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第9話

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 週末の金曜日の夜からは私の家で過ごし、土日はドライブに出掛けたり、ショッピングや映画を楽しみ、ホテルでいちゃつくのが定番になっていた。
 
 正直な気持ちを言えば、ホテル代が勿体ないので、彼の家でというのが本音だった。
 仕事を終え、彼のマンションに行き、夕食の支度をして彼の帰りを待つ。
 食事をし、一緒にお風呂に入り、そして彼に抱かれて眠りたい。

 1回4,300円の休憩で、ラブホを月4回利用するとして1か月で17,200円、それが1年になると206,400円にもなるのだ。
 10年だと・・・。
 結婚するんだから10年はないか?
 無駄なお金は使わず、結婚資金とか、これからの生活に備えたい。

 (それとも自分の家に私を入れたくない理由でもあるのかしら?)

 実はすでに彼女と暮らしているとか? まさか結婚して子供がいたりして?
 
 (怪しい)

 それにまだ彼のお父さんたちにも紹介されていない。



 そんな土曜日の朝、いつものように実家の布団で彼と戯れている時、彼が言った。

 「沙恵、今日は午後から僕の実家に来てくれないか? 僕の家族にも君を紹介したいんだ」

 (やった! ついに来た!)

 「うん! みっちゃんの家族にも会ってみたかったんだ。
 あんっ、ダメ、もう起きないと」
 「あともう少しだけ」
 「お風呂に入って早く用意しないと。目一杯お洒落して行かなきゃ」
 「普段通りの沙恵でいいよ」

 彼の手が私の敏感なところを刺激する。

 「あっ、そこ弱いの知ってるくせに・・・」



 朝食の時、母に言った。

 「今日、満さんのご実家にご挨拶に行ってくるからね?」
 「あらそう、何か買っておけばよかったわね?」
 「ご心配なく、花を買って行きますから。
 父は花が好きなんです。
 僕のお嫁さんになってくれる沙恵に会えば、父も妹も安心しますから」



 私たちは花束を買い、彼の実家に向かった。


 満の実家はいかにも校長先生のお家といった感じの、品の良い門構のある和風住宅だった。
 門には松が植えてある。

 ドキドキしてきた。
 こんな経験は以前付き合っていた毅の時にはなかった。
 今思えば、親にも紹介してもらえない時点で、私は遊ばれていたのかもしれない。


 「ただいまーっ!」

 すると柔和な笑顔の老人が現れ、私の緊張は一挙に緩んだ。

 「いらっしゃい、満の父です。
 谷口沙恵さんですね? 息子から話は伺っています。
 さあどうぞ、上がって下さい」
 「はじめまして、谷口沙恵と申します。
 お父様はお花がお好きだと満さんからお聞きしたので、これを手土産にさせていただきました」
 「素敵なお花をありがとうございます」

 私は大きな花束を満のお父さんに渡した。


 居間に行くと、妹さんらしき人がお茶の準備をしてくれていた。
 とてもチャーミングな人だった。
 小学校の先生というよりも、やさしい保母さんといった感じの妹さんだった。

 私が「はじめまして、谷口・・・」と言いかけた時だった。妹さんは私を見た瞬間、口元を手で押え、眼を大きく見開いて驚いていた。
 まるで幽霊でも見たかのように。

 (私のことを知っている?)

 「はじめまして。谷口沙恵といいます」

 私はにこやかに挨拶をした。

 「ごめんなさい。あまりにも綺麗な人でちょっとびっくりしちゃって。
 いつも兄がお世話になっています。
 妹の幸村花音かのんです」

 妹の花音さんが満の顔を見たが、彼は目を合わせようとはしなかった。

 「綺麗な花をいただいたんだ。
 早速、お気に入りの花瓶に活けるとしよう」
 「まあ、すごくキレイなお花。とてもいい香り。
 ありがとう、沙恵さん」

 庭はきちんと美しく剪定され、あじさいの花と花菖蒲が初夏の季節を鮮やかに彩っていた。

 
 花音さんが淹れてくれた、ミントの葉が浮いたダージリンのアイスティーと、苺のショートケーキを食べながら、私たちは他愛のない世間話をした。


 「今は産休なんだけど、10月から職場復帰するんです。
 育児と仕事でこれからが大変」
 「学校の教師は手を抜こうと思えばラクな仕事だが、子供たちの将来を想っての教職は激務だからな?
 今は子供たちも大人びている割には考え方がまだ幼い。
 それに多様性のある時代に育った、複雑な価値観を持った親に対応するのも大変なことだ。
 花音は母さんに似て無理をするから、気をつけるんだよ」
 「わかってますよ。私だってそのくらい心得てるわよ。これでも学年主任ですからね?
 父はいつも私を子供扱いするのよ、やんなっちゃう」

 花音さんの笑顔が眩しかった。
 それをうれしそうに見ているお父さんと満。

 「子供はいくつになっても子供だよ。
 子供を心配しない親はいないからな?」
 「それは私も自分の子供を産んでよくわかったわ。
 子供はお爺ちゃんお婆ちゃんになっても自分の子供だからね?」

 この家族の中で、彼のやさしさや人格が養われたのだ。私は少し安心した。
 彼はやはり誠実な人だった。


 「そこで相談なんだけど、結婚したら沙恵の実家で暮らそうと思うんだ。
 花音は前から言っていた通り、この家でお父さんお母さんと同居するんだよな?
 お父さんもそれでいいんだよね?」
 「私は構わないが、ジイジとバアバと一緒というのもなあ。私たちのことは心配しなくてもいいんだよ」
 「私たちはそのつもりよ。それに旦那の親と暮らすのはちょっとねえ?
 「実家で暮らすことになりました」って言ってしまえばいい口実にもなるし。
 それに旦那の妹の悦子ちゃんもいるしね?
 いいよ、私たちはそれで」
 「ありがとう花音」
 「このお家が貰えるんだから最高だよ。
 その浮いたお金で退職したら豪華客船で世界一周!」
 「それもいいかもしれんな? 家賃はいらないぞ。 あはははは」

 みんなが笑った。
 素敵なご家族だと思った。
 親の介護などを考えれば、娘を頼りにするのが一番気を遣わずにすむ。
 無理して息子の嫁と同居しても、お互いにトラブルの元だ。
 娘の親と同居するのがベストな選択ではある。

 (もしかして満はそれを見越して私の母との同居を?
 私が母とふたりだけだからそれを心配してくれて?)

 だとしたら、何だか申し訳ないような気もする。
 そこまで私と母のことを考えてくれているなんて。



 帰りのクルマの中で、私は言った。

 「なんだか安心した。とても素敵なお父さんと花音さんで。
 お母さんにはまだお会い出来ないけど、たぶんいい人だと思う。
 だってあのお父さんの奥さんだし、あなたたちのお母さんだもん」
 「沙恵、帰りに僕のマンションに寄って行こうか?」
 「えっ? いいの?
 実はずっと行ってみたかったんだ。満のマンション。
 いやよ、歯ブラシが二本並んでいたりしたら」
 「沙恵に見せたいものがあるんだ」
 
 ハンドルを握る彼の横顔には、ただならぬ決意が漂っていた。
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