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比志城
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早朝。まだ日の昇らない刻限に、通信は目覚めた。
おろしたての白い直垂に袖をとおす。演習は近隣の平家勢への威嚇であると同時に、鹿島の神への奉納演舞でもある。侍烏帽子の紐も、あわせて白いものとした。
外に出る。
高縄城は、その名の示すとおり高縄山に築かれた山城である。父の代まで平時は山の麓の館に居住していたが、父が討たれたのちは、ずっと山城に籠もっていた。
木々の隙間からは、朝靄に鹿島が霞んで見えた。細く長く棚引いた雲が、橙と青に薄く色づき、雲間からは清らかな朝日が束となって海にさしこんでいた。通信は澄んだ空気で胸を満たした。
一月二十五日――春の兆しはあれど、早朝の冷たい風がいまだ肌を刺す。
通信が港へ行くと、すでに多くのものが集まっていた。信家が兵の点呼をとっている。七郎が水夫たちに声を掛けてまわっていた。その他の郎等たちも、慌ただしそうに支度をしている。
みな白い直垂姿であった。弓を持ち、太刀を佩き、箙には矢を挿している。あるいは棒や熊手、鍵縄を持ったものたちもいた。
通信は少し離れたところに景高と景平の姿を見つけた。彼らも同じように白い直垂をまとっている。おそらく神経質な通経が手配したのだろう。二人は通信の姿を認めると、軽く手をあげた。
「二夜連続でお楽しみですか」
真顔で首を横に振ると、双方に肩を殴られた。いつもと変わらない二人とのかけあいに、通信は心が軽くなった。
「若、よろしいでしょうか」
忠員が通信の背後で跪く。
「本日の組みわけですが、お二人は若と同じ組がよろしいでしょうか」
「ふむん」
通信は、景高と景平を交互に見た。
「おれは舟、もういいよ」
「ばか、なんのために伊予に来たんだよ」
船酔いを思い出したのだろう。顔の前で手を振る景平を、景高がなじる。
「二人はおれとは別の組にしてみようか。忠員に二人を任せるよ」
「はあ」
「このあとのこともあるし、連携がとれるようにしてみたら?」
忠員が、曖昧にうなずいた。
「あ、そうだ。平次、ちょっと頼みがあるんだけど」
「なんだよ」
「神楽舞を」
「あ?」
「一応、戦勝祈願をかねての奉納演習だから、その」
「なんでおれが。巫女でも呼んでくりゃいいだろが」
「そこをなんとか」
「いいじゃん、踊ってあげれば」
景平が、にやにやと笑っている。
「次郎には鏑矢を」
「いや」
「ここにいる男たちのなかで、一番の弓取りだと思うので」
一番の弓取りという言葉に、景平が押し黙った。悪い気はしなかったのだろう。口をへの字に曲げている景高の肩を叩きながら舟に乗る。
中型の帆舟である。沼田から伊予に来るまでに乗った漁舟のような粗末な造りではなく、揺れも少ない。今日は快晴であり風も穏やかである。
中型舟四艘、小型舟十六艘、あわせて二十艘が港に浮かんでいた。舟にはすでに水夫が乗りこんでいる。通信たちの乗った中型舟だけが、赤と白の短冊で美しく飾られていた。
信家が兵たちに号令をかける。港で待機していた兵たちが、駆け足でそれぞれの舟に乗りこんだ。
「やるじゃん」
景高は兵たちの足並み揃った動きに感心したようだ。
「出航!」
通信は頭上で太刀を振りかざした。舟が前進する。これだけの数の舟が一斉に動きだす様子は、壮観だった。心地よい海風に模擬戦への期待が高まった。
まずは神事である。鹿島明神に祈りを捧げ、戦勝を願う。
港と鹿島のあいだに横たわる狭小な海。通信の乗った煌びやかな舟を中心にして、大小の舟がその後ろに並んだ。艫綱で舟体同士を繋ぐ。
