沈黙のメダリスト

友清 井吹

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Ⅴ 由佳の選択

4 紀和子先輩

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突然、職員室横にある会議室の戸が開いた。
吉見先生と、まさか紀和子先輩が?

「あら倉本君。オリンピック選手が、どうしたの?」
「先生にお礼を言いに来たんです。でも仁志先輩が何でここに?」
「私の自慢の教え子が二人そろったわね。彼女とは教育実習の打合せ。倉本君、校長室じゃなくて廊下で待っていたの?」
「僕は先生だけに会いたくて来たんです。でも仁志さんと会えるとは思わなかった」
「まずは校長室に行きましょう。メダリストをこんなところに待たせたのは誰かしら?」
「いや、今日は先生にお土産渡すだけのつもりで来たんです」

ロンドンで買った土産の箱を渡した。紀和子先輩が笑顔で言った。
「では私は失礼します。倉本君、銀メダルおめでとう。会えてよかったわ」
猛烈に焦った。これだけで別れたくない。

彼女は二年前と変わらず美しかった。スーツを着ていて女子大生とは見えない。
「あのう、僕もこれで失礼します。えっと、吉見先生に助けてもらったことは一生忘れません」

こんな簡単なお礼でいいはずがない。でも今は何としても紀和子先輩と話がしたい。
吉見先生は、担任だった頃より、話し方も態度も堂々としていた。
あの頃の先生とずい分変わった気がする。俺は何を期待して会いに来たのだろう?

バスに乗らず、駅まで並んで歩いた。学校まで毎日走った懐かしい通学路だ。
「倉本君は、一緒に泳いでたあの頃からずっと成長し続けて、夢を実現させたのね」
「僕は何も変わってないですよ。あの、先輩も白井さんもお元気でしたか?」
彼女は、少し表情を曇らせた。

「白井さんとはもう別れたの。私の理想としている彼じゃなくなってきたから。彼は優しかったけれど、あなたみたいに強い人じゃなかった」
「俺なんか、何にも強いとこなんかないです。一人では何にもできない弱虫だ」
むきになって言った。そんな淳一を見て仁志先輩は微笑んだ。

「3年前になるね。今考えたらあの頃は楽しかったわ。倉本君が男子一人だけで泳いでいた時」
「先輩に、仁志さんに認められたくて、見ていてほしくて必死でした」
「あなたのまなざしは感じてた。ほら、試合で泳ぎ終わった後、よくハイタッチしたでしょう。あなたが手を握ってくるから、私もどきどきしていたわ」
そうだったな。甘酸っぱいような気持ちで胸が一杯になった。

「仁志さんが、僕にとって最高のあこがれの人だったから、頑張って泳げたし、走ることができた。でも白井先輩とのことを知って落ち込みました。何にも知らずに馬鹿やっていた」
また優しく微笑んだ。まるで出来の悪い弟を見つめる姉みたいだ。

「倉本君は、今日本中で話題になっているけれど、昔と同じで安心したわ。そういえば新聞で六甲大の先生が書いた記事を読んだけど、三田島さんてすごい女の子なのね」
吉泉教授が寄稿した『二人で勝ち取った銀メダル』というレポートだ。由佳がスポーツ生理学会でプレゼンしたことを中心に載せられていた。その日から彼女に取材依頼が殺到しているらしい。

「いい人と出会えてよかったわね。大学で手話研究会の友達が、あなたたちのロンドンでの手話を学園祭で再現するって言っていたわよ」
「人に見せるためにしたのじゃなかった。あんなことやって今は後悔しています」
「私ね。今、特別支援の教師になるか迷っているの。障害児教育の道に進もうという人と付き合っているから、影響を受けたのかもね」
笑いがこみあげてきた。これが紀和子先輩と最初で最後のデートになるな。

「仁志さんはいつも僕の手の届かない所にいますね。最後にもう一度、握手していいですか?」
もう会うことはないかもかもしれない。彼女の目を見てしっかり手を握りしめた。

しまった。由佳との約束を忘れていた。これは秘密にしておこう。


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