屋島に咲く

モトコ

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渡辺津

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 景時も、引く気は微塵もないらしい。徴発するように部屋の出口を指した。通信の背を、ひやりとしたものが流れ落ちる。

「おれ――わたしのことは一回、横に置いてください。長きにわたる東国兵の遠征で、民がどれだけ犠牲になっていると思っているのですか」

 普段、どちらかといえば淡々とした印象のある義経の声がうわずった。

「どれだけ? どれだけでも。しかたがないことでしょう」
「民が疲弊すれば田畑は荒れる。耕す手のない田畑から実りを得ることはできません」
「田畑など、おれたちが耕せばいい。おれたちだって民ですよ」

 景時がしれっと言ってのける。

「それとも院からなにか言われてらっしゃる」

 義経が眉をひそめた。

「判官殿はお優しいですよ。でもそれ嫌味でしかないでしょう。判官殿は下々のものどもを知らないんだ。それで守ってやんなきゃなんて、お節介じゃないですかねぇ」
「さすが兵糧を得るために寺を焼く男は言うことがちがう」
「おれたちが生き残るためです」

 通信は二人の応酬を眺めていることしかできなかった。否、この場にいるだれもが口を挟もうとしなかった。この口論はなんだ。そもそも義経も景時も、本気でそのようなことを考えているのだろうか。

「坂東のものを舐めくさるなよ、判官殿。おれたちは、ずっとそうやって戦ってきた」
「でもそれに嫌気がさしたから、あなたたちは兄上を担ぎだしたんじゃないのですか。戦いに倦んだから」
「なに」

 これは普段から互いに互いが気にいらないもの同士の、ただの水かけ論争なんじゃないのか。通信は興ざめした。

「矛盾していると思いますね」
「だから、さっきから言ってるじゃない。それのなにが悪いのよって。ただ個人の感情で、そのもとに犠牲になるものたちのことを考えられない、傲慢なやつよりはよっぽどまともで素直じゃねえか。おれたちは」

 坂東のことなど知ったことかよ――通信は言い争う景時と義経を、うっとうしく思った。当てつけに壁を蹴って、この場から去りたいという衝動をなんとかおさえる。こんな茶番を見せつけられている自分たちは、彼らに馬鹿にされているのだ。そう思うと、かっと頭に血がのぼった。

「おれは判官殿のやりかたのほうが、結局、死人が増えると思いますよ」
「戦場の死は武士の誉れではないのか」
「ほう。判官殿は、武士はみな死ねという」
「武士など」
「あの、いいですか?」

 たまらずに、通信は声をあげた。

「お二人は作戦がわかっていらっしゃるようなのですが、結局、おれたちはなにをすれば良いのでしょうか」

 通信の言葉に、それまで唾を飛ばしていた義経と景時が黙する。

「あと、そういう話はおれたちには関係ないと思います。おれは、おれの一族と所領を守ることができれば文句ありません。そのためにここにいる。みんなそうだと思いますけど、違います?」

 これみよがしにため息をついて、天井を仰いだ景時とは対照的に、義経は通信をじっと見つめていた。

「失礼。では、ここから先はわたしが話しましょう。よろしいですか梶原殿」
「はいはい、どうぞぉ」

 景時がくるりと背を向ける。

「つまり――兄の率いる東国の軍勢が、豊後国から九州北部を制圧します。彦島の拠点を潰し、平家の残存勢力を屋島に集結させる。それとほとんど同時となりますが二月早い時期、河野殿に伊予国で蜂起していただきます」
「伊予で、おれが」

 義経がうなずいた。

「伊予の河野勢を牽制するために、平家は兵を割かねばなりません。そうすると、必然的に動くのは田口の軍勢になるでしょう。この隙を突き、わたしの率いる少数精鋭の騎兵が、阿波の近藤六郎とともに田口を攻め、屋島の御所を焼きます。当然平家は舟で海に逃げるでしょう、それを」

 白くなめらかな指が、絵図の上に置かれた。

「九州の軍勢と合流した播磨国衙の水軍と、伊予側からは河野殿の水軍が包囲する」

 九州を指していた指先が、するすると動いて四国を撫でる。

「話が早くて助かりますわ。判官殿」

 軽い調子の景時を、義経がきっと睨みつけた。

「嫌味じゃないですよ、本心ですって」

 景時は顔の前で手を振ってみせた。さきほどまでの怒気はどこへやら、なんの禍根はないというような顔をしている。つくづく不思議な情緒の持ち主だと通信は思った。

「それでわたしの四国渡海には、沼島の水軍を阿万六郎殿が」
「無理」

 それまで沈黙していた浮夏が、義経の言葉を二文字で切る。

「ねえ、梶原殿。わたしの率いてきた沼島の舟は、うちの実家のものなんですよ。それをなんでこんな腰砕けの死にぞこないに」

 浮夏はかたわらにいた景時に上目づかいで訴えた。

「いや、こっちこそお断りだぜ。お前みたいなあばずれ女の手もとなんざいらねぇんだよ」
「はぁ? あんたが平家から逃げたあと、あたしがどれだけ大変だったかわかってんの?」
「そもそも阿万荘は、お前のものじゃねぇだろ」
「梶原殿が連中を蹴散らしてくれなかったら、どうなっていたことやら。あんたこそ阿万の領主じゃなくなっていたかもしれないねぇ。あたしは梶原殿には恩を感じているさ。だからここまで来たが?」

 なにやら色々刺さるところがあったのか、阿万六郎がぎりぎりと歯を食いしばった。浮夏の言うことによれば、この阿万六郎という男、結構なくそ野郎なのではないかと、通信は腹のうちでせせら笑った。笑いながらも、自分は阿万六郎を笑う資格はないと思いいたる。ちくりと、胸が痛んだ。

「まあまあ。痴話喧嘩はよそでやってもらえます?」

 景時は二人を宥めたつもりだったようだが、この余計な一言が浮夏の逆鱗に触れた。いまにも殴りあいになりそうな夫婦を、皆で押さえこむ。景時が浮夏を、弁慶が阿万六郎をつまみ出すようにして部屋をあとにした。

「四郎殿、さきほどは、お見苦しいところを」
「あ、いえ。こちらこそご無礼を」

 改まって頭を垂れる義経の所作に、通信は頬をかいた。

「わたしは言ってはならないことを言いかけました」

 伏せられた長い睫毛が、白い頬に影を落としている。通信は、ちりりと、それを燃やしてやりたいような衝動に駆られた。その冷たくすました面の皮を剥ぎとって、本当のかおを暴いてやろうかとすら思う。

 きっと頭が良いのだろう。通信には想像もつかないような、様々なものが見えているのだろう。いまはこうやって、しおらしくしている。物腰も丁寧だ。けれど、きっと、通信のことを見ていない。それをはっきりと感じた。
 いいひとは嫌いだ。都合のいいひとも嫌いだ。

 通信は息を吸った。せめて自分の腹のうちを見透かされないようにと、ほほえむ。

「そうなんですか?」
「ふふ、お気づきではなかったと」
「買いかぶりすぎですよ。おれはあなたのように賢くありませんから」
「でも、梶原殿は四郎殿のことを買ってらっしゃる」
「そうですかねぇ。あんまり嬉しくはないかも」
「同情しますよ」

 通信の言葉を聞いて、一瞬きょとんとした表情を浮かべた義経は、言葉の意味に気がついたのだろう。にやりと笑った。

「ご武運を」
「九郎殿も」

 そんな言葉を交わして別れた。
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