沈黙のメダリスト

友清 井吹

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Ⅲ ロンドンへの道

23 由佳の退院

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彼女は結局10日間も入院した。
頭の怪我については後遺症の心配はなさそうだが、頭部外傷と指の骨折で全治二か月ということだ。

吉泉監督とマネージャー、東田の3人が、病院へ見舞いに来てくれた。
見舞いの品は新しいランニングシューズ。それと淳一と二人で長居公園を歩いている写真。
ご丁寧にかわいらしい額に入れてある。

あと一つは淳一の運動データの資料だ。
分厚いプリントがファイリングされていたのでざっと目を通した。
心拍数や呼吸数ならわかるが、BMⅡやら乳酸値、Vo2MAXのグラフ。
意味不明な数値が並んだ表が示されている。
さらに驚いたのは淳一が競技場で走る連続写真が、何ページも添えられていたことだ。
誰がいつ撮ったんだ。資料を受け取った由佳は、レポートにくぎ付けになっていた。

退院する日、彼女を三田島医院の玄関で待った。
車から降りると、待ち構えていた淳一の腕につかまってきた。父親が冗談っぽく言った。
「夏場でなくて不幸中の幸いだ。頭や手をギブスや包帯でぐるぐる巻きだからな。暑い時期なら大変だった」
彼女のカバンを持って部屋に入った。本当は彼女を両手で抱きあげて運びたかった。

「痩せたね」
「あなたも」
「色が白くなって、前よりきれいになった」
「あなたは、前より顔が怖くなった。練習して痩せたの?」
「そうかもしれない。185cmで62kg。絶好調だよ」
「私がいない方が調子いいの?」
「君のことを考えながら走っている。僕らはいつも一緒だ」
「私、ジュンの役に立っていない」

口をゆがめて泣く前の顔になった。彼女の右手を握った。かすれた声が聞こえる。
「私の・こと・忘れて・いなかった?」
愛おしいとはこういう時の言葉だろうか。思わず抱きしめた。

突然ドアが開けられた。父親だった。今日はチャイムなしか。
彼女と抱き合ったままの姿を見られてしまった。今から離れても遅いな。
由佳はまだ気付かず抱き着いたままだ。

「すまん。今から私らは家を空けることになったから、それを知らせようと思って来たんだ。急に開けて悪かったな」
あわててリビングに行くと、母親が出かける用意をしていた。

「私たちは怪我をされた先生のお見舞いに行くの。少し前に意識が回復されてね。相談することもあるから、悪いけどしばらくいてくれる?食事の用意はしてあるから」
「お帰りになるまでここにいます。その後大学に行って、監督にお礼を言ってきます」
「じゃあ少しの間お願いね。パパは、もう車で待っているから」
そう言ってあわただしく出て行った。

部屋に戻り二人して向かい合った。もう誰もいない。また抱きしめようとしたが押し返された。
「お風呂に長い間入ってないからだめ」
それでも我慢できず、長い口づけをした。これ以上はやっぱり駄目かな。
二人きりのこんなチャンスは当分来ないかもしれないのに。

三島由紀夫の作品『潮騒』の二人も、裸のまま抱き合いながら我慢したんだったな。
何度も繰り返し読んだ場面を思い出した。

由佳から吉泉レポートを見せられ現実に戻った。
彼女はレポートの内容を完全に理解していた。説明を聞いたが、片手の手話ではわかりづらい。
「今日、先生に会って当日の注意を聞いたら教えてね。私、絶対応援に行くから」

来て欲しいが、いくらなんでも三日後では無理だろう。


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