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Ⅴ 由佳の選択
20 アンパンマン
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淳一の胸の中でひとしきり泣いた後、彼女は、涙をぬぐいもせず顔を上げた。
「先輩。一つだけ私のお願いを聞いて。一つだけでええから」
由佳のことを忘れてほしいと言うのだろうか?
真剣に見つめる目に押されるようにうなずいてしまった。いつもながら意志薄弱だ。
それは思ってもみなかった願いだった。
「先輩。陸上で走ってよ。私、サポートするから。また走って試合に出て下さい。お願いやから」
こんなことすぐに返答できない。「考えてみる」としか言えなかった。
彼女が作ってくれたたこ焼きは、本当においしかった。
夜店などで売っているたこ焼きとは全く別物で、中身がとろけるようで初めて知った味だ。
この地域では、たこ焼きと言わず卵焼きともいうことが納得できた。
後片付けをする頃には、いつものみどりに戻っていた。
「私小さい頃から、丸顔やし力が強いから、みんなからアンパンマンて言われてたん。中学では私より背の高い男子ちょっとしかおれへん。バレー部の先輩に好きやって手紙を出したけど、お前、背が高いし足長すぎるって断られた。ショックやったあ。そんなん、私どうしようもないやん。今まで友達のこと、たくさん助けたけど、私にはアンパンマンは来えへんかった」
彼女がいじらしいと思った。何とかしてやりたいとも思った。
でも何ができる?
一つだけあったな。心を決めようか。大きく息を吸った。
「分かった。俺、もう一回走ってみるよ」
その日以後、デートはランニング中心になった。
運動公園にある競技場の周り、5キロほどのコースをみどりと一緒に走る。
彼女が休憩する間、さらに同じコースをもう一度走り、その後マッサージやアイシングをしてくれるパターンだ。
終わったら、そこで別れて家に帰りシャワーを浴びる。これではデートとは言えないな。
マッサージはいつも強すぎて痛いが、ゴールしたら誰かが待ってくれるのはうれしい。
初めは10キロだったのが、ジョグではあるが20キロまで距離を伸ばすことができた。
タイムは取ったことがない。由佳のまねをしなくてもいい。
浅岡先生の言葉は胸に突き刺さったままだ。
みどりに気がないのなら、傷が浅いうちに別れてほしいということだろう。
でもみどりはそんな関係でもいいと言ってくれた。それに甘えている俺はずるい。自分が嫌になる。
大みそかと正月は例年通りに寺に行った。除夜の鐘の準備や転読。檀家さんの接待。
何がどこにあるか知っているので、指示を受けなくてもできる。ほとんど眠らずに働いた。
三が日が終わり、寺を出ようとする時、伯母さんが封筒を淳一に渡そうとした。
「淳一さんご苦労様。それから由佳のことごめんね。許してあげてね」
伯母さんと顔を見合わせ、二人して泣きそうになり、あわてて寺を出た。
封筒を見ると5万円入っていた。それを寺の郵便受けに入れ、明るくなった道を一人で歩き出した。
今年は4回生になる。人生の岐路だな。
由佳がいない日々が積み重なっていく。
もう彼女の心には俺の事など、影すら見えないかもしれない。
彼女のことを思い出しても、以前のように胸をかきむしられるような思いはしなくなった。
みどりと遅い初詣に行った。
彼女は年末から、神社で巫女さんのアルバイトをしていたので会えなかったのだ。
真剣に手を合わせるみどりを横目で見て、何とも言えない気持ちになった。
心の底で、由佳が帰って来てくれるのを願っている俺は、みどりと付き合う資格なんかないのに、彼女とは別れたくはない。自己矛盾している自分自身が情けない。
神様はどう見ているのだろう。今年はどんな年になるのだろう。
「先輩。一つだけ私のお願いを聞いて。一つだけでええから」
由佳のことを忘れてほしいと言うのだろうか?
真剣に見つめる目に押されるようにうなずいてしまった。いつもながら意志薄弱だ。
それは思ってもみなかった願いだった。
「先輩。陸上で走ってよ。私、サポートするから。また走って試合に出て下さい。お願いやから」
こんなことすぐに返答できない。「考えてみる」としか言えなかった。
彼女が作ってくれたたこ焼きは、本当においしかった。
夜店などで売っているたこ焼きとは全く別物で、中身がとろけるようで初めて知った味だ。
この地域では、たこ焼きと言わず卵焼きともいうことが納得できた。
後片付けをする頃には、いつものみどりに戻っていた。
「私小さい頃から、丸顔やし力が強いから、みんなからアンパンマンて言われてたん。中学では私より背の高い男子ちょっとしかおれへん。バレー部の先輩に好きやって手紙を出したけど、お前、背が高いし足長すぎるって断られた。ショックやったあ。そんなん、私どうしようもないやん。今まで友達のこと、たくさん助けたけど、私にはアンパンマンは来えへんかった」
彼女がいじらしいと思った。何とかしてやりたいとも思った。
でも何ができる?
一つだけあったな。心を決めようか。大きく息を吸った。
「分かった。俺、もう一回走ってみるよ」
その日以後、デートはランニング中心になった。
運動公園にある競技場の周り、5キロほどのコースをみどりと一緒に走る。
彼女が休憩する間、さらに同じコースをもう一度走り、その後マッサージやアイシングをしてくれるパターンだ。
終わったら、そこで別れて家に帰りシャワーを浴びる。これではデートとは言えないな。
マッサージはいつも強すぎて痛いが、ゴールしたら誰かが待ってくれるのはうれしい。
初めは10キロだったのが、ジョグではあるが20キロまで距離を伸ばすことができた。
タイムは取ったことがない。由佳のまねをしなくてもいい。
浅岡先生の言葉は胸に突き刺さったままだ。
みどりに気がないのなら、傷が浅いうちに別れてほしいということだろう。
でもみどりはそんな関係でもいいと言ってくれた。それに甘えている俺はずるい。自分が嫌になる。
大みそかと正月は例年通りに寺に行った。除夜の鐘の準備や転読。檀家さんの接待。
何がどこにあるか知っているので、指示を受けなくてもできる。ほとんど眠らずに働いた。
三が日が終わり、寺を出ようとする時、伯母さんが封筒を淳一に渡そうとした。
「淳一さんご苦労様。それから由佳のことごめんね。許してあげてね」
伯母さんと顔を見合わせ、二人して泣きそうになり、あわてて寺を出た。
封筒を見ると5万円入っていた。それを寺の郵便受けに入れ、明るくなった道を一人で歩き出した。
今年は4回生になる。人生の岐路だな。
由佳がいない日々が積み重なっていく。
もう彼女の心には俺の事など、影すら見えないかもしれない。
彼女のことを思い出しても、以前のように胸をかきむしられるような思いはしなくなった。
みどりと遅い初詣に行った。
彼女は年末から、神社で巫女さんのアルバイトをしていたので会えなかったのだ。
真剣に手を合わせるみどりを横目で見て、何とも言えない気持ちになった。
心の底で、由佳が帰って来てくれるのを願っている俺は、みどりと付き合う資格なんかないのに、彼女とは別れたくはない。自己矛盾している自分自身が情けない。
神様はどう見ているのだろう。今年はどんな年になるのだろう。
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