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Ⅴ 由佳の選択
28 日本新記録
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周回遅れの選手を片っ端から抜いていった。
オーバーペースなのは分かっている。ずっと前から、両足とも悲鳴を上げていた。
俺はもう負けない。
誰に?
由佳にか?違う。
由佳を奪った彼か?それも違う。
多分、俺自身かもしれない。
いつか思い出せないが、こんな風な気持ちで走ったことがあった。
何かに怒りをぶつけながら走った。悲しみを乗り越えようとして走った。涙を流しながら走った。
遠い記憶だ。
両足のふくらはぎが痙攣を訴え始めている。この痛みも懐かしい。
大丈夫だ。走り終えたらみどりが待っていてくれる。
一年ぶりの復帰第一戦。
今、ここで走りぬかないでどうする。棄権なんて絶対しない。
8周目の半ばで、いつも聞いている競技場特有のアナウンスが聞こえてきた。
「只今行われている男子5000m走にご注目ください。六甲大の三田島選手。現在9周目になろうとしています。3000mのラップは7分53秒であります。大変な記録が期待できそうです」
大変な記録?大会新か。県新記録か。どっちでもいい。
タイムより、今日レースで走れたことがうれしい。
そして最後まで走り抜けたい。
銀メダリストの復活?どうでもいい。走りたいから走るだけだ。
後1周。鐘が連打される。
第3コーナーから最後の直線コース。
全力疾走したいが余力はもうない。肺も足もどこもかもが痛くて苦しい。
でもあの時の心の痛みに比べれば何でもない。
メインスタンドからの歓声が高まった。上ずった声の場内放送が聞こえる。
もうスタンドには目を向けない。
真正面だけ向いて走る。
由佳のいたあの場所を目がけて走る。
フィニッシュラインを越えた。一瞬、足元にある電光掲示板の末尾の数字が目に入った。
7秒35。
拍手がさらに大きくなった。
14分台だったか?
まさか、13分台か!
「日本新。日本新記録であります。六甲大の三田島選手が、6年ぶりに5000mの日本記録を大幅に更新しました」
どこだ?
フィールドを歩きながら、メインスタンドにいるみどりを探した。
今から貰うメダルを君の首に掛けてやるよ。きっと泣くだろうな。
いや、もう泣いているかもしれない。
でもみどりはそれでいいよ。君は君だ。
君がいなかったら、今日走ることはできなかった。
リオか東京で走ってもいい、そんな気もしてきた。
いやオリンピックでなくても構わない。
どこでもいいから、みどりと一緒ならまた走ることができる。
彼女を紹介してくれた吉見先生には、また借りができた。
退場ゲート上の誰もいない観客席が視界に入った。
目を閉じた。
笑顔で、『おめでとう』の手話をしている由佳が見える。
二人で駆け抜けた年月。
今まで生きてきて一番輝いた日々。
忘れようと思っても忘れられるはずがない。
忘れる必要もない。
忘れる努力はもうしない。そう決めた。
消えない記憶、人には話せない思い出を胸に抱いて生きていく。
その積み重ねが大人になるという事ではないだろうか。
俺たちの人生はまだ始まったばかりだ。
これから新たなページに、第二章を綴っていくのは俺自身だ。
物語の主人公をなぞるのではない。
目を開け、由佳のいた観客席よりさらに上を見た。
そこには抜けるような青い空と、ほんのり夕日でオレンジ色に染まりかけた雲があった。
それが笑顔の母と父に見えた。
母さん。父さん。見てくれていたんだな。
もう俺は大丈夫だよ。これからも前を向いて生きていく。
いつだって俺は一人じゃない。
オーバーペースなのは分かっている。ずっと前から、両足とも悲鳴を上げていた。
俺はもう負けない。
誰に?
由佳にか?違う。
由佳を奪った彼か?それも違う。
多分、俺自身かもしれない。
いつか思い出せないが、こんな風な気持ちで走ったことがあった。
何かに怒りをぶつけながら走った。悲しみを乗り越えようとして走った。涙を流しながら走った。
遠い記憶だ。
両足のふくらはぎが痙攣を訴え始めている。この痛みも懐かしい。
大丈夫だ。走り終えたらみどりが待っていてくれる。
一年ぶりの復帰第一戦。
今、ここで走りぬかないでどうする。棄権なんて絶対しない。
8周目の半ばで、いつも聞いている競技場特有のアナウンスが聞こえてきた。
「只今行われている男子5000m走にご注目ください。六甲大の三田島選手。現在9周目になろうとしています。3000mのラップは7分53秒であります。大変な記録が期待できそうです」
大変な記録?大会新か。県新記録か。どっちでもいい。
タイムより、今日レースで走れたことがうれしい。
そして最後まで走り抜けたい。
銀メダリストの復活?どうでもいい。走りたいから走るだけだ。
後1周。鐘が連打される。
第3コーナーから最後の直線コース。
全力疾走したいが余力はもうない。肺も足もどこもかもが痛くて苦しい。
でもあの時の心の痛みに比べれば何でもない。
メインスタンドからの歓声が高まった。上ずった声の場内放送が聞こえる。
もうスタンドには目を向けない。
真正面だけ向いて走る。
由佳のいたあの場所を目がけて走る。
フィニッシュラインを越えた。一瞬、足元にある電光掲示板の末尾の数字が目に入った。
7秒35。
拍手がさらに大きくなった。
14分台だったか?
まさか、13分台か!
「日本新。日本新記録であります。六甲大の三田島選手が、6年ぶりに5000mの日本記録を大幅に更新しました」
どこだ?
フィールドを歩きながら、メインスタンドにいるみどりを探した。
今から貰うメダルを君の首に掛けてやるよ。きっと泣くだろうな。
いや、もう泣いているかもしれない。
でもみどりはそれでいいよ。君は君だ。
君がいなかったら、今日走ることはできなかった。
リオか東京で走ってもいい、そんな気もしてきた。
いやオリンピックでなくても構わない。
どこでもいいから、みどりと一緒ならまた走ることができる。
彼女を紹介してくれた吉見先生には、また借りができた。
退場ゲート上の誰もいない観客席が視界に入った。
目を閉じた。
笑顔で、『おめでとう』の手話をしている由佳が見える。
二人で駆け抜けた年月。
今まで生きてきて一番輝いた日々。
忘れようと思っても忘れられるはずがない。
忘れる必要もない。
忘れる努力はもうしない。そう決めた。
消えない記憶、人には話せない思い出を胸に抱いて生きていく。
その積み重ねが大人になるという事ではないだろうか。
俺たちの人生はまだ始まったばかりだ。
これから新たなページに、第二章を綴っていくのは俺自身だ。
物語の主人公をなぞるのではない。
目を開け、由佳のいた観客席よりさらに上を見た。
そこには抜けるような青い空と、ほんのり夕日でオレンジ色に染まりかけた雲があった。
それが笑顔の母と父に見えた。
母さん。父さん。見てくれていたんだな。
もう俺は大丈夫だよ。これからも前を向いて生きていく。
いつだって俺は一人じゃない。
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