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屋島
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渚に近づく前に、水夫たちに舟を踏み傾けさせて、海中に馬をおろした。舟に引きつけながら泳がせる。馬が海底に蹄を着けて歩けるようになると、義経たちは馬に跨がった。兵糧は各々の馬の背に。弓矢なども、それぞれが担ぎもつ。
案の定、勝浦の港には赤旗が揺らめいていた。睨んでいたとおり、舟で乗りつけていれば危険だったろう。赤旗を背にさした兵たちが、海からあらわれた義経たちの姿に驚き慌てている。海から一斉に矢を放つと、敵兵は蜘蛛の子を散らすように、あっけなく逃げ去った。義経たちはその背に矢を射かけつつ、陸にあがって馬を休ませた。
「伊勢三郎と弁慶はいるか」
「ここに」
荒い息を吐く馬の首をさすりながら、弁慶が応えた。伊勢三郎はというと、濡れた袴の裾をしきりに絞っている。しかし義経の声は聞こえているだろう。伊勢三郎は、普段から自由気ままに行動するところがあった。
「弁慶。近藤六郎親家の顔はわかるな」
「もちろん」
「あの、赤旗の兵のなかにいるか?」
弁慶が目を細めて周囲を眺める。
「おりますね」
「なるほど。では、ここに連れてこい」
「わかりました」
「おれはどうすんの?」
「弁慶を守ってやれ。まあ、あの様子じゃ、射かけてくる輩はいないだろうが」
「了解」
途中で口を挟んできた伊勢三郎は、体をほぐすように足や腕を曲げたり伸ばしたりすると、ひょいっと馬に飛び乗った。弁慶も馬上のひととなる。二人は赤旗をさす兵たちのなかに駆け入ると、黒皮威の鎧を着けた男を連れてきた。
年の頃は四十歳くらいだろうか。男は義経の前に引きだされると、みずから旗を棄て、兜を脱いで膝をついた。
「判官殿、お待ちしておりました。近藤六郎親家ともうします」
「顔をあげてください。近藤殿」
義経は、近藤の肩にそっと手を置いた。
「こちらは寡兵です。近藤殿に負担をかけることになります」
「なんの。田口どもの言いなりになるより、よっぽどましです」
立ちあがった近藤が白い歯を見せた。
「この近くに平家に与するものはおりますか」
「田口成良の弟で、さくらまよしとお桜間能遠というものが城を構えておりまして」
「なるほど。それで苦しい思いをされていたと」
「伊予の河野のように攻めたてられたら敵いませんからね。おかげさまで、赤旗背負って渚の警備ですよ。ははは」
近藤は自嘲気味に笑うと、旗の竿をへし折った。
「では、近藤殿に誠意を見せるため、手始めに桜間を蹴散らして見せましょう」
「五十騎で?」
「ええ」
「まさか!」
義経は、ひらりとたゆうぐろ太夫黒に跨がった。太夫黒は立派な体格の青毛馬である。一ノ谷の合戦でも、ともに戦場を駆けた勇敢な相棒だ。
義経にならい五十騎がみな騎乗する。邪魔になる荷や武器は近藤に預け、義経たちは速やかに桜間のいるほんじょうじょう本庄城へと向かった。
騎馬の馳せる勢いのままに、堀を越え城内になだれこむと、源氏勢の攻撃など想像もしていなかったであろう桜間の兵たちは慌てに慌てた。しきりに、「射取れ、射取れ」とかけ声ばかりあがるが、ろくに統率のとれていない兵の矢ほど意味のないものはない。
義経たちは、ざっと二十余人の首を刎ねたが、そのなかに桜間能遠のものはなかった。郎等らを残して自分だけ逃げるとは、見あげた根性である。
「まるで軍神がごときですね」
「ははは、褒めてもなにもでませんよ」
目を輝かせる近藤を軽くあしらって、義経は太夫黒の首筋を撫でた。
