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屋島
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この日は平家の夜襲を警戒して、交代で休むこととした。義経は眠ることができずに、じっと炎を見つめていた。弁慶が気をつかって、暖めた兵糧を手渡してくれたが、口にいれることができなかった。明日も戦は続くのだと頭ではわかっていても、こころがそれを受け入れられそうになかった。
ひとはいずれ死ぬ。この世は無常である。
そんなことは身に染みていた。
継信はどう思っていたのだろう。義経の胸のうちに、じわりと墨が広がる。継信は恨んだのだろうか。恨んでくれたほうが、いっそ良いとすら思う。
斜め後ろのほうで、伊勢三郎がいびきをかいている。このくらい他人行儀でいてくれたら気が楽だった。
やはり眠れないのだろう。忠信が歩み寄ってきて、義経の横に腰をおろした。なんと言葉をかけていいものかわからず、しばし互いに無言であった。やがて意を決したように、忠信が口を開く。
「奥州は、まだ雪が残っているでしょうか」
ぱちりと火の粉が爆ぜた。
「山頂の雪解けには、まだ早いだろうね」
義経が言うと、忠信がうなずいた。
「忠信、すまなかった。継信は――」
「兄は九郎殿を慕ってましたから」
「おれは、とりかえしのつかないことをしてしまった」
「武士が死ぬのは、もとより覚悟の上です」
忠信が視線を落としたまま、しかし力強く言う。
「とりわけ主君と慕っていたひとの命に、代わって討たれたと末代まで語り継がれるのは、名誉なことです。よい冥土の土産となったでしょう」
「そんな名誉があるものかよ」
義経は爪を噛んだ。
「生きてこそだろう。おれは、もっと継信とともにありたかった」
「それ以上は。兄の死を無駄なものにしないでください」
死に意味なんてあってたまるか――という言葉は、さすがの義経でも飲みこんだ。これだから、武士ほどろくでもないものはない。死に価値を見出して、そうでもしないと戦えないのであれば、おとなしくすっこんでいればいい。
なにが名誉だ。なにが冥土の土産だ。
そうやって、なすりつけないでくれ。どうか、おのれのために生きてくれ。生きていて欲しかった。
息を吐く。義経はふたたび零れそうになる涙をこらえた。
「また同じ蓮の花の上に」
生まれ変わることができるだろうか。これだけひとを殺しておいて、自分は御仏のもとに還ることを許されるのだろうか。ふと、死が恐ろしくなる。
「ええ、きっと」
義経のつぶやきを聞いて、忠信が寂しげにほほえんだ。
翌日。義経は再び陣を整えて、渚へと向かった。渚には、阿波や讃岐で平家に背く意志をもっていたものたちが、十騎、二十騎と連れだち集まっていた。それらが義経の姿を見ると、わぁっっと歓声をあげる。
じっとりとした汗が額に浮かんだ。動悸がして息苦しい。日の光が眩しく、くらくらと目眩がする。目蓋が重く、いまにも落ちてしまいそうになるのを、なんとか堪えた。
「なにか、声をかけてやっては」
忠信が馬を寄せてきて耳打ちする。理解してはいたものの咄嗟に言葉が出てこない。これで、あわせて三百騎ほどになっただろうか。
矢に射られ死んだものどもの屍が、砂浜に転がったままになっている。家を失ったのか、あるいは物好きなのか。民草が遠巻きに合戦を眺めていた。
義経は目を懲らし、敵の敷く陣を見た。どうも昨日のような堅牢さがない。どこか緩んでいて、および腰であった。
教経はいないのか。
すぐにでも舟に飛び乗れるような位置で、海を背にしている兵たちの首を獲ったところで意味がないように思えた。義経は、かっと頭に血がのぼるのを感じた。
「能登守、出てこい!」
雄叫びをあげ、馬に鞭をいれる。義経に続けと、どっと鬨の声が満ちた。白砂を蹄で蹴りあげて、矢を放つ。平家の兵たちが、陣からも舟からも、雨のように矢を浴びせたが、義経には当たる気がしなかった。
喚きながら遮二無二、敵陣を駆けずりまわる。縦に駆けたと思えば横に切り裂き、徒立ちの兵を踏みにじった。義経を討たせまいと、横には忠信と弁慶がつき従っている。
