屋島に咲く

モトコ

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鹿島

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 小早川次郎景平こばやかわじろうかげひらは、風に揺られる柳の枝のような青年だった。

 背が高く、ひょろりとして手足ばかりが大きい。奥二重の切れ長の目が涼やかで、どことなく品があった。薄くぼやけた眉は少しハの字を描いていて、小さな口と尖った顎が、柔らかな印象を見るものに与えている。いわば優男というやつだ。

 海に白く靄がかかり、霜柱が溶けずに残る頃。宿に、この景平が郎等を引き連れ、ふらりとあらわれた。梶原の郎等たちとは既知の間柄なのだろう。だれに引きとめられることもなかった。

 彼が景時の言っていた、もう一人だろう。通信の顔をみるやいなや、「小早川次郎景平」と名乗り、かくんと顎を手前に出すような仕草を見せた。

 そのとき通信は、少ない荷物をまとめ馬の鞍にくくりつけている最中だった。馬は例の青鹿毛で、流黒ながれぐろと名づけていた。

「河野四郎通信です」
「ですよね」

 通信が名乗ると、景平がもそもそと答えた。外見からは想像がつかない、低く掠れた声である。年の頃は景高と変わらないか、もう少し若いのではないかと通信は思った。

 景平は、簀子に腰をおろすと長い足を組んだ。膝頭に両手を引っかけて、眠たそうにあくびをする。烏帽子の隙間からこぼれる柔らかそうな癖毛が、朝日に透けていた。

「あの、伊予に?」
「はい」

 風に流されてしまいそうな、ぼやけた返事をして、景平がぐっと背を伸ばす。

 冬鳥のさえずりが耳に冴えた。風の穏やかな、冬晴れの日である。陽向にいれば、ぽかぽかと暖かく、うとりと眠気が押しよせた。

「遅いっすね」
「え」
「平次」

 景平は若者らしい勝色かつじきの直垂を気怠そうにくつろげる。

 けきょり……はて、鶯だろうか。おぼつかない声に耳を澄ませる。梅のつぼみは、いまだかたく閉ざしたまま。しかしながら、かぐわしい香りが鼻腔をくすぐった。じきに春が来る。木漏れ日が優しい、そういう朝であった。

「先に行きます? あいつ遅刻癖あるんで」 
「親しいんですね」
「そうでもないです」
「……」

 会話が続かずに、通信は困惑した。景高を待たずに出発したところで、道中、この男と上手くやっていけるのだろうかと一抹の不安が胸をよぎる。

 思えば景高は口数が多い。だれかれかまわず気さくに話しかけては、場を盛りあげるようなところがあった。あの耳障りな声が、今日ほど恋しく思ったことはない。通信が途方に暮れていたそのときだ。

「もういいよ、どうせはだけるっしょ」

 待ち望んでいた雑音に、通信は飛び上がって振りかえった。数人の郎等たちにかこまれて、迷惑そうな表情を浮かべる景高がいた。郎等たちは景高の抗議には一切耳を貸さず、甲斐甲斐しく直垂のよれや烏帽子の紐をなおしている。されるがままといった様子の景高は珍しい。

「寝坊したでしょ、あんた」
「ちげぇし」
「いやいや、よだれ」

 慌てて口元を拭う景高を見て、景平が軽く手を叩きながら笑った。笑いかたまで、どこか気怠さのある男だと通信は思った。

「嘘かよ」

 口のなかでぶつぶつと文句を言いながら、景高が両手で顔をこする。本当にいましがた起床したのだろう。

 景平が、ぼんやりと突っ立っている景高の背を押して、敷地の外に出る。郎等たちが馬をひいてきて、半分眠ったままの景高を手際よく鞍の上に押しあげた。

「お前たち、行くぞ!」

 そう言い放った景高の目蓋は、ほとんど伏せられていた。

 渡辺津を出ると、景高と景平は各々の郎等を二人ずつ斥候に出した。自分たちの背後にも距離をとらせて四騎を配す。疾くという旅でもないので基本は並足である。途中、馬の扱いに関して、通信は景高たちに揶揄された。