「屋島の田口勢の兵はどの程度でしょうかね」
「いまは伊予に討伐の兵を出しておりますから、ざっと千騎程度でしょう」
「思ったよりも少ないですね」
「渚や浦には、さきほどのわたしのような見張りの兵も出ておりますから」
「ふぅん」
伊予の河野の兵数など、たかがしれているだろうに、ずいぶんと引きつれていったものだと義経は思った。まあ、大軍勢を引きつけておいてもらえるのは、いまの義経にとっては都合がいい。しかし、面白くないという感情も同時に抱いた。
いずれ敵にならないだろうか。義経は軽く頭を振った。打ち倒すべきは平家である。
「桜間能遠が落ち延びた。先回りをされるとやっかいですから、このまま夜どおし駆けて屋島まで行きたい。先導をたのみます」
「お任せください」
近藤の百騎を加え、総勢百五十騎となった。通常二日の行程を、一夜で駆けぬける。
「判官殿」
弁慶がそっと馬を寄せてきた。
「桜間のことはありますが、そのように急ぐ必要はありますか。屋島に着いたらすぐさま合戦でしょう。兵を休ませたほうが」
「弁慶、おれに指図するか」
「いえ、しかし」
たしかに弁慶の言うことはもっともだった。丸一日予定よりも早く着いたのだから、屋島までの行軍を急かす意味はないと言いたいのだろう。
「九郎殿はそういう御方なのさ」
義経が答えるより早く、横から伊勢三郎が口をだした。
「なにごとも迅速。だから強いのよ」
「寡兵であることが平家方に知れたらひとたまりもない。あちらがこちらの実態を知って陣を整える前に動く必要がある。とはいえ二日のあいだ、屋島で平家の大軍を相手取るのは苦しいだろうが」
義経は言った。古くから義経に仕えているものたちは、義経の思考をある程度読んでいる。みな黙々として、つき従っていた。
「遅れるよりは、早いほうがいい。なにごとも」
「まあ、弁慶ちゃんは始めてだからなぁ。でも慣れてちょうだい。この殿につき従うって、寝食を忘れなきゃなんねぇ。そういうことよ」
「そこまでじゃない。小休止はとるさ」
義経が口を尖らせると、伊勢三郎がけらけらと笑った。
案の定、勝浦の港には赤旗が揺らめいていた。睨んでいたとおり、舟で乗りつけていれば危険だったろう。赤旗を背にさした兵たちが、海からあらわれた義経たちの姿に驚き慌てている。海から一斉に矢を放つと、敵兵は蜘蛛の子を散らすように、あっけなく逃げ去った。義経たちはその背に矢を射かけつつ、陸にあがって馬を休ませた。
「伊勢三郎と弁慶はいるか」
「ここに」
荒い息を吐く馬の首をさすりながら、弁慶が応えた。伊勢三郎はというと、濡れた袴の裾をしきりに絞っている。しかし義経の声は聞こえているだろう。伊勢三郎は、普段から自由気ままに行動するところがあった。
「弁慶。近藤六郎親家の顔はわかるな」
「もちろん」
「あの、赤旗の兵のなかにいるか?」
弁慶が目を細めて周囲を眺める。
「おりますね」
「なるほど。では、ここに連れてこい」
「わかりました」
「おれはどうすんの?」
「弁慶を守ってやれ。まあ、あの様子じゃ、射かけてくる輩はいないだろうが」
「了解」
途中で口を挟んできた伊勢三郎は、体をほぐすように足や腕を曲げたり伸ばしたりすると、ひょいっと馬に飛び乗った。弁慶も馬上のひととなる。二人は赤旗をさす兵たちのなかに駆け入ると、黒皮威の鎧を着けた男を連れてきた。
年の頃は四十歳くらいだろうか。男は義経の前に引きだされると、みずから旗を棄て、兜を脱いで膝をついた。
「判官殿、お待ちしておりました。近藤六郎親家ともうします」
「顔をあげてください。近藤殿」
義経は、近藤の肩にそっと手を置いた。
「こちらは寡兵です。近藤殿に負担をかけることになります」