潮騒が船団を包んでいた。
直垂を肩脱ぎした景平が帆柱の前に立っている。鏑矢を口元に運び、小さくなにかを呟いていた。視線は島に向けたままで、矢をつがえる。きりきりと弦を引き絞り、ぐっと矢先を天に向けた。
「南無八幡大菩薩」
景平の放った鏑矢が、ひょぉう――と高らかに鳴き、空を割った。見事な弧を描きながら島の稜線に消える。
「あ、しまった」
矢を放った直後、景平が小さく叫んで口元を手で押さえたのを、通信は聞き漏らさなかった。鹿島明神は八幡神ではない。しかし彼の弓が見事であったことは事実だ。「八幡大菩薩」と唱えたことは聞かなかったことにした。
鏑矢を合図にして、かぁんという澄んだ摺鉦の音が響きわたる。
顔を真っ赤に染めた景平に、ほとんど蹴り飛ばされるようなかたちで景高が舳先に立った。不服そうな顔をしていた景高だが、周囲の視線が自分に集まっていることに気がつくと、急に背筋を伸ばした。熱気に腹をくくったのだろう。つっと一歩、前に足を運ぶ。
すると景高の頭のてっぺんから爪先までが、一本の糸で吊られたようになった。両手で太刀を掲げ、島に向かい拝礼する。一挙手一投足がしなやかで美しい。太刀を抜いた。反りかえった刀身が、光を受けて鋭く光る。剣舞だ。
景高の力強い足さばきに、江口で見たような優雅さはない。邪気を払うように太刀を振る。
左右に展開している小舟が、拍子にあわせ舟体を右に左にと大きく揺さぶった。舟が揺れるたびに、水面が砕けて輝いた。
あるいは跳び、あるいは回り、最高潮に高まった囃子と摺鉦の音に煽られるように、景高の剣舞が鋭いものとなる。通信も併せて舞った。やがて一際強く打ち鳴らされた摺鉦が、剣舞を終わりへと導いた。余韻が、さざなみに吸いこまれる。
風音。潮騒。白い翼の海鳥が、みゃあと鳴いた。
ややあって、兵たちが箙を叩いてどよめいた。水夫は櫂で海面を叩き、港に集まっていた民草は大声で囃し立てている。
おろしたての白い直垂に袖をとおす。演習は近隣の平家勢への威嚇であると同時に、鹿島の神への奉納演舞でもある。侍烏帽子の紐も、あわせて白いものとした。
外に出る。
高縄城は、その名の示すとおり高縄山に築かれた山城である。父の代まで平時は山の麓の館に居住していたが、父が討たれたのちは、ずっと山城に籠もっていた。
木々の隙間からは、朝靄に鹿島が霞んで見えた。細く長く棚引いた雲が、橙と青に薄く色づき、雲間からは清らかな朝日が束となって海にさしこんでいた。通信は澄んだ空気で胸を満たした。
一月二十五日――春の兆しはあれど、早朝の冷たい風がいまだ肌を刺す。
通信が港へ行くと、すでに多くのものが集まっていた。信家が兵の点呼をとっている。七郎が水夫たちに声を掛けてまわっていた。その他の郎等たちも、慌ただしそうに支度をしている。
みな白い直垂姿であった。弓を持ち、太刀を佩き、箙には矢を挿している。あるいは棒や熊手、鍵縄を持ったものたちもいた。
通信は少し離れたところに景高と景平の姿を見つけた。彼らも同じように白い直垂をまとっている。おそらく神経質な通経が手配したのだろう。二人は通信の姿を認めると、軽く手をあげた。
「二夜連続でお楽しみですか」
真顔で首を横に振ると、双方に肩を殴られた。いつもと変わらない二人とのかけあいに、通信は心が軽くなった。
「若、よろしいでしょうか」
忠員が通信の背後で跪く。
「本日の組みわけですが、お二人は若と同じ組がよろしいでしょうか」
「ふむん」
通信は、景高と景平を交互に見た。
「おれは舟、もういいよ」
「ばか、なんのために伊予に来たんだよ」
船酔いを思い出したのだろう。顔の前で手を振る景平を、景高がなじる。
「二人はおれとは別の組にしてみようか。忠員に二人を任せるよ」
