沈黙のメダリスト

友清 井吹

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Ⅰ 未完のアスリート

17 香奈さんのマイル

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陸上競技場に着いた時、女子1600mリレーの決勝が始まろうとしていた。
何と伊吹東高が一レーンで出場していて、電光掲示板には橘香奈の名前がある。
あの子そんなに走るのが速かったのか。

「倉本君こっち」
スタンドにいた角谷麗奈が手を振り、東校の場所を教えてくれた。
観客席に座ると、彼女は競技場に向かって、大声で呼びかけた。
「かなー。倉本君、来てるよー」
驚いた顔をした香奈さんが、恥ずかしそうに小さく手を挙げた。

陸上のリレーを見るのは初めてだ。広いスタンドのあちこちから掛け声が上がる。
競技は思っていた以上にエキサイティングだった。

香奈さんは3走で、バトンはオープンの受け渡しになる。
順位は分からないが、初めは外側コースの方が速い。
きれいにバトンを受け取った香奈さんは、バックスタンド側の直線コースで一人抜き、第3コーナーで二人目に追いついた。そしてラストのメインスタンド前。

懸命に走る香奈さんを目で追いながら体が熱くなってきた。
鉢巻をしてひた走る彼女は、教室で見る香奈さんとは全く違っていた。
三人抜いて4位でバトンパス。
走り終えると、こちらを見て両手を挙げた。席から立ち上がり思いっきり拍手をした。

「あいつ結構やるやないか。三人も抜いた。いつもと全然違う」
振り返ると、萩田が後の席に座っていた。東校陸上部のトレーナーを着ている。
目の前では、トップ争いの攻防が繰り広げられている。東校はまた抜き返された。

「お前、ここに何しに来たんや。香奈に気はないんやろが。それやったら来るな。どうせ女とやり方も知らんくせに。本ばっかり読んで一生童貞やっとけ。それにな、五千に出る奴、駅伝の常連校ばっかりや。あんなとこで恥かきたないから誰もエントリーせんかった。ちょっと去年よかったからいうて勝てると思っとんか」

好き放題しゃべり、突然いなくなった。
今、東校のアンカーが走り終えた。結局7位になった。
萩田は香奈さんが好きだったのか。

女とやり方知らんだろうと言われた。俺だって性的な事に興味はある。
中学で読んだ文学全集の多くが、男女の出会いとか別れの話ばかりだ。谷崎純一郎の『痴人の愛』など性的描写の場面ばかりを探して読んだ。でも話の筋は退屈で、主人公もナオミも魅力的とは思えなかった。要するにまだ理解できるレベルではないのだろう。
俺なんか肝心なことは何も分かっていない。もちろんいつかはキスもセックスもしたい。できれば本当に好きな子と出会い、お互いが好きになってからやりたい。みんなとずれているんだろうな。

学校では、男子が「すごいのを見つけた」と言ってはスマホを見せ合っている。映像を見たいとは思うが、あいつらの中には入りたくない。
紀和子先輩の手とふれては喜んでいるのが精一杯だ。俺はまだガキだからしょうがない。

男子の1600mリレーが始まった頃、香奈さんが隣の席に来た。
「応援してくれてありがとう。私、マイルではいつも競り合いに弱いけど、今日は倉本君が来てくれたから頑張れた」
「マイル?」
「うん。1600mリレーのこと。私、四百は好きだけど、リレーではいい位置を取れないというか、割り込む勇気がなくて、いつも先輩に叱られていた。そんなんじゃ好きな人もとられてしまうって。でも今日、倉本君が見てくれていると思うと、思い切って走ることができた。この後、五千に出るんでしょう?私も一生懸命応援する」

セパレートのウエアを着た香奈さんが、とてもまぶしく魅力的に見えた。
「よかったら、この後どこか食べに行かない?今日のお礼がしたいから」
「ああ。でもごめん。弁当まだ残っているから。」

言ってからしまったと思った。紙袋から、まだ食べていないタッパーがのぞいている。
「だれかにお弁当作ってもらっていたのか。じゃ仕方ないね。今日はありがとう」
笑顔は消え、さっと席を離れてしまった。
馬鹿だな。また傷つけてしまった。どうも香奈さんと弁当は相性が悪い


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