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渡辺津
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数日後。通信は景時と浮夏とともに摂津国衙に向かった。
国衙の敷地内にある一室に集められたのは、源義経、梶原景時を筆頭として、通信、浮夏御前。それから通信の見知らぬ男が二人だった。一人は僧形、もう一人は、浮夏と顔を合わせたとたん短い悲鳴をあげた。
部屋の中央には木組みの簡素な台があり、その上には西海の絵図が置かれている。それをかこむようにして、その場にいる全員が絵図をのぞきこんだ。
「では、はじめに梶原殿にご説明いただきますか」
「おれからかよ」
「梶原殿が待てというのですから、当然ではありませんか」
「まず、現状の三河殿の動きを説明したほうがいいか?」
義経に促され渋々といった様子で、景時は絵図の上に指を置いた。
「いま三河殿と和田別当率いる東国の軍勢は、西海の武士たちの協力を得ながら周防のあたりにいる。一度はこっちの、彦島の目前まで陸路で行ったが、舟がなくて渡海を断念した。ただ、安芸、周防、長門の平家方の与党は、進軍の過程で掃討したといっていい。いわみ石見はもう抑えてあるので。かねてより源氏方の臼杵、緒方の両氏による舟の準備が整いしだい、軍勢は豊後国に渡り、そこから一気に北へ攻めこむ」
その場にいた全員の目が、景時の指先を追っていた。月末か来月の頭には、九州に位置する平家の拠点の一つ、彦島を落とそうという算段だということだ。
「でだ。要するに、いまこっちを」
景時が屋島を指す。
「引っかきまわされると、彦島と九州のほうに平家の主力が行っちまう。そいつはできれば避けてもらいたいのよ」
「なぜです」
「海上和気の頃に屋島にて決戦。これが鎌倉殿の指示だからよ」
「鎌倉は西国のことがわかっていないのではないでしょうか。この戦は早く終わらせなければ、我々の不利となります。兵糧が少なく士気も低くなる一方だという話は、京都にまで届いていました」
確かに義経の言っていることは正しい。通信は顎をさすった。西国の侍たちは、源氏と平家のあいだで常に揺れている。
「おれも判官殿と同意見ですよ、だからここまできた」
大げさに肩をすくめて見せた景時の態度が気にいらなかったのか、義経が頬を引きつらせた。
「わたしはなにも平家勢を本格的に攻撃するとはいってない。能登守の首さえ獲ることが叶えばいい。それが皆の助けにも繋がるはずだ」
「仰っていることはわかりますよ」
通信はひそかに頷いた。猛将能登守が梟首されたと知って、平家から源氏に寝返ったものも多くいるだろう。そして、自分自身が誰よりも能登守の恐ろしさを知っている。
「わかっていて、なぜ引き止めるのですか」
義経が、景時をなじった。
「判官殿の屋島攻めを九州の連中……三河殿率いるあの軍勢が知ったらどう思うとお考えです」
「彦島に平家の軍勢が集中したとしてなんだというのです。兄の軍勢のほうが兵の数は多いはずです。むしろ手柄になる首が増えたと感謝するのでは」
「本当にそうですかねぇ。兵たちが判官殿の活躍を聞いたら、三河殿の面子はどうなります」
「意外ですね。あなたが他人の面子を気に掛けるのですか」
「三河殿はあの大軍勢の大将だ。いまあの軍勢の足並みを崩すことが得策だとお思いで? なら、前線の兵のことをわかっていないのは、あなたも同じなのではないですかねぇ」
「……」
景時の嫌味な言い回しに、義経が爪を噛んだ。
「だから、ここは妥協しませんか。ただ勝てばいいんだったら、それでもいいかもしれないですよ? 問題なのは、おれたちにはそれ以外の命題も課せられているんです、お忘れかもしれませんが」
「主上の御無事、神器の奪還」
「それから平家との和睦も追加で」
義経の呟きに、景時が調子よくあわせる。
「それは鎌倉の方針であって、院の指示ではないことです」
睨めつける義経の感情など気にもとめていないのだろう。景時が、ふふんと鼻で笑った。
「それらをつつがなく行うには、四国のほうが都合が良いんだわ」
「海上から包囲して、平家勢を陸地に追いこむのですね」
「まあ要するに。九州のほうも、いますぐ決戦と言われたって準備が整ってないんですわ。これだけの作戦だ。本来であれば海上のおだやかな五月ごろに向けて想定していたんだもの」
室内の空気が淀んでいる。通信は手の甲に顎をのせて、ぼんやりと絵図を眺めていた。
「あれだけの数があってですか」
