屋島に咲く

モトコ

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鹿島

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 美津は、三年前に通信のもとに嫁いできた。

 平家方である新居玉氏にいたまうじの娘であり、つまり新居と河野の不可侵の約定のための存在でしかなかった。ほとんど人質といってもいい。

 嫁いできたとき、美津はまだ十四歳と幼かった。はじめて彼女と対面したときに、精巧につくられた人形なのではないかと錯覚したほどに、儚げな少女だった。

 体のつくりも、目も鼻も、すべてがちまちまとしている。小さな赤い唇からのぞく前歯だけが少し大きくて、まるで野ねずみのようだ。野いちごでも添えたら、きっとよく似合うだろう。ふと、そんなことを考えさせるような、片手で簡単に絞め殺せてしまいそうな、ちょっと触るのも危なっかしいと思わせる女だった。

 通信は美津が苦手だった。

 気を引こうとしているのか、それとも通信に嫌われまいとしてなのか、美津はいつも通信の言いなりであった。どんなにか理不尽なことを求めても、できるかぎりのことには応えようとする。その献身が痛々しいと通信は感じてしまうのだ。それが身勝手だということもわかっていたが、どうしても受けとめられなかった。

 美津に尽くされれば尽くされるほどに、通信は言いようのない気持ちに苛まれた。ついつい気持ちが重たくなってしまい、それが苦痛で奥に顔を出すのが億劫になった。

 かといって、自分から美津を実家に返してしまうと、義父の玉氏から恨まれかねない。新居にあまり刺激は与えたくなかった。ゆえに、なんとしても美津の口から、離縁を申し出させたかった。

 しかし、美津は頑なだった。どんなに冷たくあしらわれても、一途に通信を慕ってきた。もしかしたら通信だけが頼るべきひとであると思いこんでいるのかもしれないが、そんなことはない。まだ若い美津は、いくらでも再嫁することができる。少し機転の利かないところはあるが、かえってそういう女のほうが好みだという男もいる。

 ことさらに見目が悪いわけでもない。むしろ最近の彼女は、嫁いできたばかりの頃の、庇護を必要とするかのような儚げな少女ではなくなっていた。太腿の曲線や腰のくびれが色めいて、笑ったときのかんばせなどは、むしろ咲き誇る芙蓉の花ようですらあった。

 通信が城に戻ってきたことは美津も知っているはずだ。しかし、久しぶりに帰ったというのに顔も出さなかった通信に、美津は文句の一つも言ってこない。きっと、いつ訪れるかわからない通信のことを、ひたすらに待っているのだろう。通信は美津のそういう健気さから、たまらなく逃げたくなるのである。

「あ!」

 御簾をまくり上げ部屋に入ると、鈴の音のような声がした。

「やっと来てくださったのですね」

 美津は、あどけない舌っ足らずなしゃべりかたをする。鼻にかかった気の抜けたような声が甘ったるい。通信を見あげると困ったようにほほえんだ。

「色々あって」

 通信は自分の気持ちを悟られないように濁しながら、美津の前に座った。美津のまわりで繕い物をしていた侍女たちが、一礼すると几帳を隔てた向こう側へと下がる。

 美津は淡い紅色の袿姿であった。豊かでつややかな黒い髪が、肩から背へと流れている。

 健気に愛嬌を振りまく美津を見ると、こころが痛んだ。いつ死ぬかわからない、不誠実な男に寄り添うのは、どんな気持ちだろう。けれど、自分以外のだれにもこの花を見せたくないという気持ちも同時にあって、それが通信の胸のうちをかき乱す。

 だから、会いたくない。だから嫌いだ。

 美津の父である新居玉氏は、たくさんいる彼の子供たちので、とくに美津を大切に思っていたようだ。いまでも美津が玉氏に、折にふれて手紙や贈り物などを送っているらしいということは、通信も知っていた。

 きっと自分は恨まれているだろう。通信は、美津の笑顔を勘ぐらずにはいられなかった。

「あの」

 美津は文箱を引きよせると、そのなかから小さな袋状のものを取りだした。

「これを、受け取っていただけますか?」

 掛守だった。

「奥様がお一人でお作りになったのですよ」

 几帳の向こう側から侍女の一人が口を挟む。

「あんまり上手じゃなくって」
「首を落とされたときに、女々しいと思われたくない」
「あ」

 はっとしたように美津が目を丸くした。

「そ……そうですよね、わたしの考えが足りませんでした」

 拗ねてみせるなり怒るなりしてくれたのならば、どんなによかっただろう。美津は悲しそうに笑うと、掛守をそっと文箱にしまう。通信は、ため息をついた。胸のうちが罪悪感に満たされる。額をかいた。皰がつぶれて血が滲む。しばし、互いに向かい合ったままで会話もなく時が過ぎていった。

「お前に頼みがある」

 気まずい沈黙に耐えられなくなった通信は、言葉をきりだした。うつむいていた美津が顔をあげる。その目が淡い期待に輝いていた。

「はい、はい。わたしにできることならば、なんでも」
「お父上に伝えて欲しいことがある」
「まあ、父へ。それはどのような」
「おれはこれから伊予で戦をする」

 美津は、小鳥のように首をかしげた。

「三谷の高市を襲う」
「まあ」
「新居と高市は親族であろう。なにも手出しをしないように言って欲しい。匿うこともしてくれるなと」
「では、またしばらくお会いできませんの」

 おそらく美津には、言いたいことがまったく伝わっていない。通信は途方にくれた。

「実家に帰れと言っている」
「え?」
「この城も巻きこまれるかもしれない。ことによっては、お前のお父上とも殺し合うことになるぞ、おれは」
「それでは、わたしがここにいる意味がなくなってしまいます」
「そうだ。意味がなくなる。だから帰ってくれ」

 美津の表情が強ばる。膝の上でそろえられた小さな指先には、桜貝のような美しい爪が並んでいる。ふつふつと沸きあがってくる、なんともいえない感情を、通信は胸のうちに押しとどめた。

「お前にとって、おれは憎い男でしかないだろ」
「そんなこと」
「おれは良い夫ではないだろ」
「いいえ、わたしは嫁いできてからこのかた、不自由をしたことはありません」
「おれではなくて、もっとお前を大切にする男に尽くしてやれよ」

 吐き捨てるように言うと、ついに美津が涙を浮かべた。

「どうして、わたしをいじめるのですか」

 これだから、この女はいやだ――通信は、額を手で覆った。

「わたしを嫌わないでください」

 どうしようもない面倒臭さである。目の前で、さめざめと涙を流す女には、もうこれ以上かける言葉がない。きっと、なにを言っても伝わらないだろう。

 通信は懐から書状を取りだし、美津に投げ寄こした。玉氏に宛てた手紙である。

「すぐに奥に支度をさせろ。明日中に、出ていってもらう」

 通信は、几帳の向こう側で聞き耳を立てているだろう侍女たちに命じた。
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