな場所ではないはずだ。こんなところで院やその近臣たちの顔色をうかがっているなど性にあわない。
なんのために奥州から飛びだしたのか。義経は自問自答の日々を送っていた。能登守を見たというものがいるのであれば、なおさら。
それに、範頼率いる大軍勢が能登守の噂をどう受け止めているかはわからないが、下手をすれば西国の武士たちが掌をかえし、形勢逆転となるする可能性も捨てきれない。
この状況では早期決戦が有利だというのに、彼らの――否、『海上が穏やかな時期に決戦』という方針を崩さない鎌倉の意向に、義経は呆れるばかりだった。
「おれが、立てばよいか」
「九郎殿!」
継信が義経の袖を抑えた。言外に、西海のことに関しては鎌倉の沙汰を仰げと言っているのだろう。もっともである。
義経は検非違使少尉だ。それは兄である頼朝と後白河法皇の合意の上で決められたことだ。京都の治安を担えということであり、おいそれと都を離れることもままならない。
「院は渋るだろうなあ」
「院も鎌倉も、双方から納得はいただけますまい」
つんと唇を尖らせた継信の顔がおかしくて、義経は思わず噴きだした。笑う義経を見て、継信は心外だというように目を見開く。きりりとつり上がった目尻が、真っ赤に染まっていた。
「もし、お二方――おれの麾下に加わりたいと言いましたよね」
「は、はい」
義経の言葉に、阿万六郎がぎこちなくうなずいた。
「その近藤六郎殿とおれを、繋いではくれませんか」
「と、いうと」
「そして、紀伊の熊野水軍」
義経は阿万六郎の問いを無視した。困惑した表情を浮かべる阿万六郎に対し、園部次郎はむっつりと押し黙ったままである。腕を組み、やや間をあけたのち口を開く。
「熊野水軍が源氏につくように説得してみせろと、そうもうされておりますか」
「兄である三河守の率いる坂東からの軍勢にも言えることですが」
「舟が足りないのですな」
「ええ、足りません。平家の主力は水軍でしょう。海に逃れられては、我々の騎馬とて、文字どおり手も足もだせません」
「熊野の連中は気難しいですよ」
義経は、打てば響くような返答をする園部次郎が気にいった。
「阿万殿、わたしはあなたを頼りにしております」
園部次郎とは対照的に目を白黒とさせるばかりの阿万六郎の手を義経は握ってやった。すると、阿万六郎は声のならない声をあげ、頻りに首を振った。効果てきめんである。
こういったひとの誑かしかたは、兄頼朝から学んだことだ。継信がじっとりとした目で見ていた。継信は堅い男である。上辺だけ取り繕ったような態度をよしとしない。
しかし、京都にいてはそういう継信ですら毒される。昔であれば、危ういかけひきをする義経をとめたであろう継信も、ただ黙るということを覚えたようだ。
「ときに園部殿」
「はい」
「貴殿はもとより剃髪しておられたのです?」
「いえ、これは」
「負けた腹いせに自分で髪を剃ったんですよ」
阿万六郎がへらりと言う。
「負けた腹いせに。では、法名はないのですか」
義経の問いの意味がわからなかったのか、園部次郎が片眉をつりあげた。
「僧形のものを俗名で呼ぶのは気が引けるというか」
義経は小鳥のように首をかしげてみせる。園部次郎はそれを無邪気と受けとったようで、ふっと表情を緩めた。
「好きに呼んでいただいてかまいませんよ」
「では、べんけい弁慶としましょう。いまから貴殿は弁慶だ」
「弁慶って、九郎殿そいつ、弁慶?」
伊勢三郎が指をさして笑う。
「四代目ですね」
継信が、やれやれと言うように目を細めた。
「九郎殿、本当に僧兵好きっすね」
手を叩いて笑い続ける伊勢三郎を、継信が肘で小突いた。
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