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Ⅳ オリンピック代表
4 香奈さんと握手
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ユニバー記念競技場で行われる県の陸上競技大会に出場した。
この大会に六甲大陸上競技部は、ほとんどの部員がエントリーしている。
淳一は一万mグランプリに招待された。スタートは18時。
先程行われた一般男子の400mリレーは盛り上がり、淳一も大声で声援を送った。
惜しくも実業団チームにかわされたが2位になった。
今や六甲大は、長距離に限らず、多くの種目で県や近畿大会において常に上位に位置している。
由佳は講義があるので、17時を過ぎてから応援に来るとメールがあった。
その後久しぶりにデートの予定だ。
淳一を見つけた高校の陸上部員が、写真を撮りたいとひっきりなしにやって来る。
笑顔で応じながらも、目は由佳を探していた。隣に誰か座ったので、やっと着いたのかと思った。
「倉本君、次、出るのね」
橘香奈さんだった。首にコーチ・監督証のカードを掛けている。
薄く化粧もしていて、ぐんと大人びて見えた。思わず横顔に見とれてしまった。
女性はどんどん変わっていくんだな。
「私、高校の陸上部の練習を手伝っているの。倉本君、母校のチームを応援してくれた?」
「マイルだったかな?1600mリレーは見たよ。君が頑張っていた姿を思い出した」
「よかったのはあの時だけ。倉本君がオリンピックに出ることが決まってから、私にまで取材があってね。君が高校の時の彼女かって聞かれたけど、まさかね。私なんかその他大勢だったでしょ?」
返答に困った。
「高校では君に助けてもらってばかりだった。あの時、素直に君の気持ちを受け入れていたら、あんなにしんどくなかったかもしれない。俺は、何も分かってなかった」
「三上さんから倉本君のことよく教えてもらってるのよ。高校生の彼女がいるんだって?」
「今年専門学校に入った。彼女というよりコーチかな」
「私もね」
よく覚えている恥ずかしそうな顔になった。
「倉本君のようにかっこよくも賢くもないけど、陸上をやってた人と付き合っているの。今どこかで私たちを見てやきもきしているわ。でも私にはお似合いかな」
「俺の知っている人?」
「さあ、どうだろう。でも今日会えてうれしかった。頑張ってね。応援しているから」
何とも言えない、やるせない気持になった。手を差し出すと軽く握ってくれた。
そのまま、しばらくお互いを見つめ合った。香奈さんの目が潤んできたように見えた。
彼女の方から手を離し、振り返らず行ってしまった。
彼女の後姿を目で追いながら思った。言葉だけの会話はこんなに楽だったのか。
グランプリ一万の召集時間になった。
由佳と会えないまま召集場所に移動した。多分どこかで見ているだろう。
夕闇が迫り照明が灯される。選手紹介で淳一が手を挙げると大きな拍手や歓声が起こった。
号砲で31人の選手がスタートする。
招待されたアフリカ人選手の3人は、予想通りスタート直後からとばしている。
400mトラック25周の長丁場だ。
多分彼らはキロ2分50秒前後で一万の半分を走り、日本人がついていけなくなったところでペースを落とし、ラスト5周辺りで外国人だけでトップ争いをするだろう。
最後まで彼らに付いて行くのが今日の課題だ。
10周までは真ん中辺りに位置し、13周目で先頭集団に追いついた。
一位選手のラップタイムは電光掲示板に表示されているから、プラス4、5秒が自分のタイムだ。
流されている単調な音楽のリズムに合わせ、同じペースで走ることを心がけた。
メインスタンド前を走る時、観客席に目を向けた。スタンド全体が日陰になりよく見えない。
先頭集団のアフリカ人選手の順位が、何度も入れ替わっているのが見える。
そろそろトップをめぐる攻防が始まる。
ラスト1周。鐘が鳴った。
5位に着けていたが、そこからスパートした。先頭は100mも先にいて追いつけるはずがない。
2位狙いだな。一人抜き、二人目に追いついた。
3位でフィニッシュラインを越える。
タイムは27分58秒。やっと28分が切れた。
トップのケニア人選手とは、20秒差もある。まだまだだな。
表彰式が終わり、部のミーティングも済ませたが、まだ由佳には会えない。今日は思い出のファミレスで食事をするはずなのに、用事でもあったのかな。
