沈黙のメダリスト

友清 井吹

文字の大きさ
105 / 139
Ⅳ オリンピック代表

23 キス以上の事

しおりを挟む
選手村で、朝、食堂に行くと、また厨房の人たちが出迎え、握手を求めてきた。仕方なしに応じていると加納さんから電話がかかってきた。

「昨日はご苦労さん。でも今日も大変なことになっているんだ。イギリスのろう者の会だけでなく、日本人の会からも招待がたくさん来ている。昨日の君たちのスピーチが動画配信されて、世界中で話題になっている」
大げさなことを言っていると思った。

「それより僕たちのプライベートな時間はどうなるんですか?」
今日夜のフライトまで、午前中だけでもロンドンブリッジやロンドンアイに行く予定だった。大英博物館はもうあきらめていた。

「悪いが、さっき日本大使館で君たちの歓迎レセプションを行うと連絡があった。それだけでいいから出席してくれないかな。出発はもう一日延ばし、君たちは同じ便で帰国できるように手配してもらうから」

駐英大使館はバッキンガムの近くで、歴史を感じさせる重厚な建物だった。
レセプションは立食パーティーだと聞いたが、数十人の出席者は正装してきており、ユニフォーム姿は淳一だけだった。もうスピーチは勘弁してもらった。
大使館の人が言うには、淳一のマラソン入賞以来、二人がマスコミで取り上げられる量は激増したらしい。特に由佳の人気が高く、王室の方に膝を曲げて挨拶をしたり、手話でアイ ラブ ロンドンをする動画のアクセスが数百万に達したとのことだ。

「ここ数日だけで、日本に対する好感度が急上昇している。君たちのおかげだ」
そんなあいさつをされたが、大して嬉しくもない。

その日も一日3件のパーティーと日英米のテレビや新聞の取材を受けた。もういくつあったか忘れた。淳一も由佳も母親も疲れ果て、最終日は、空港に行くまでどこにも行かなかった。淳一は利用最終日の選手村でひたすら寝て過ごした。

8月14日。ヒースロー空港から、夕方の便で帰国の途についた。
大使館が手配してくれて、三人とも同じ便の近い席に座ることができた。
座席は行きと同じプレミアムエコノミー。

日本人のキャビンアテンダントさんは、今回も何かと親切だった。
「もし機内でストレッチをしたいときは、声をかけてくださいね」
笑顔でそう言った。なぜか行きの便のことを知っている。もうする気はないよ。

由佳と淳一は隣席にしてもらった。彼女は淳一を窓側に座らせ、さっさと持参したノートパソコンを開いた。のぞくとJUN1から2,3、と順にアプリが並んでいる。
「これは何?」
「あなたのデータ。今からオリンピックの分も入れるから邪魔をしないで」

彼女が、席を外した間に、JUN1をクリックしてみた。何百枚も俺が走っている写真ばかり。
アップや遠景など一画面に何十枚も貼り付けられている。
JUN2は淳一の基本データ。体重や身長と以前吉泉教授から渡されたデータが何ページも表になっていた。そういえば、朝の練習が終わり、寺に帰ったらすぐ体重計にのせられ、体重以外のデータも記録していたな。
彼女が負傷した後の二週間分は空白になっていた。

彼女が帰って来ると叱られた。
「さわらないで。あなたはコンピュータを使えないでしょう」
「それは言い過ぎだよ。でもこんな資料を作れるなんてすごいな。看護師もいいけれど、コンピュータの勉強をする方がいいのじゃないか?」
「私もそう思う」
「でも帰ったら、また看護学校で勉強だよ」
返事をせず考え込んでいた。窓の外は真っ暗で、時折り下に街の光が見える。

「帰ってから、どうするか決める。私、親不孝ばかりしているから」
「親不孝?」
「わがままを言って、たくさんのお金を払ってもらった」
「僕のせいなら、銀メダルの賞金を全部わたすよ」
「そんなことより私はこの国が好き。もっとロンドンにいたかった」
「僕は、君と早く日本に帰りたい。帰ったら約束を守ってもらう」
「約束?」

彼女の体を指さすと、淳一を睨んでたたこうとした。
「ジュンの馬鹿。いやらしいことを考えている」
どこでもいい。早く君と二人きりになりたいよ。

食事が運ばれてきたが、あまりお腹は減っていない。
「少しだけ食べて寝ましょう。今日本は明け方。日本に着いたらお昼過ぎになる。帰ったらたくさんすることがあるでしょう?時差ボケを少なくしないと」
食事をしてから、毛布をもらい目を閉じた。

帰国したらどんな生活になるのだろう。
トレーニングはもういい。由佳が看護学校に行けるようにサポートしよう。
一緒に行きたいところも山ほどある。キス以上のこともしたい。
毛布のなかで由佳の手を探し、握りしめた。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

処理中です...