沈黙のメダリスト

友清 井吹

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Ⅱ 君とオリンピックに行きたい

14 成就しない恋

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事件の後、彼女は髪を栗色に染めた。
母親には、今までの自分を変えたいと伝えたそうだ。
姉のところへ行き、一週間も帰らず、学校も休んだ。

長女の早苗は高校卒業後、専門学校で歯科技工士の資格を取った。
由佳と違って運動は苦手で、小さい頃から手先の器用な子だった。
勤めていた所の歯科医に見初められて結婚し、今は大阪の八尾で暮らしている。

三田島家では、由佳が聾学校に入学する前から家族で手話を習ってきた。
姉も難聴で、右耳が聞こえないが、補聴器があれば普通に会話ができたので、小中高と地域の学校に通った。
由佳は両耳とも聞こえなかったので聾学校に行かせた。

当時聾教育は、無理に声を出す口話から手話への見直しがなされてきた時期だった。
浩輔は長女の時にはしなかった手話の勉強を始めた。
幸い兄嫁が手話通訳士だったので、四人で時間を決めて教えてもらうことができた。
家族の会話は、由佳がいれば必ず手話で行うことにした。
小学生だった姉の早苗が一番早く手話を覚え、由佳にも教えるほど上達した。
中途半端にしか覚えられなかったのは、手話宣言をした父親の浩輔だった。

先月、倉本君が何と私の前で娘にデートを申し込んだ。
あの日のことを思い出すと、今でも顔がほころんでしまう。
彼はどう見てもうぶで、由佳がろう者ということを知らずに誘っていた。後で由佳に聞いた。

「どうする。行くのか?」
「わからない。どうして私なの?」
去年まで兄の寺の掃除を手伝っていたが、そこで泣いている彼を見かけたと言う。
背が高くてまじめそうな好青年だ。国立の六甲大で陸上をやっていると聞いた。
気の弱そうなところもあるが、勉強はできるんだな。

由佳は迷っていたようだが、彼の応援に行くと決めた前の日に茶髪を戻した。
おまけに当日は、地味な高校の制服で出かけた。ようやく気持ちを前向きに切り替えたんだな。

帰るのがあまり遅いので迎えに行った。
帰宅するなり、猛烈な勢いでその日の出来事を私たちに教えてくれた。

競技場では誰も知らないから、離れた場所で見ていた。彼が優勝した時、私もうれしくなった。
パパに教えられた通りアイシングをしたが、緊張して顔を見られなかった。
私のことを聴者と勘違いして、ずっと話しかけてきた。
話せないことが分かった時、驚いて固まっていた。
無理にファミレスに誘われ、筆談をした。その紙というのが表彰状の裏。
楽しそうにその日の出来事を教えてくれるのは久しぶりだ。

彼とデートにも行った。
由佳の一番の心配は、手話ができない健聴者と一日付き合えるかということだ。
デートの日。緊張感を漂わせながら家を出た。夫婦共に一日中落ち着かず、帰宅を待った。
思ったより早く帰って来たが、なぜか怒っていた。

「男の人は、みんな同じ」
山道で彼が手をつなごうとしたらしい。それくらい許してやればいいのに。
猪が出てきたが、彼が守ってくれたそうだ。なんだ楽しかったんじゃないか。妻が尋ねた。

「次はどこに行くの?」
「決めていない」
「彼のこと嫌いになったの?」
「嫌いじゃないけど、分からない」

そこで会話は途切れた。
例の事件があった後、しばらく部屋に閉じこもり食事も別にしていた。
今日は、あの時よりはるかにましだな。後で妻にいろいろ打ち明けたらしい。

「やっぱり前のことがネックになっているみたい。家に誘われたのが嫌だったそうよ。健聴者で知っている男性は学校の先生とあなたくらいでしょう。若い男性は怖いと言っていた。倉本君、まさかストーカーみたいなことしないでしょうね」
「その恐れがあるのは宗太郎の方だろう。由佳が引いてしまうのは、やっぱりあいつのトラウマだな。倉本君なら由佳に合っていると思うがなあ」
「本山さんと切れたのは仕方がないけれど、六甲大の学生が何で聾学校の由佳を選ぶのよ。由佳が専門学校に入るか就職できたら、そこで出会える人もいるでしょう」

そんな話し合いの後、突然訪れた淳一君を迎えたのだ。
半年先まで待てと言ったが、きつい宣告をしたな。どちらかが一歩踏み出さん限り、成就しない恋だ。どちらも頑張れ。

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