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Ⅲ ロンドンへの道
4 デフの友達
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9月初めの近畿陸上記録会は、三木市の防災公園で行われる。
スタジアムは災害時に物資の置き場になるそうで、新しくて設備は整っているが辺鄙な場所にある。先輩の車に乗せてもらい、なんとか行くことができた。
今日は二度目の一万mに挑戦する。好記録を出せばロンドンへの道も開けてくる。
目標はベスト記録の更新だ。
レースを重ねるごとに目標との隔たりが明白になってくるのが厳しい。
一万は午後4時召集。走るのはたった13人。
みんな小柄で締まった体をしており、日に焼けた顔が炎天下での走り込みを物語っている。
4時10分、スタート。
7周目まで真ん中辺りにつけていた。キロ3分のペースは、大体身についているので、かなり遅いような気がする。
12周で3位。ピッチを上げれば先頭になれるだろうが、その後の走りには自信が持てない。
トップにくらいつき、最後辺りで勝負しろというのが東田のアドバイスだ。
先頭は山洋工業、2位はシミズ製薬。以前、五千でトップ争いした人がいた。
メインスタンド前で東田の声が聞こえた。彼は左を指さしている。
「いるぞ、彼女!」
「疾風怒涛」と書かれた六甲大陸上部の横断幕の端の辺り。
来てくれたのか。でもどうやって来たんだ?遠いから応援は無理と言っていたのに。
みんなに彼女のことを知られてしまった。
20周目で24分台。残り二千だけだ。ここでスパートをかけた。
彼女のいる直線部分でスピードを上げる。二人抜いて第1コーナーのカーブ辺りで先頭になった。
そのまま1位でフィニッシュ。
記録は30分3秒。もう少しで30分を切れていた。
由佳のトレーニングで十分鍛えられている。
もっと自信を持って最初から飛ばしていたらよかった。
スタンドに帰ると、後片付けはあらかた終わっていた。
「倉本は、あの子と帰るだろ?」
車に乗せてもらった先輩が、笑いながら行ってしまった。
彼女は膝までのタイツと黄色いカットソー。いつもと感じが違う。
朝のトレーニング姿もいいが、今日はまぶしい程可愛い気がする。
観覧席に寝かされ、アイシングとマッサージをしたが早々に切り上げ、駐車場に向かう。
「1位、おめでとう。タイムよかったね」
「もっと早く君を見つけていたら、記録を伸ばせていた」
「ここに着いて、友達とランニングをしていた。気持ちよかった」
「友達?」
由佳の友達が車で待っていてくれた。
彼女の12年来の親友、梶井基子さんで、目がくりくりして、笑うとえくぼの出る美人さんだ。
その恋人古河さんは21歳で穏やかそうな人だ。二人から手話と口話で話しかけられた。
「すごいな。優勝なんて」
「由佳ちゃんから聞いていた通りかっこいいね。背が高いしハンサムだし」
手話は早いが、口話はとても聞き取りやすい。
由佳の口話は一本調子で、聞き取れはするが違和感がある。
彼女自身、苦手意識があるのか人前でめったに口話は使わない。
一度聞いたことがある。
「君は、なぜ口話をしない?」
「父が家族に手話をさせたから口話が下手になった。声に出してほしい?」
「別に構わない。もっと手話の練習を頑張るよ」
古河さんが乗ってきたのは軽自動車で淳一には窮屈だった。
大きなバックミラーを見ると、後部座席で梶井さんと由佳がすごいスピードで手話をしている。
速すぎて全然読み取れない。基子さんが話しかけてくれた。
「デフの陸上大会は、私たち三人共出たことがあります。でも今日の大会はすごく迫力がありました。淳一さんはすごい。彼女が好きになったのも当たり前」
後ろを向き、ゆっくり手話を見せた。
「応援、ありがとう。車に乗せてくれてありがとう。友達になれてうれしい」
道路沿いのレストランに入った。この店は焼きたてのパンが食べ放題で有名らしい。
案内された席に座り、また手話と口話の会話が始まる
。口話が入ると手の動きは小さくてもいいので、会話が自然な気がする。
古河さんは聾学校の高等部を出て、大手の菓子メーカーに勤めて二年目。
借金をして車を手に入れたそうだ。梶井さんが由佳のことを教えてくれた。
「彼女はスポーツ万能で頭もいい。でも人の注意をあまり聞かない」
思わず笑ってしまった。
由佳が顔をしかめ、違うという風に首を何度も振った。
店員との対応や注文は淳一がやった。
手話の会話をしていると、周りのテーブルからの視線を感じる。
手話が珍しいのだろう。小さい男の子が近くに来て不思議そうに見つめていた。
それを母親が見とがめて、「だめでしょ。見たら失礼よ」と叱った。
なんだか落ち着かなくなってきた。日本ではろう者を知らない人が多すぎる。
俺だって由佳と付き合う前は、何にも知らなかったけれど。
支払いは古河さんがしてくれ、淳一の出したお金を受け取ってくれなかった。
「次は、もっといい記録を出して、みなさんを招待します」
三人が手をひらひらしてくれた。手話の拍手だ。言葉よりわかりやすい。
帰りは由佳の隣に座った。
淳一の肩に頭を寄せてきたので、少し緊張しながら肩を抱いて、手も握った。
今日はOKなんだな。家に着くまでの、ほんのしばらくの幸せだ。