メールが来ていた。
「女の人と長いこと話しているから近づけなかった。うれしそうに手を握りあっていた。あの人と勝手に好きな所に行けばいい」
この大会に六甲大陸上競技部は、ほとんどの部員がエントリーしている。
淳一は一万mグランプリに招待された。スタートは18時。
先程行われた一般男子の400mリレーは盛り上がり、淳一も大声で声援を送った。
惜しくも実業団チームにかわされたが2位になった。
今や六甲大は、長距離に限らず、多くの種目で県や近畿大会において常に上位に位置している。
由佳は講義があるので、17時を過ぎてから応援に来るとメールがあった。
その後久しぶりにデートの予定だ。
淳一を見つけた高校の陸上部員が、写真を撮りたいとひっきりなしにやって来る。
笑顔で応じながらも、目は由佳を探していた。隣に誰か座ったので、やっと着いたのかと思った。
「倉本君、次、出るのね」
橘香奈さんだった。首にコーチ・監督証のカードを掛けている。
薄く化粧もしていて、ぐんと大人びて見えた。思わず横顔に見とれてしまった。
女性はどんどん変わっていくんだな。
「私、高校の陸上部の練習を手伝っているの。倉本君、母校のチームを応援してくれた?」
「マイルだったかな?1600mリレーは見たよ。君が頑張っていた姿を思い出した」
「よかったのはあの時だけ。倉本君がオリンピックに出ることが決まってから、私にまで取材があってね。君が高校の時の彼女かって聞かれたけど、まさかね。私なんかその他大勢だったでしょ?」
返答に困った。
「高校では君に助けてもらってばかりだった。あの時、素直に君の気持ちを受け入れていたら、あんなにしんどくなかったかもしれない。俺は、何も分かってなかった」
「三上さんから倉本君のことよく教えてもらってるのよ。高校生の彼女がいるんだって?」
「今年専門学校に入った。彼女というよりコーチかな」
「私もね」
よく覚えている恥ずかしそうな顔になった。
「倉本君のようにかっこよくも賢くもないけど、陸上をやってた人と付き合っているの。今どこかで私たちを見てやきもきしているわ。でも私にはお似合いかな」
「俺の知っている人?」
「さあ、どうだろう。でも今日会えてうれしかった。頑張ってね。応援しているから」
何とも言えない、やるせない気持になった。手を差し出すと軽く握ってくれた。
そのまま、しばらくお互いを見つめ合った。香奈さんの目が潤んできたように見えた。
彼女の方から手を離し、振り返らず行ってしまった。
彼女の後姿を目で追いながら思った。言葉だけの会話はこんなに楽だったのか。
グランプリ一万の召集時間になった。
由佳と会えないまま召集場所に移動した。多分どこかで見ているだろう。
夕闇が迫り照明が灯される。選手紹介で淳一が手を挙げると大きな拍手や歓声が起こった。
号砲で31人の選手がスタートする。
招待されたアフリカ人選手の3人は、予想通りスタート直後からとばしている。
400mトラック25周の長丁場だ。
多分彼らはキロ2分50秒前後で一万の半分を走り、日本人がついていけなくなったところでペースを落とし、ラスト5周辺りで外国人だけでトップ争いをするだろう。
最後まで彼らに付いて行くのが今日の課題だ。
10周までは真ん中辺りに位置し、13周目で先頭集団に追いついた。
一位選手のラップタイムは電光掲示板に表示されているから、プラス4、5秒が自分のタイムだ。
流されている単調な音楽のリズムに合わせ、同じペースで走ることを心がけた。
メインスタンド前を走る時、観客席に目を向けた。スタンド全体が日陰になりよく見えない。
先頭集団のアフリカ人選手の順位が、何度も入れ替わっているのが見える。
そろそろトップをめぐる攻防が始まる。
ラスト1周。鐘が鳴った。
5位に着けていたが、そこからスパートした。先頭は100mも先にいて追いつけるはずがない。
2位狙いだな。一人抜き、二人目に追いついた。
3位でフィニッシュラインを越える。
タイムは27分58秒。やっと28分が切れた。
トップのケニア人選手とは、20秒差もある。まだまだだな。
表彰式が終わり、部のミーティングも済ませたが、まだ由佳には会えない。今日は思い出のファミレスで食事をするはずなのに、用事でもあったのかな。
メールが来ていた。
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