沈黙のメダリスト

友清 井吹

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Ⅲ ロンドンへの道

6 靴の寿命

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10月、大津の皇子山陸上競技場で、関西学連の予選会が行われた。
参加大学ごと一万のタイムを合計する。
淳一は29分15秒で一組28人中1位。自己ベストを1分近く縮めることができた

東田も薮田も31分台をキープ。六甲大が1位で通過した。2位は阪神体育大。3位は甲陽大。
試合終了後、両校の監督らしき人がやって来た。以前高校の校長室で会った人だ。 

「倉本君、久しぶりだな。やっぱり陸上に来たんだな。二年前、君が駅伝で区間新を取って注目したのが間違いではなかった。我々に見る目があったということだ」
「あの時、無理にでも君を引っ張っていたらよかった。まあ六甲大も国立の中では陸上が強い所だからな。しかし今からでもうちに来てくれたら歓迎するよ」
また二人から名刺をもらった。

次は11月19日のびわ湖大学駅伝だ。TVにも出るらしい。
そこではっと気が付いた。

19日?次の20日は神戸シティマラソンじゃないか!完全に忘れていた。
マラソンに出るからと言って、まさか駅伝をやめさせてはくれないだろう。

由佳の計画では、シティマラソンで2時間20分前後の記録を出す。
そのタイムならびわ湖毎日マラソンにエントリーできる。
そこで優勝するか日本人1位になれば、ロンドン五輪出場の夢が果たせる。
本当に夢みたいな計画だが、ほかに道はない。

神戸マラソンを棄権して、どこかのマラソン大会に参加するという手もあるが、今から一般参加のエントリーなんか間に合わない。
帰りの電車で由佳に何度もメールで相談した。

「大丈夫。両方出たらいい。私は知っていた。ジュンも知っていると思っていた」
「二日連続して走れるかな?」
「私がいるから、大丈夫」
信頼するしかない。ここまで来れたのも彼女のおかげだ。

10月に入り、うれしい知らせがあった。
洋二兄から自宅の売却が終わったので40万円の振込先を知らせるようにと、連絡があったのだ。
バイトができない今となっては、正直ありがたい。

銀行で記帳すると50万円もの数字が目に入り、しばらく幸福な気分で眺めていた。
大学の書籍代と遠征に行く費用が馬鹿にならず、残り少ない預金を取り崩していたのだ。
当分はお金の心配をせずに済みそうだ。こんなこと、生まれて初めての経験だ。

陸上競技部の練習は駅伝一色になった。
彼女と相談して、夕方トラックで走るので夜の練習をやめることにした。
夏と違い、暗くなるのが早くなり、ミーティングもしづらくなってきたのだ。
これで彼女の母親にも言い訳が立つ。

王子競技場の400mトラックを照明灯の光で走る。やや肌寒いものの気持ちがいい。
足の調子は持ち直したが、前に違和感があったので無理はしていない。
今日は千を5本、軽いジョグをしてまた5本。
朝練の成果で、いつ走ってもキロ3分10秒前後をキープできるようになっている。
彼女のおかげだ。

その走りをじっと見ていた監督が、淳一を呼んだ。
「君の走りは、概ね安定しているが、ストライドの幅が微妙に違っている。何か足をかばうみたいだが、どこか痛いのか?」
「いや、前につったので用心しているだけです」
「ちょっとシューズを見せてくれ」

二足ともじっくり見てから尋ねた。
「これ、いつからはいているんだ。それから君はシューズを何足持っている?」
「この靴は足に合ってると思って、5月からずっとはいています。靴は家の練習用とこれ、試合用と合わせて三足です」
「これなあ、前の内側がすり減っているしアウトソールもなくなってしまっている。それで走りに影響してきたんだな。よく一足だけで半年も使い続けたな。一体どれだけ走ったか分からんだろう。それにしたら外側はあまり減ってないが」

陸上部に入って、初めて手に入れた一万円以上のシューズだ。もう寿命が来ていたのか。
「あのなあ、君の記録は相当な練習の成果だと思うが、この靴では足を痛めるぞ。君が奨学金だけで生活しているというのは本当だったんだな」

そんな話が監督まで届いていたのか。何も言えなかった。
「明日の練習は休んでいいから、夕方5時にJR三宮駅前で会おう。いいな?」

吉泉監督は教育学部の教授で、専門は運動生理学。スポーツバイオとかの世界では有名な人らしい。先輩部員によると、研究室はスポーツジムみたいで、そこで選手の膨大なデータを取り、研究した理論を競技で試すと言うことだ。

次の日の朝、彼女に靴を見せ、監督に言われたことを伝えた。
試合用の靴と練習用の靴をじっと見比べ、泣きそうな顔になった。教えない方がよかった。

「毎日見ているのに気付かなかった。私のせい。私の力不足」
「君がいたら、はだしでも走れるよ」
「私、自信がなくなった。もっとあなたの走りをしっかり見る。靴も買いに行こう」

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