「明日も・頑張って・走ってね」
由佳が耳元でつぶやいた。明朝はまた20キロの日か。
スタジアムは災害時に物資の置き場になるそうで、新しくて設備は整っているが辺鄙な場所にある。先輩の車に乗せてもらい、なんとか行くことができた。
今日は二度目の一万mに挑戦する。好記録を出せばロンドンへの道も開けてくる。
目標はベスト記録の更新だ。
レースを重ねるごとに目標との隔たりが明白になってくるのが厳しい。
一万は午後4時召集。走るのはたった13人。
みんな小柄で締まった体をしており、日に焼けた顔が炎天下での走り込みを物語っている。
4時10分、スタート。
7周目まで真ん中辺りにつけていた。キロ3分のペースは、大体身についているので、かなり遅いような気がする。
12周で3位。ピッチを上げれば先頭になれるだろうが、その後の走りには自信が持てない。
トップにくらいつき、最後辺りで勝負しろというのが東田のアドバイスだ。
先頭は山洋工業、2位はシミズ製薬。以前、五千でトップ争いした人がいた。
メインスタンド前で東田の声が聞こえた。彼は左を指さしている。
「いるぞ、彼女!」
「疾風怒涛」と書かれた六甲大陸上部の横断幕の端の辺り。
来てくれたのか。でもどうやって来たんだ?遠いから応援は無理と言っていたのに。
みんなに彼女のことを知られてしまった。
20周目で24分台。残り二千だけだ。ここでスパートをかけた。
彼女のいる直線部分でスピードを上げる。二人抜いて第1コーナーのカーブ辺りで先頭になった。
そのまま1位でフィニッシュ。
記録は30分3秒。もう少しで30分を切れていた。
由佳のトレーニングで十分鍛えられている。
もっと自信を持って最初から飛ばしていたらよかった。
スタンドに帰ると、後片付けはあらかた終わっていた。
「倉本は、あの子と帰るだろ?」
車に乗せてもらった先輩が、笑いながら行ってしまった。
彼女は膝までのタイツと黄色いカットソー。いつもと感じが違う。
朝のトレーニング姿もいいが、今日はまぶしい程可愛い気がする。
観覧席に寝かされ、アイシングとマッサージをしたが早々に切り上げ、駐車場に向かう。
「1位、おめでとう。タイムよかったね」
「もっと早く君を見つけていたら、記録を伸ばせていた」
「ここに着いて、友達とランニングをしていた。気持ちよかった」
「友達?」
由佳の友達が車で待っていてくれた。
彼女の12年来の親友、梶井基子さんで、目がくりくりして、笑うとえくぼの出る美人さんだ。
その恋人古河さんは21歳で穏やかそうな人だ。二人から手話と口話で話しかけられた。
「すごいな。優勝なんて」
「由佳ちゃんから聞いていた通りかっこいいね。背が高いしハンサムだし」
手話は早いが、口話はとても聞き取りやすい。
由佳の口話は一本調子で、聞き取れはするが違和感がある。
彼女自身、苦手意識があるのか人前でめったに口話は使わない。
一度聞いたことがある。
「君は、なぜ口話をしない?」
「父が家族に手話をさせたから口話が下手になった。声に出してほしい?」
「別に構わない。もっと手話の練習を頑張るよ」
古河さんが乗ってきたのは軽自動車で淳一には窮屈だった。
大きなバックミラーを見ると、後部座席で梶井さんと由佳がすごいスピードで手話をしている。
速すぎて全然読み取れない。基子さんが話しかけてくれた。
「デフの陸上大会は、私たち三人共出たことがあります。でも今日の大会はすごく迫力がありました。淳一さんはすごい。彼女が好きになったのも当たり前」
後ろを向き、ゆっくり手話を見せた。
「応援、ありがとう。車に乗せてくれてありがとう。友達になれてうれしい」
道路沿いのレストランに入った。この店は焼きたてのパンが食べ放題で有名らしい。
案内された席に座り、また手話と口話の会話が始まる
。口話が入ると手の動きは小さくてもいいので、会話が自然な気がする。
古河さんは聾学校の高等部を出て、大手の菓子メーカーに勤めて二年目。
借金をして車を手に入れたそうだ。梶井さんが由佳のことを教えてくれた。
「彼女はスポーツ万能で頭もいい。でも人の注意をあまり聞かない」
思わず笑ってしまった。
由佳が顔をしかめ、違うという風に首を何度も振った。
店員との対応や注文は淳一がやった。
手話の会話をしていると、周りのテーブルからの視線を感じる。
手話が珍しいのだろう。小さい男の子が近くに来て不思議そうに見つめていた。
それを母親が見とがめて、「だめでしょ。見たら失礼よ」と叱った。
なんだか落ち着かなくなってきた。日本ではろう者を知らない人が多すぎる。
俺だって由佳と付き合う前は、何にも知らなかったけれど。
支払いは古河さんがしてくれ、淳一の出したお金を受け取ってくれなかった。
「次は、もっといい記録を出して、みなさんを招待します」
三人が手をひらひらしてくれた。手話の拍手だ。言葉よりわかりやすい。
帰りは由佳の隣に座った。
淳一の肩に頭を寄せてきたので、少し緊張しながら肩を抱いて、手も握った。
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由佳が耳元でつぶやいた。明朝はまた20キロの日か。
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