陣に駆け入って、乱して、ざっとひく。これを繰り返しているうちに、首がいくつもあがっていた。味方の兵にも斃れるものが多数でてきている。徐々に、敵味方双方が戦うことに倦んでくるのがわかった。
継信だったら、なんと言ったろうか。自分を諫めただろうか。
日が沈みつつある。風が強くなってきていた。平家のものどもが、じわりじわりと舟に戻っていった。もうその背中を追う気力すら、義経には残っていなかった。体が鉛のように重い。手足の先から肉が腐って落ちていくのではないかというような怠さである。
疲れ果てていた。ただ頭は妙に冴えていて、腹のうちからどす黒い怒りが溢れてくる。だれかれかまわずに射殺してしまいたい。この世なんて、永遠に静かになればいいのに。
それもこれも教経さえ出てくれば、変わるような気がした。
ふと、篝火を灯した小舟が一艘、波打ち際へ向かって近づいてきた。舟の上には袿姿の女がひとり。しきりに手招きをしている。なにごとかと眺めていると、女は日の出が描かれた紅の扇を舟の横板に挟んで立てた。
「射てみよと、そういうことか」
「おそらくは」
「ふざけやがる」
義経のつぶやきを弁慶が拾いあげて、武者どもに腕に自信のあるものはいるかと問う。
すぐさま一人の若者が、まわりから背を押されるようにして出てきた。少しでも近づこうとしているのだろう。波間をささっと割って入る。
義経は目を細めた。随分と距離があるようだが、大丈夫だろうか。浜にいる源氏勢も、舟の上の平家勢も、みな固唾をのんで見守っていた。
そのすべてをなぎ払うかのように、若者はひゅっと鏑矢を放った。扇がはらりと宙に舞い、水面にぱたっと落ちて漂った。
「見事、見事」
敵味方双方が箙を叩いてはしゃいだ。なかでもその小舟に乗っていた五十絡みの男が調子にのって踊りだした。
なんだこれは。扇を射させられたことですら腹立たしいというのに、ふざけているのだろうか。義経は顎をしゃくった。それを見た伊勢三郎が、若者に命じて男を射貫かせた。
平家の兵たちから非難の声があがる。
三騎ばかり、この男の縁者だろうか。浜に馬を進めてきたものたちがいた。義経は、三騎を必ず討ち取るように言って、渚をあとにした。
この日、ついに教経は戦場にあらわれなかった。
ひとはいずれ死ぬ。この世は無常である。
そんなことは身に染みていた。
継信はどう思っていたのだろう。義経の胸のうちに、じわりと墨が広がる。継信は恨んだのだろうか。恨んでくれたほうが、いっそ良いとすら思う。
斜め後ろのほうで、伊勢三郎がいびきをかいている。このくらい他人行儀でいてくれたら気が楽だった。
やはり眠れないのだろう。忠信が歩み寄ってきて、義経の横に腰をおろした。なんと言葉をかけていいものかわからず、しばし互いに無言であった。やがて意を決したように、忠信が口を開く。
「奥州は、まだ雪が残っているでしょうか」
ぱちりと火の粉が爆ぜた。
「山頂の雪解けには、まだ早いだろうね」
義経が言うと、忠信がうなずいた。
「忠信、すまなかった。継信は――」
「兄は九郎殿を慕ってましたから」
「おれは、とりかえしのつかないことをしてしまった」
「武士が死ぬのは、もとより覚悟の上です」
忠信が視線を落としたまま、しかし力強く言う。
「とりわけ主君と慕っていたひとの命に、代わって討たれたと末代まで語り継がれるのは、名誉なことです。よい冥土の土産となったでしょう」
「そんな名誉があるものかよ」
義経は爪を噛んだ。
「生きてこそだろう。おれは、もっと継信とともにありたかった」
「それ以上は。兄の死を無駄なものにしないでください」
死に意味なんてあってたまるか――という言葉は、さすがの義経でも飲みこんだ。これだから、武士ほどろくでもないものはない。死に価値を見出して、そうでもしないと戦えないのであれば、おとなしくすっこんでいればいい。
なにが名誉だ。なにが冥土の土産だ。
そうやって、なすりつけないでくれ。どうか、おのれのために生きてくれ。生きていて欲しかった。
息を吐く。義経はふたたび零れそうになる涙をこらえた。