「はあ」
「このあとのこともあるし、連携がとれるようにしてみたら?」
忠員が、曖昧にうなずいた。
「あ、そうだ。平次、ちょっと頼みがあるんだけど」
「なんだよ」
「神楽舞を」
「あ?」
「一応、戦勝祈願をかねての奉納演習だから、その」
「なんでおれが。巫女でも呼んでくりゃいいだろが」
「そこをなんとか」
「いいじゃん、踊ってあげれば」
景平が、にやにやと笑っている。
「次郎には鏑矢を」
「いや」
「ここにいる男たちのなかで、一番の弓取りだと思うので」
一番の弓取りという言葉に、景平が押し黙った。悪い気はしなかったのだろう。口をへの字に曲げている景高の肩を叩きながら舟に乗る。
中型の帆舟である。沼田から伊予に来るまでに乗った漁舟のような粗末な造りではなく、揺れも少ない。今日は快晴であり風も穏やかである。
中型舟四艘、小型舟十六艘、あわせて二十艘が港に浮かんでいた。舟にはすでに水夫が乗りこんでいる。通信たちの乗った中型舟だけが、赤と白の短冊で美しく飾られていた。
信家が兵たちに号令をかける。港で待機していた兵たちが、駆け足でそれぞれの舟に乗りこんだ。
「やるじゃん」
景高は兵たちの足並み揃った動きに感心したようだ。
「出航!」
通信は頭上で太刀を振りかざした。舟が前進する。これだけの数の舟が一斉に動きだす様子は、壮観だった。心地よい海風に模擬戦への期待が高まった。
まずは神事である。鹿島明神に祈りを捧げ、戦勝を願う。
港と鹿島のあいだに横たわる狭小な海。通信の乗った煌びやかな舟を中心にして、大小の舟がその後ろに並んだ。艫綱で舟体同士を繋ぐ。
潮騒が船団を包んでいた。
直垂を肩脱ぎした景平が帆柱の前に立っている。鏑矢を口元に運び、小さくなにかを呟いていた。視線は島に向けたままで、矢をつがえる。きりきりと弦を引き絞り、ぐっと矢先を天に向けた。
「南無八幡大菩薩」
景平の放った鏑矢が、ひょぉう――と高らかに鳴き、空を割った。見事な弧を描きながら島の稜線に消える。
「あ、しまった」
矢を放った直後、景平が小さく叫んで口元を手で押さえたのを、通信は聞き漏らさなかった。鹿島明神は八幡神ではない。しかし彼の弓が見事であったことは事実だ。「八幡大菩薩」と唱えたことは聞かなかったことにした。
鏑矢を合図にして、かぁんという澄んだ摺鉦の音が響きわたる。
顔を真っ赤に染めた景平に、ほとんど蹴り飛ばされるようなかたちで景高が舳先に立った。不服そうな顔をしていた景高だが、周囲の視線が自分に集まっていることに気がつくと、急に背筋を伸ばした。熱気に腹をくくったのだろう。つっと一歩、前に足を運ぶ。
すると景高の頭のてっぺんから爪先までが、一本の糸で吊られたようになった。両手で太刀を掲げ、島に向かい拝礼する。一挙手一投足がしなやかで美しい。太刀を抜いた。反りかえった刀身が、光を受けて鋭く光る。剣舞だ。
景高の力強い足さばきに、江口で見たような優雅さはない。邪気を払うように太刀を振る。
左右に展開している小舟が、拍子にあわせ舟体を右に左にと大きく揺さぶった。舟が揺れるたびに、水面が砕けて輝いた。
あるいは跳び、あるいは回り、最高潮に高まった囃子と摺鉦の音に煽られるように、景高の剣舞が鋭いものとなる。通信も併せて舞った。やがて一際強く打ち鳴らされた摺鉦が、剣舞を終わりへと導いた。余韻が、さざなみに吸いこまれる。
風音。潮騒。白い翼の海鳥が、みゃあと鳴いた。
ややあって、兵たちが箙を叩いてどよめいた。水夫は櫂で海面を叩き、港に集まっていた民草は大声で囃し立てている。
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