 そうこうしているうちに、摂津国の境をこえ播磨国に入る。

 播磨国からしばらくは、通信には馴染みのある景色が広がっている。すなわち急峻な山壁と海に挟まれた狭い土地に、ひとの営みが凝縮しているというものだ。しかし景高にとっては珍しいようで、度々景色を見回しては一人うなずいていた。

 景高いわく、坂東は、とにかく平べったいのだという。どこまでも平原が広がる景色というものがどういうものなのか、通信には想像がつかなかった。

 一方で景平は、坂東すべてが平地ではないといった。景平の拠する地は、相模国といってもどちらかといえば伊豆国に近いらしい。さらに信濃国しなののくになどは海がなく、四方を山にかこまれているということだ。

 海のない生活――通信には理解しがたいものである。不便ではないのかと問うと、住んでいた頃は不便だと思わなかったが、海のある暮らしのほうがいい――と、景平は気怠げに答えた。

 通信たち一行は無理をせず、明るいうちに野営の支度をすることにした。斥候に出ていた四騎がほどよい場所を見つけたらしい。

 郎等たちが、すぐに馬の鞍をとり、水を与える。今木城から敗走していたときにも思ったが、景高についている郎等たちは手際が良い。おそらくこういった旅路や行軍になれているのだろう。普段から狩りなどをとおして訓練をしているのかもしれない。

 景高は、なにかと仕切りたがる性分で、郎等たちに口やかましく指図をしていた。

 端のほうで景平の郎等が火をおこしている。手持ち無沙汰の通信は、みずから火の番を買って出た。小さな火種を消さないように、枯れ葉や乾いた小枝をくべる。

「なにぼさっとしてんだよ、やれることねぇなら帰ればか」

 遠くのほうで景高の声が響いた。あいかわらずの罵詈雑言である。ただ、嫌味がないので馴れてしまう。通信ですらそうなのだから、郎等たちにとっては、すっかりお馴染みのものなのだろう。

「馬の上で寝ていたやつが言うことじゃないよね」

 気がつくと背後に景平が立っていた。袖のうちから松ぼっくりを取りだすと、炎のなかに投げ入れる。

「小早川殿と平次は、付きあいが長いんですか」
「次郎でいいです、四郎……殿」

 景平は通信の横にしゃがみこみ、手にしていた枝の皮を小刀で剥いだ。

「平次とは、元服したくらいに知りあいましたかね。おれが信濃国から相模国に来てすぐ。だから、まあ、腐れ縁」
「信濃から」
「おれ、養子なんすでよね。土肥家の」

 景平が木の皮の削り滓を火のなかに撒く。ぱちっと音がして火の粉が爆ぜた。

「土肥……土肥次郎殿?」
「ああ、知ってるんだ。あれ、おれのじいさん」

 通信は土肥實平の、どこか愛嬌のある厳つい顔を思いだした。

「養父が小早川を名乗ってるから小早川」
「ふぅん」

 炎が大きくなってきた。通信が枝を無造作に投げいれようとすると、景平に手を制された。景平は、さきほど剥っていた木を、さらに細長く割いたものを、几帳面に火にくべる。

「べつに平次と仲が良いわけじゃない、と思う」

 烏帽子から零れた髪を耳にかけながら、景平がこぼす。

「まあ平次も、平次の父親おやじさんもあんな感じだから。おれのことを腫れ物みたいには扱わないじゃない」
「腫れ物?」
「ま、色々あるでしょ。人生」

 火照ったのか景平がのけぞった。直垂の襟をつかみあおぐ。

「ちがっ、そうじゃねぇっつの。お前、なんべん言ったらわかんだよ!」

 遠くのほうから景高の鼓膜に響く声が聞こえてきた。いいかげん様子を見に行ったほうが良さそうだ。通信は膝に力をいれた。
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