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解纜(かいらん)
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それから、しばらくは細々とした国衙の仕事に追われており、阿万夫妻のことにかまけている暇がなかった。一月も終わりにさしかかり、さすがに舟のことを真剣に考えねばなるまいと、重い腰をあげた。
景時は熊野水軍を使えばいいと言っていた。しかし弁慶が報告するように、熊野水軍の動きは慎重であり、義経にも彼らを掌握することはできなかった。紀伊の熊野水軍に関しては、弁慶のほかにも熊野に縁のある叔父の源行家に依頼し、揺さぶりをかけてもらっていたが、やはり明確な反応は得られていない。
合理的なのは、やはり阿万夫妻を懐柔することだろう。舟の数も十分であり、淡路のものであればこそ、義経が渡海しようとしている航路を熟知している。
いざとなれば職権を利用して屈服させてしまえばいいのだが、それはあまりにも馬鹿馬鹿しいという気持ちがある。義経は、継信に阿万六郎を連れてくるように指示した。
「勘弁してくださいよ、判官殿」
連れてこられて早々に阿万六郎が音をあげた。おおよそ義経から言われることの想像がついていたのだろう。まだなにも声をかけていないにもかかわらず、阿万六郎は及び腰になって逃げようとしている。
「とはいえ、阿万殿。わたしたちは阿波の勝浦へいく舟をなんとかしなければなりません」
義経の穏やかな声を聞いて、阿万六郎がうつむいた。
「あいつが率いてきた舟は、たしかに沼島のものですよ」
「では、浮夏御前に出してもらいましょうかね」
継信が言うと、阿万六郎が目を剥いた。
「やつは女ですよ? そりゃあ、確かに女だてらに腕はありますけど」
「そこは認めるのですね」
「というか、もうお気づきでしょうが、おれは本当に舟を操ること以外はてんでだめなんですよ。だからあれとは男と女というよりも、正直相棒といった感じで」
言いにくそうに阿万六郎が口のなかで呟いた。
「思うに、阿万殿が謝罪すればいいだけなのでは」
継信が首をかしげる。
「いや、確かにおれは……おれに非があるってのはわかってるんです。しかし、なんだってんです、ええ? 夫が死んだと思ったからって、自分から戦場に出てくる女がありますか」
「だって、相棒なんでしょう」
義経が言うと、阿万六郎が小鼻を膨らませた。
「でも、あんな野郎の言いなりっていうんじゃね。おもしろくないですよ」
「ほっほぉ」
嫉妬ではないか――義経と継信は顔を見あわせた。よりによって相手が、からっからに干からびた棒きれのような景時であるところに、なんともいえない趣きがある。
「ああ、もう」
義経と継信の生暖かい視線に気がついたのだろう。阿万六郎が頭をかいた。
景時があと十歳若ければ殺しあいになっていたかもしれないなと、義経は不穏な想像をした。否、十年前の景時も、いまの姿と変わらないような気もする。
「ふふ」
「なんで笑ったんです」
「もうしわけない」
「いやもういいですよ、いいですよ。どうせおれはだめな野郎だって思ってんでしょ。もう浮夏でいいですよ」
とうとう自暴自棄になったのか、阿万六郎が喚いた。
「でも、おれは口が裂けてもあいつに頼るなんて、そんなこと言えねえ。だから判官殿からあいつに言ってください」
「でも」
「お顔の綺麗な判官殿の言うことなら聞くでしょうよ!」
捨てぜりふを吐いて、阿万六郎はそれ以降うんともすんとも言わなくなってしまった。正直とても面倒くさい――顔に出ていたのか継信に袖を引かれた。
翌日。義経は沼島の舟が停泊している渚に足を運んだ。浮夏に会うためである。阿万六郎が吐いた捨てぜりふではないが、心のうちに、自分は女性から無碍にはされないだろうという自信はあった。
「これはこれは、判官殿」