「数があってもです」
「弱い」
「かよわいんもんですよ、兵なんて」
吐き捨てるように言った景時が、義経に正対する。
「じゃ、今度はこっちが聞きたい。おれが文覚聖人に頼みこんで、遠藤の舟を浚ってなければ、判官殿は明日にでも四国に攻め入ろうとしていたように見えたんだが、あってます?」
小馬鹿にするような態度の景時に、義経は無言で肯定を示した。
「判官殿がみずから率いるといえども、さすがに兵の数が少なすぎるんじゃないですかねぇ。想像するに、あんたがた四国にお仲間がいるんだ。違います?」
「その点についてはわたしから。弁慶と申します」
それまで黙りこくっていた、僧兵姿の男が口を開いた。
「あれ、弁慶って確か死んだんじゃなかったっけ? まあいいや。はい、どうぞ」
面と向かって、「死んでいる」と指摘されたにもかかわらず、僧兵は平然としていた。
「この度、拙者とこの阿万六郎は紀伊国から四国へと渡って参りました。四国には近藤六郎親家という男がおります。この男の一族が源氏に心を寄せております。しかしながら、やはり田口の勢力にはかなわず」
阿万――は、たしか浮夏の嫁ぎ先ではなかったか。通信はおもわず浮夏を見た。しかし浮夏は憮然とした態度で押し黙っているだけだった。
「そこで判官殿のご指示により、この近藤に源氏への忠誠を問いただし、ここに証文を」
弁慶は懐から書状を取りだすと、それを絵図の上に置いた。
「その近藤の軍、数はいかほど」
「百騎は」
義経の問いに、弁慶が答える。
「京都からの百騎、四国の百騎、それから摂津国の軍勢――あわせたって三百騎でなんとかしようとしていたってことです?」
「それ以上になると兵糧に無理がでる。兵や馬の輸送も一度には不可能だ。それにわたしが京都から長く離れるわけにもいかないでしょう」
「そりゃそうでしょうけど、そんな少数で」
景時が、しきりに顎髭を触っている。
「伊予国の河野四郎殿を梶原殿がここに帯同してきたということから、まあ、つまり結局、いつわたしたちは渡辺津を出ればいい」
通信には、まだなにも本題が見えていなかった。しかし義経はすでに理解をしているようだ。痺れを切らしたように景時に迫っている。通信は忸怩たる思いにかられた。それと同時に、腹の底から悔しさが沸いてくる。
「三河殿と歩調をあわせてください。あちらにも急いで貰いますから。想像するに二月の半ばになるかと」
「そんなに待てというのですか」
「じゃあどうぞ、京都へお帰りください判官殿」
国衙の敷地内にある一室に集められたのは、源義経、梶原景時を筆頭として、通信、浮夏御前。それから通信の見知らぬ男が二人だった。一人は僧形、もう一人は、浮夏と顔を合わせたとたん短い悲鳴をあげた。
部屋の中央には木組みの簡素な台があり、その上には西海の絵図が置かれている。それをかこむようにして、その場にいる全員が絵図をのぞきこんだ。
「では、はじめに梶原殿にご説明いただきますか」
「おれからかよ」
「梶原殿が待てというのですから、当然ではありませんか」
「まず、現状の三河殿の動きを説明したほうがいいか?」
義経に促され渋々といった様子で、景時は絵図の上に指を置いた。
「いま三河殿と和田別当率いる東国の軍勢は、西海の武士たちの協力を得ながら周防のあたりにいる。一度はこっちの、彦島の目前まで陸路で行ったが、舟がなくて渡海を断念した。ただ、安芸、周防、長門の平家方の与党は、進軍の過程で掃討したといっていい。いわみ石見はもう抑えてあるので。かねてより源氏方の臼杵、緒方の両氏による舟の準備が整いしだい、軍勢は豊後国に渡り、そこから一気に北へ攻めこむ」
その場にいた全員の目が、景時の指先を追っていた。月末か来月の頭には、九州に位置する平家の拠点の一つ、彦島を落とそうという算段だということだ。
「でだ。要するに、いまこっちを」
景時が屋島を指す。
「引っかきまわされると、彦島と九州のほうに平家の主力が行っちまう。そいつはできれば避けてもらいたいのよ」
「なぜです」
「海上和気の頃に屋島にて決戦。これが鎌倉殿の指示だからよ」
「鎌倉は西国のことがわかっていないのではないでしょうか。この戦は早く終わらせなければ、我々の不利となります。兵糧が少なく士気も低くなる一方だという話は、京都にまで届いていました」
確かに義経の言っていることは正しい。通信は顎をさすった。西国の侍たちは、源氏と平家のあいだで常に揺れている。
「おれも判官殿と同意見ですよ、だからここまできた」
大げさに肩をすくめて見せた景時の態度が気にいらなかったのか、義経が頬を引きつらせた。