「また同じ蓮の花の上に」
生まれ変わることができるだろうか。これだけひとを殺しておいて、自分は御仏のもとに還ることを許されるのだろうか。ふと、死が恐ろしくなる。
「ええ、きっと」
義経のつぶやきを聞いて、忠信が寂しげにほほえんだ。
翌日。義経は再び陣を整えて、渚へと向かった。渚には、阿波や讃岐で平家に背く意志をもっていたものたちが、十騎、二十騎と連れだち集まっていた。それらが義経の姿を見ると、わぁっっと歓声をあげる。
じっとりとした汗が額に浮かんだ。動悸がして息苦しい。日の光が眩しく、くらくらと目眩がする。目蓋が重く、いまにも落ちてしまいそうになるのを、なんとか堪えた。
「なにか、声をかけてやっては」
忠信が馬を寄せてきて耳打ちする。理解してはいたものの咄嗟に言葉が出てこない。これで、あわせて三百騎ほどになっただろうか。
矢に射られ死んだものどもの屍が、砂浜に転がったままになっている。家を失ったのか、あるいは物好きなのか。民草が遠巻きに合戦を眺めていた。
義経は目を懲らし、敵の敷く陣を見た。どうも昨日のような堅牢さがない。どこか緩んでいて、および腰であった。
教経はいないのか。
すぐにでも舟に飛び乗れるような位置で、海を背にしている兵たちの首を獲ったところで意味がないように思えた。義経は、かっと頭に血がのぼるのを感じた。
「能登守、出てこい!」
雄叫びをあげ、馬に鞭をいれる。義経に続けと、どっと鬨の声が満ちた。白砂を蹄で蹴りあげて、矢を放つ。平家の兵たちが、陣からも舟からも、雨のように矢を浴びせたが、義経には当たる気がしなかった。
喚きながら遮二無二、敵陣を駆けずりまわる。縦に駆けたと思えば横に切り裂き、徒立ちの兵を踏みにじった。義経を討たせまいと、横には忠信と弁慶がつき従っている。
陣に駆け入って、乱して、ざっとひく。これを繰り返しているうちに、首がいくつもあがっていた。味方の兵にも斃れるものが多数でてきている。徐々に、敵味方双方が戦うことに倦んでくるのがわかった。
継信だったら、なんと言ったろうか。自分を諫めただろうか。
日が沈みつつある。風が強くなってきていた。平家のものどもが、じわりじわりと舟に戻っていった。もうその背中を追う気力すら、義経には残っていなかった。体が鉛のように重い。手足の先から肉が腐って落ちていくのではないかというような怠さである。
疲れ果てていた。ただ頭は妙に冴えていて、腹のうちからどす黒い怒りが溢れてくる。だれかれかまわずに射殺してしまいたい。この世なんて、永遠に静かになればいいのに。
それもこれも教経さえ出てくれば、変わるような気がした。
ふと、篝火を灯した小舟が一艘、波打ち際へ向かって近づいてきた。舟の上には袿姿の女がひとり。しきりに手招きをしている。なにごとかと眺めていると、女は日の出が描かれた紅の扇を舟の横板に挟んで立てた。
「射てみよと、そういうことか」
「おそらくは」
「ふざけやがる」
義経のつぶやきを弁慶が拾いあげて、武者どもに腕に自信のあるものはいるかと問う。
すぐさま一人の若者が、まわりから背を押されるようにして出てきた。少しでも近づこうとしているのだろう。波間をささっと割って入る。
義経は目を細めた。随分と距離があるようだが、大丈夫だろうか。浜にいる源氏勢も、舟の上の平家勢も、みな固唾をのんで見守っていた。
そのすべてをなぎ払うかのように、若者はひゅっと鏑矢を放った。扇がはらりと宙に舞い、水面にぱたっと落ちて漂った。
「見事、見事」
敵味方双方が箙を叩いてはしゃいだ。なかでもその小舟に乗っていた五十絡みの男が調子にのって踊りだした。
なんだこれは。扇を射させられたことですら腹立たしいというのに、ふざけているのだろうか。義経は顎をしゃくった。それを見た伊勢三郎が、若者に命じて男を射貫かせた。
平家の兵たちから非難の声があがる。
三騎ばかり、この男の縁者だろうか。浜に馬を進めてきたものたちがいた。義経は、三騎を必ず討ち取るように言って、渚をあとにした。
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