義経の姿をみとめると初日の態度とはうってかわって、浮夏がうやうやしく頭をさげる。
「どうかしましたか」
「まあ、赤の他人が口を出すようなことではないと、わかっていますが」
「あの男の話なら、そうですねぇ」
浮夏がにんまりと笑う。女性特有の空恐ろしい表情に、義経は一瞬たじろいだ。
「話は弁慶からすべて聞きましたよ」
「弁慶?」
「園部殿です。剃髪して、いまは弁慶と」
「そう! あたし驚いたわ。園部の次男がまさかねぇ。まあいいんじゃない似合ってたし」
浮夏が腹を抱えて笑った。表情がころころと変わる様子は、見ているぶんには面白い。
「それで判官殿が足を運んでまで、なんの用です?」
笑いすぎてこぼれた涙を、直垂の袖で拭いながら浮夏が言う。
「正式にあなたに舟を出していただきたく、依頼したいと思います」
義経の言葉が信じられなかったのか、浮夏が素早く瞬きをした。
「それは、あの男が蹴ったから?」
「それもありますが、わたしとしては阿波の勝浦まで兵を運んでくれる舟があればいいのですから」
「勝った」
なにかを噛み締めるように、浮夏が胸の前で両手を握る。
「そうなると思ってたから、出航の準備はある程度、整えてあるわ」
そういうのはあいつ、からっきしだからね――とつけたして、浮夏がにやっと笑った。
「出航の日にちと、あと積むものを教えてくれたら、こっちでそれぞれの舟に割り振ってみるわ。それから水夫も荷役も少し足りないから、この港で人夫を雇いたいのよ。で、そのぶんの費用がね」
「そのあたりは国衙と交渉すれば足るでしょう。わたしからも声をかけておきます。それから、渡辺の一族と話をつけたいのであれば、渡辺眤殿を紹介します」
「なるほど。話が早くて助かるわ」
舟の上で浮夏の連れてきた沼島のものたちが、船内を掃除したり、帆の手入れをしたりと忙しなく働いている。浮夏が手を振ると、みな和気藹々としていい笑顔を浮かべた。阿万六郎の言うように、浮夏は他人になにか指図をしたり、ものごとを仕切ったりすることを得意としているようだった。頭の回転もはやい。舟のことは浮夏に任せていれば問題はないだろうと義経は思った。
景時は熊野水軍を使えばいいと言っていた。しかし弁慶が報告するように、熊野水軍の動きは慎重であり、義経にも彼らを掌握することはできなかった。紀伊の熊野水軍に関しては、弁慶のほかにも熊野に縁のある叔父の源行家に依頼し、揺さぶりをかけてもらっていたが、やはり明確な反応は得られていない。
合理的なのは、やはり阿万夫妻を懐柔することだろう。舟の数も十分であり、淡路のものであればこそ、義経が渡海しようとしている航路を熟知している。
いざとなれば職権を利用して屈服させてしまえばいいのだが、それはあまりにも馬鹿馬鹿しいという気持ちがある。義経は、継信に阿万六郎を連れてくるように指示した。
「勘弁してくださいよ、判官殿」
連れてこられて早々に阿万六郎が音をあげた。おおよそ義経から言われることの想像がついていたのだろう。まだなにも声をかけていないにもかかわらず、阿万六郎は及び腰になって逃げようとしている。
「とはいえ、阿万殿。わたしたちは阿波の勝浦へいく舟をなんとかしなければなりません」
義経の穏やかな声を聞いて、阿万六郎がうつむいた。
「あいつが率いてきた舟は、たしかに沼島のものですよ」
「では、浮夏御前に出してもらいましょうかね」
継信が言うと、阿万六郎が目を剥いた。
「やつは女ですよ? そりゃあ、確かに女だてらに腕はありますけど」
「そこは認めるのですね」
「というか、もうお気づきでしょうが、おれは本当に舟を操ること以外はてんでだめなんですよ。だからあれとは男と女というよりも、正直相棒といった感じで」
言いにくそうに阿万六郎が口のなかで呟いた。
「思うに、阿万殿が謝罪すればいいだけなのでは」
継信が首をかしげる。