「なんの。田口どもの言いなりになるより、よっぽどましです」
立ちあがった近藤が白い歯を見せた。
「この近くに平家に与するものはおりますか」
「田口成良の弟で、さくらまよしとお桜間能遠というものが城を構えておりまして」
「なるほど。それで苦しい思いをされていたと」
「伊予の河野のように攻めたてられたら敵いませんからね。おかげさまで、赤旗背負って渚の警備ですよ。ははは」
近藤は自嘲気味に笑うと、旗の竿をへし折った。
「では、近藤殿に誠意を見せるため、手始めに桜間を蹴散らして見せましょう」
「五十騎で?」
「ええ」
「まさか!」
義経は、ひらりとたゆうぐろ太夫黒に跨がった。太夫黒は立派な体格の青毛馬である。一ノ谷の合戦でも、ともに戦場を駆けた勇敢な相棒だ。
義経にならい五十騎がみな騎乗する。邪魔になる荷や武器は近藤に預け、義経たちは速やかに桜間のいるほんじょうじょう本庄城へと向かった。
騎馬の馳せる勢いのままに、堀を越え城内になだれこむと、源氏勢の攻撃など想像もしていなかったであろう桜間の兵たちは慌てに慌てた。しきりに、「射取れ、射取れ」とかけ声ばかりあがるが、ろくに統率のとれていない兵の矢ほど意味のないものはない。
義経たちは、ざっと二十余人の首を刎ねたが、そのなかに桜間能遠のものはなかった。郎等らを残して自分だけ逃げるとは、見あげた根性である。
「まるで軍神がごときですね」
「ははは、褒めてもなにもでませんよ」
目を輝かせる近藤を軽くあしらって、義経は太夫黒の首筋を撫でた。
「屋島の田口勢の兵はどの程度でしょうかね」
「いまは伊予に討伐の兵を出しておりますから、ざっと千騎程度でしょう」
「思ったよりも少ないですね」
「渚や浦には、さきほどのわたしのような見張りの兵も出ておりますから」
「ふぅん」
伊予の河野の兵数など、たかがしれているだろうに、ずいぶんと引きつれていったものだと義経は思った。まあ、大軍勢を引きつけておいてもらえるのは、いまの義経にとっては都合がいい。しかし、面白くないという感情も同時に抱いた。
いずれ敵にならないだろうか。義経は軽く頭を振った。打ち倒すべきは平家である。
「桜間能遠が落ち延びた。先回りをされるとやっかいですから、このまま夜どおし駆けて屋島まで行きたい。先導をたのみます」
「お任せください」
近藤の百騎を加え、総勢百五十騎となった。通常二日の行程を、一夜で駆けぬける。
「判官殿」
弁慶がそっと馬を寄せてきた。
「桜間のことはありますが、そのように急ぐ必要はありますか。屋島に着いたらすぐさま合戦でしょう。兵を休ませたほうが」
「弁慶、おれに指図するか」
「いえ、しかし」
たしかに弁慶の言うことはもっともだった。丸一日予定よりも早く着いたのだから、屋島までの行軍を急かす意味はないと言いたいのだろう。
「九郎殿はそういう御方なのさ」
義経が答えるより早く、横から伊勢三郎が口をだした。
「なにごとも迅速。だから強いのよ」
「寡兵であることが平家方に知れたらひとたまりもない。あちらがこちらの実態を知って陣を整える前に動く必要がある。とはいえ二日のあいだ、屋島で平家の大軍を相手取るのは苦しいだろうが」
義経は言った。古くから義経に仕えているものたちは、義経の思考をある程度読んでいる。みな黙々として、つき従っていた。
「遅れるよりは、早いほうがいい。なにごとも」
「まあ、弁慶ちゃんは始めてだからなぁ。でも慣れてちょうだい。この殿につき従うって、寝食を忘れなきゃなんねぇ。そういうことよ」
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