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第10話

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 そこは地元では有名なタワーマンションだった。
 彼の部屋は陽当りの良い、18階の南東の角にあった。
 広がるパノラマの風景。遠くにはつくばの山々も見えていた。

 部屋は綺麗に整理整頓され、まるで恋愛ドラマのセットのようだった。
 女の気配はしない。
 私は安心した。


 「見せたい物ってなあに? 何かすごい値打ちのある絵とか? それとも宝石? ロレックスの時計とか?」
 
 部屋の中を見渡すとフォトスタンドが置いてあり、お花と御供物の果物が眼に止まった。
 私がそれに引き寄せられるように近づいて行くと、私は小さな叫び声をあげた。

 そこに微笑んでいる女性は、私に瓜ふたつだったからだ。
 カラダの震えが止まらない。


 「君にすごく似ているだろう? 僕のフィアンセだった人だ。
 彼女は25歳の時にある重い病気になってしまってね、あっけなく死んでしまったんだ。
 15年前のことだ。
 僕が初めて沙恵をあのスーパーで見掛けた時、心臓が止まりそうだった。
 ネギを選んでいる君の横顔が彼女と重なり、僕は震えた。
 他人の空似? 諦めようとしたが、また君を郵便局で見つけてしまった。僕は運命を感じたよ。
 僕は偶然を装い、スーパーで君を待ち伏せして名刺を渡した。
 だがいくら待っても君からの連絡はなかった。
 僕はいても立ってもいられなくなり、遂に君のいる郵便局に行き、君の真意を確かめた。
 そして初めてのデート。僕はあの日、君と結婚することを決めたんだ。迷いはなかった。
 だがそれは、君が死んだ彼女に似ていたからではない。信じてくれ!
 もちろん顔は似てはいるが、君は君だ。
 美佐子とは声も、仕草も、好みもまるで違う。
 僕は美佐子ではなく、沙恵を愛したんだ。
 だからプロポーズをした。
 さっき、実家で花音が君を見て驚いていたのはそのせいだ。
 確かに最初は君と美佐子を重ねていた。
 いや、美佐子が帰って来てくれたとさえ思った。
 でも、今は違う。違うんだ!
 僕は美佐子に似ているから沙恵を愛したんじゃない! 沙恵という一人の女性として君を愛している!
 信じてくれ、だから誤解を・・・」

 すべてが崩れ去り、泪の海に部屋の景色が沈んでいった。
 私は彼の言葉を途中で遮った。

 「聞きたくない! そんな話!
 私は美佐子さんというあなたのフィアンセの代わりだったのね! 酷い! 酷すぎる!
 なんでもっと早く言ってくれなかったの! 付き合う前に!
 こんなにあなたを愛してしまった私は、一体どうすればいいのよ!
 冗談じゃないわ! こんな話ってある?
 おかしいと思ったのよ! こんなに素敵なあなたが誰とも付き合わず、結婚もせずにその歳になるまで独身だったことが!
 死んだ美佐子さんをずっと愛していたからなのね!
 あなたはやさしい人だから、これからも美佐子さんのことを忘れることは出来ない!
 私は死んでしまったあなたの恋人じゃない! そんなのイヤ! 絶対にイヤ!」


 私はそのまま彼のマンションを飛び出した。
 彼は私を追って来てはくれなかった。
 せめてもう一度言って欲しかった。

 「僕が愛しているのは沙恵、お前なんだ」と。




 家に戻り、母の顔も見ずに私は部屋に閉じ篭って泣いた。
 ドアの外で心配した母が声を掛けてくれた。

 「沙恵、満さんとケンカでもしたの? ちょっと入るわよ」

 私は思わず母に抱き着いて泣いた。

 「お母さん、彼が愛してくれたのは私じゃなかったの!
 私にそっくりな、亡くなった婚約者だったのよおおおおお~」
 
 母は私の頭を子供の頃のようにやさしく撫でてくれた。

 「そうだったの、沙恵も辛かったわね?
 でも満さんはもっと悩んだはずよ。
 自分の愛した亡くなった恋人が、突然目の前に現れる。それって残酷なことじゃないかしら?
 だって沙恵はその人じゃないんだから。
 沙恵は沙恵なんだから。
 もしもお母さんもお父さんと同じ人を見かけたら、どこまでもついて行きたくなると思う。
 沙恵、人はいつかは死ぬものよ。私も沙恵も、そして満さんも。死なない人はいないの、そして死んだその人のことを想い続けて悲しみにくれて生きても、死んだ人は嬉しくはないハズよ。
 もし沙恵が同じ立場だったらどう?
 自分のことを想って暗い人生を送って欲しいと思うかしら? 
 すべては時間が解決してくれるんじゃない?
 それほど満さんは一途な人なんだと思う。
 だってそれを言うことによって、沙恵が傷付くことはわかっていたはずよ。
 最初はわからないわ、。でもね? 今はしっかりと沙恵のことだけを見てくれていると思う。
 あなたが亡くなったその人に似ているのではなく、その人がたまたまあなたに似ていたと考えればいいんじゃないかしら? 
 沙恵は自信がないんじゃない? 死んでしまった彼女さんには勝てないと。
 いいんじゃない? あなたはあなたのやり方で、満さんを大切にしてあげたら。    
 だって、今更嫌いになんかなれないでしょう? 満さんのこと。
 とにかく、少し時間を置いて考える方がいいと思う。
 すぐに結論を出さずに」



 その後も何度も彼から連絡があり、郵便局にもやって来たが私は取り合うことはしなかった。


 「もう一度、沙恵と話し合いたいんだ!」
 「何も話すことはないわ。もう私に近づかないで!」

 私はしばらくの間、彼と距離を置くことにした。
 自分の心の整理がつくまで。
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