屋島に咲く

モトコ

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解纜(かいらん)

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 それからしばらく経った二月五日。義経のもとに景時の伝令兵が来た。

 兄範頼らは二月一日に九州を落としたということだった。ただし、平家の拠点でもある彦島については、まだ追い落としきれていないという。

 やはり、のろまな行軍だ。これでは屋島で平家を追いこみきれなかったとき、平家の舟団が彦島に戻りかねない。とはいえ九州を抑えられてしまっているのだから、主となる補給線は絶たれている。彦島など些事か――義経はつらつらと考えた。おそらく景時も同じように考えているはずだ。

 翌日。柔らかな光が心地よい、そんな昼下がり。義経は摂津国衙で、景時の来訪を待っていた。景時の伝令兵は、朝には摂津国衙に赴く意向であると言っていた。にもかかわらず、景時は、いまだ姿を見せていない。

 梶原景時という男は、よくひとを待たせる男である。酒宴などには遅れてやってくるか、最悪姿を見せないことすらあった。ただ、すべてがそうというわけではない。

 おそらく景時のなかに独自の優先順位があって、その高い順に行動する結果そうなるのではないかと義経は睨んでいた。真相は定かではない。たしかに今日中に書状をもたせた使者を走らせれば、通信への意思伝達はまにあうのだから、急ぐ必要はないのである。

 義経は内心恨みながらも、ほかの細々した仕事を進めることにした。しばらく書状などを決済していると、ようやく景時が到着したとの報告があった。義経は、うんざりしながら景時の待つ部屋へと向かった。

「朝からいらっしゃると聞いておりましたが、もう昼過ぎですよ」

 たまらず義経がなじると、さすがの景時も恐縮そうに肩をすくめてみせた。

「いやぁ、こっちはこっちで色々あって」
「あなたが定刻どおりにあらわれたことがありますか」
「反省しますよ」

 そんなことは微塵も思ってもいないであろう景時は、連れてきた祐筆ゆうひつに紙を広げさせた。

「三河殿が九州を落としたんで、来ました」
「でも、彦島は落とせなかったのでしょう?」
「そうなのよ。そこは少し厄介かもしれないけれど」
「たいした影響はないと思います」

 義経が言うと、景時が素直にうなずいた。

「河野四郎は、すでに田口勢と交戦中。ここまでは順調だわね」
「上手いことやりましたね」
「まあなぁ。四国の連中のあいだでは注目度が高いんでないの」
「梶原殿も一目おいてらっしゃる」

 義経の言葉に、そうでもないと景時が首を振った。ただ実際、景時は次男の景高と郎等をつけて通信を伊予に送っている。なにか感じ入るところがあるのはまちがいないだろう。

「で、どうすんのか。さっさと決めちゃいましょ」

 義経に勘ぐられていることを察したか、景時が言った。

「こちらは予定どおり十六日に出航します」
「十九日に勝浦に到着して現地の味方と合流?」
「そのまま夜通し駆けて屋島に向かいます」
「ふぅん」
「梶原殿と河野殿は、二十一日に屋島方面と志度寺の方面から海上を攻めていただき」
「待って。二十日はどうするの。まさか、その数で平家とやりあおうってんじゃ」
「いえ、そのつもりですよ」

 義経がしれっと言ってのけると、景時が目を細める。

「あえてこちらが少数であることを見せつけるのです。そうすれば平家の軍勢は、わたしたちを討ち取ろうと陸に布陣するでしょう」

「判官殿そういうの好きよね。それってなに。自分は死なないって思ってたりするの?」
「そんなことはないですよ。わたしだって怖いものは怖いですし。それに能登守が」

 教経の名を出すと、景時が大げさにため息をついた。

「好きだねぇ、能登守」
「目障りではあるでしょう。士気に影響しますし」
「そりゃぁそうだけどさ」

 気怠げに呟いた景時は、祐筆の手元をのぞきこんだ。指をさして記載されている文言を確認しながら、声に出してひととおり読む。読み終えてうなずくと、内容にまちがいがないか、義経にも確認するように促した。

「まあいいや。おれは九州の舟団と播磨で合流してからそっちに向かうわ。判官殿が出たあと、平家の連中に渡辺津や播磨に上陸されんのだけは、勘弁だからな」
「たしかにそうですね。それがいいと思います」

 さすがに、ほぼ一年前から西海にきているだけあって、景時の分析は細やかだと義経は思った。もはやある程度、西海の海路事情を理解しているのかもしれない。

「ところで、もしよ。万が一、荒天で海が荒れた場合はどうする?」
「そんなことに怯えていては勝つ戦も負けます」
「あいかわらず威勢がいいねぇ。嫌いじゃねぇけど、猪じゃねぇんだから」
「気持ちは大切でしょう。それにわたしがどう動くかなんて、梶原殿には手に取るようにわかるのでは」

 景時が顎を斜めに跳ねあげた。

「それじゃあ河野四郎には、いまの流れを伝えましょ。おれは播磨に帰る」
「お願いします」

 立ちあがる景時を、義経は見送った。

 戦の準備を進めていると、あれよというまに時が過ぎていった。

 二月十五日の夜。義経は浜で宴を催した。酒はほどほどにして、浜でとれた貝や魚を各々焼いた。質素なものであったが、みなそれを楽しんだ。

 凪いだ波の音が美しい。空には、まあるい月が美しく輝いている。

 義経は兵たちに労いの声をかけてまわった。正直、死地に赴くという気持ちがある。できるだけのことはしてやりたかった。集まっていた兵たちも、義経の気持ちを感じていたのだろう。みな甲斐甲斐しい返答をした。

 ふらふらと浜を歩く。月の光を映しこんださざなみの真上には、小さく鋭い星々が瞬いている。いい夜だった。港には明日乗りこむ舟が浮かんでいた。早朝すぐに出航できるように、帆をおろした状態で波に揺られている。

 ふと見ると、舟のそばに人影があった。阿万六郎と浮夏である。なにかを言い争っているようだった。義経は見なかったふりをして、そっとその場を離れた。あの夫婦の諍いに、これ以上巻きこまれたくなかったのだ。

 ひゅるり――暖かく湿った風が頬を撫でた。

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