「わたしはなにも平家勢を本格的に攻撃するとはいってない。能登守の首さえ獲ることが叶えばいい。それが皆の助けにも繋がるはずだ」
「仰っていることはわかりますよ」
通信はひそかに頷いた。猛将能登守が梟首されたと知って、平家から源氏に寝返ったものも多くいるだろう。そして、自分自身が誰よりも能登守の恐ろしさを知っている。
「わかっていて、なぜ引き止めるのですか」
義経が、景時をなじった。
「判官殿の屋島攻めを九州の連中……三河殿率いるあの軍勢が知ったらどう思うとお考えです」
「彦島に平家の軍勢が集中したとしてなんだというのです。兄の軍勢のほうが兵の数は多いはずです。むしろ手柄になる首が増えたと感謝するのでは」
「本当にそうですかねぇ。兵たちが判官殿の活躍を聞いたら、三河殿の面子はどうなります」
「意外ですね。あなたが他人の面子を気に掛けるのですか」
「三河殿はあの大軍勢の大将だ。いまあの軍勢の足並みを崩すことが得策だとお思いで? なら、前線の兵のことをわかっていないのは、あなたも同じなのではないですかねぇ」
「……」
景時の嫌味な言い回しに、義経が爪を噛んだ。
「だから、ここは妥協しませんか。ただ勝てばいいんだったら、それでもいいかもしれないですよ? 問題なのは、おれたちにはそれ以外の命題も課せられているんです、お忘れかもしれませんが」
「主上の御無事、神器の奪還」
「それから平家との和睦も追加で」
義経の呟きに、景時が調子よくあわせる。
「それは鎌倉の方針であって、院の指示ではないことです」
睨めつける義経の感情など気にもとめていないのだろう。景時が、ふふんと鼻で笑った。
「それらをつつがなく行うには、四国のほうが都合が良いんだわ」
「海上から包囲して、平家勢を陸地に追いこむのですね」
「まあ要するに。九州のほうも、いますぐ決戦と言われたって準備が整ってないんですわ。これだけの作戦だ。本来であれば海上のおだやかな五月ごろに向けて想定していたんだもの」
室内の空気が淀んでいる。通信は手の甲に顎をのせて、ぼんやりと絵図を眺めていた。
「あれだけの数があってですか」
「数があってもです」
「弱い」
「かよわいんもんですよ、兵なんて」
吐き捨てるように言った景時が、義経に正対する。
「じゃ、今度はこっちが聞きたい。おれが文覚聖人に頼みこんで、遠藤の舟を浚ってなければ、判官殿は明日にでも四国に攻め入ろうとしていたように見えたんだが、あってます?」
小馬鹿にするような態度の景時に、義経は無言で肯定を示した。
「判官殿がみずから率いるといえども、さすがに兵の数が少なすぎるんじゃないですかねぇ。想像するに、あんたがた四国にお仲間がいるんだ。違います?」
「その点についてはわたしから。弁慶と申します」
それまで黙りこくっていた、僧兵姿の男が口を開いた。
「あれ、弁慶って確か死んだんじゃなかったっけ? まあいいや。はい、どうぞ」
面と向かって、「死んでいる」と指摘されたにもかかわらず、僧兵は平然としていた。
「この度、拙者とこの阿万六郎は紀伊国から四国へと渡って参りました。四国には近藤六郎親家という男がおります。この男の一族が源氏に心を寄せております。しかしながら、やはり田口の勢力にはかなわず」
阿万――は、たしか浮夏の嫁ぎ先ではなかったか。通信はおもわず浮夏を見た。しかし浮夏は憮然とした態度で押し黙っているだけだった。
「そこで判官殿のご指示により、この近藤に源氏への忠誠を問いただし、ここに証文を」
弁慶は懐から書状を取りだすと、それを絵図の上に置いた。
「その近藤の軍、数はいかほど」
「百騎は」
義経の問いに、弁慶が答える。
「京都からの百騎、四国の百騎、それから摂津国の軍勢――あわせたって三百騎でなんとかしようとしていたってことです?」
「それ以上になると兵糧に無理がでる。兵や馬の輸送も一度には不可能だ。それにわたしが京都から長く離れるわけにもいかないでしょう」
「そりゃそうでしょうけど、そんな少数で」
景時が、しきりに顎髭を触っている。
「伊予国の河野四郎殿を梶原殿がここに帯同してきたということから、まあ、つまり結局、いつわたしたちは渡辺津を出ればいい」
通信には、まだなにも本題が見えていなかった。しかし義経はすでに理解をしているようだ。痺れを切らしたように景時に迫っている。通信は忸怩たる思いにかられた。それと同時に、腹の底から悔しさが沸いてくる。
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