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最終話

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 12月の第二日曜日、ホノルルは針を落としても聞こえそうな爽やかな晴天だった。
 ワイキキ・ビーチから聞こえる潮騒の音、フラのリズムのように揺れるヤシの葉。
 花の香りに包まれた至上最後の楽園、ハワイ。
 遂に決戦の時がやって来た。

 午前2時から4時にかけて、ホノルル動物園のカパフル通り側の駐車場を出発し、スタート地点のアラモアナ公園へと向かう大勢のホノルル・マラソン参加者たち。
 街にはクリスマスのイルミネーションが美しく輝いていた。
 
 アラモアナ公園をスタートし、ダウンタウンから一度アラモアナに戻り、その後ワイキキ、カピオラニ公園、ダイヤモンドヘッド、ワイアラエ・ビーチ、そしてハワイ・カイを折り返してカピオラニ公園のゴールを目指す42.195kmのコースだ。

 いつもは年末からお正月にかけてハワイで過ごしていた母と私は、彼を応援するために少し早くハワイを訪れていた。
 そして彼のお父さんと、赴任先のカンボジアからお母さんも彼の応援に駆け付けていた。

 
 「あなたが沙恵さんね? うちのひとから聞いていますよ。すごく素敵なお嬢さんだって。
 ホント、想像していた以上に美人さんだわ。
 満の母です、ヨロシクね?」

 笑顔の素敵な、チャーミングでパワフルなお母さんだった。
 母とお母さんはすぐに打ち解けた。

 「ねえねえ結城さん、おいしいパンケーキのお店があるの、滞在中に一緒に行かない?」
 「パンケーキ? 私もだーい好き! 行こ行こ!」



 沿道は物凄い人混みで、どこに彼がいるのかもわからないほどだった。
 出場前、家族のみんなは彼のことを励ましたが、私は彼とは会わなかった。
 レース前、彼に余計なプレッシャーを掛けたくなかったからだ。


 (神様、どうか満を100位以内でゴールさせて下さい! お願いします!)


 私たちの運命の戦いが今、始まろうとしていた。



 そして運命のホノルル・マラソンがスタートした。
 彼が今日のためにどれほどの努力をしてきたかは知っている。
 うれしかった。彼の私を想う真剣でストイックな気持ちが。
 
 怪我やアクシデントにも遭うことなく、ゴールさせてあげたい。
 もちろん100位以内で。
 


 私たちはゴール近くで彼を待つことにした。

 「満君、100位以内に入るといいわね?」

 と、母が言った。

 「うん大丈夫、彼なら必ずやり遂げるわ! 私の決めた人だもん!」



 私は居ても立ってもいられなくなり、ゴールを逆方向に小走りに歩いて行った。
 少しでも早く、彼を見つけるために。



 スタートしてから2時間、先頭を走る選手が見えて来た。
 優勝者は2時間8分前後のタイムだったので、おそらくそのペースでの優勝になるはずだ。


 その後に続く先頭集団、彼は100位以内に入いることが出来るのだろうか? 
 私は次第に不安になって来た。


 次々になだれ込んでくる参加者たち。

 48、49,50、51と数えていたが、そのうちごちゃごちゃになり、数が分からなくなってしまった。
 感覚的にではあるが、100人は既に越えてしまったような気がする。
 だがまだ彼の姿はまだ見えなかった。
 私は遂に逆走を始めていた。しかも全力で。


 彼らしい人物は中々確認出来なかった。
 私はどんどんスピードを上げて走った。


 はあはあ・・・

 もういい、たとえビリでも彼と結婚したい!
 私は泣きながら走った。


 すでに4時間が経過している。

 (彼はどこなの?)


 すると、左足を引き摺るようにしてヨロヨロと歩く彼をやっと見つけることが出来た。
 私は大声で叫んだ。 
 
 「みつるーーーっ! もういい! もういいよ! もう走らなくていいから! もう止めて! お願い!」

 涙が止まらなかった。
 彼の姿が涙の海に沈んで行った。


 それでも歩くことを止めない満。

 「わかったから、もうわかったから止めて!
 大好き! あなたが大好きーっ!」


 彼は私に気付き、掛けていたサングラスをは外してそれを私に向かって放り投げた。

 「沙恵、約束を守れなくて、ゴメン。
 左足が肉離れを起こしたらしい。
 でも、完走はしたいんだ、絶対に・・・」
 「わかった! じゃあ一緒にゴールしよう! 私もあなたについて行くから!」


 私も彼と歩いた。ゴールに向かって歩いた。
 なんとか満をゴールさせてあげたい。
 彼の支えに、杖になってあげたいがそれでは失格になってしまう。
 周囲から湧き上がる歓声と拍手に支えられ、私たちはゴールを目指した。
 私たちを次々と追い越していく参加者たち。

 「がんばれ! あともう少しだ!」
 「Do your a best!  You are the Hero!」

 そう声を掛ける者もいた。
 1歩1歩、着実にゴールが近づいて来る。
 母たちも一緒に歩いてくれた。泣きながら歩いてくれた。
 
 「満、あと少しよ!」
 「がんばれ満!」
 「満さん、もう少し!」



 そして彼がゴールした瞬間、私は沿道から彼に駆け寄り彼を強く抱き締めた。
 再び巻き起こる大きな喝采、そして拍手と涙。


 「賭けに負けちゃったな?」
 「賭け? そんなのもう忘れたわ・・・」





 それから2日後、私たちはハワイで挙式を挙げた。
 ハワイの海が見渡せる、白いチャペルで。

 それは彼には内緒で私が準備していた事だった。
 母も、彼の両親も泣いていた。

 神父さんの結婚の誓いの言葉に同意し、私たちは指輪を交換し、誓いのキスをした。

 「おめでとう!」
 「しあわせになるのよ」
 「よかったな? 満」

 ハワイの空に鳴り響くウエディング・ベル。
 心地良い潮風に揺れる、真っ白なウエディングドレス。


 「僕たち、やっとゴール出来たね?」
 「ゴールではなく、これが私たちの人生の「始まり」よ」


 ハワイの紺碧の海と、抜けるような青空。
 沖合のスコールには美しい虹が架かっていた。
 
 それはまるで、私たち夫婦のマラソンのスタートを祝福するかのように。
 

                  『走れ! 恋に向かってホノルルの空の下を』完
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