「いや、確かにおれは……おれに非があるってのはわかってるんです。しかし、なんだってんです、ええ? 夫が死んだと思ったからって、自分から戦場に出てくる女がありますか」
「だって、相棒なんでしょう」
義経が言うと、阿万六郎が小鼻を膨らませた。
「でも、あんな野郎の言いなりっていうんじゃね。おもしろくないですよ」
「ほっほぉ」
嫉妬ではないか――義経と継信は顔を見あわせた。よりによって相手が、からっからに干からびた棒きれのような景時であるところに、なんともいえない趣きがある。
「ああ、もう」
義経と継信の生暖かい視線に気がついたのだろう。阿万六郎が頭をかいた。
景時があと十歳若ければ殺しあいになっていたかもしれないなと、義経は不穏な想像をした。否、十年前の景時も、いまの姿と変わらないような気もする。
「ふふ」
「なんで笑ったんです」
「もうしわけない」
「いやもういいですよ、いいですよ。どうせおれはだめな野郎だって思ってんでしょ。もう浮夏でいいですよ」
とうとう自暴自棄になったのか、阿万六郎が喚いた。
「でも、おれは口が裂けてもあいつに頼るなんて、そんなこと言えねえ。だから判官殿からあいつに言ってください」
「でも」
「お顔の綺麗な判官殿の言うことなら聞くでしょうよ!」
捨てぜりふを吐いて、阿万六郎はそれ以降うんともすんとも言わなくなってしまった。正直とても面倒くさい――顔に出ていたのか継信に袖を引かれた。
翌日。義経は沼島の舟が停泊している渚に足を運んだ。浮夏に会うためである。阿万六郎が吐いた捨てぜりふではないが、心のうちに、自分は女性から無碍にはされないだろうという自信はあった。
「これはこれは、判官殿」
義経の姿をみとめると初日の態度とはうってかわって、浮夏がうやうやしく頭をさげる。
「どうかしましたか」
「まあ、赤の他人が口を出すようなことではないと、わかっていますが」
「あの男の話なら、そうですねぇ」
浮夏がにんまりと笑う。女性特有の空恐ろしい表情に、義経は一瞬たじろいだ。
「話は弁慶からすべて聞きましたよ」
「弁慶?」
「園部殿です。剃髪して、いまは弁慶と」
「そう! あたし驚いたわ。園部の次男がまさかねぇ。まあいいんじゃない似合ってたし」
浮夏が腹を抱えて笑った。表情がころころと変わる様子は、見ているぶんには面白い。
「それで判官殿が足を運んでまで、なんの用です?」
笑いすぎてこぼれた涙を、直垂の袖で拭いながら浮夏が言う。
「正式にあなたに舟を出していただきたく、依頼したいと思います」
義経の言葉が信じられなかったのか、浮夏が素早く瞬きをした。
「それは、あの男が蹴ったから?」
「それもありますが、わたしとしては阿波の勝浦まで兵を運んでくれる舟があればいいのですから」
「勝った」
なにかを噛み締めるように、浮夏が胸の前で両手を握る。
「そうなると思ってたから、出航の準備はある程度、整えてあるわ」
そういうのはあいつ、からっきしだからね――とつけたして、浮夏がにやっと笑った。
「出航の日にちと、あと積むものを教えてくれたら、こっちでそれぞれの舟に割り振ってみるわ。それから水夫も荷役も少し足りないから、この港で人夫を雇いたいのよ。で、そのぶんの費用がね」
「そのあたりは国衙と交渉すれば足るでしょう。わたしからも声をかけておきます。それから、渡辺の一族と話をつけたいのであれば、渡辺眤殿を紹介します」
「なるほど。話が早くて助かるわ」
舟の上で浮夏の連れてきた沼島のものたちが、船内を掃除したり、帆の手入れをしたりと忙しなく働いている。浮夏が手を振ると、みな和気藹々としていい笑顔を浮かべた。阿万六郎の言うように、浮夏は他人になにか指図をしたり、ものごとを仕切ったりすることを得意としているようだった。頭の回転もはやい。舟のことは浮夏に任せていれば問題はないだろうと義経は思った。
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