【完結】寒椿(作品240421)

菊池昭仁

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第3話

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 ようやく月曜日がやって来た。
 今週は比較的のんびりとした週だったので長く感じた。


 「支店長、今日の月曜日はいつもの月曜日よりもウキウキしていますね?
 誰かといいお約束でもあるんですかあ?」

 事務員の霧島礼子に冷やかされた。

 「霧島君も早くあがりなさい」
 「もちろんですよ! 今日は旦那とお寿司の日ですから」
 「寿司か? それは良かったね?」
 「小名浜はお魚が最高に美味しいですから。
 そして小名浜の人は気性は荒いですけど、人情に篤いんです。
 私もそうですけど。うふっ」

 礼子は小名浜出身の女子社員だった。

 「そうだったな? 霧島君は情が深い。
 気性は荒いけどな? あははは それじゃあお先に」
 「支店長ひどーい。それ、モラハラですよ。あはははは お疲れ様でしたー」



 いつものように、私はまず『葵寿司』からスタートした。
 帰り際、私は勘定とは別に、女将に1万円を渡した。

 「女将、以前、ウチの女子社員3人でここに来たことを覚えているかなあ?
 そのうちの一人、霧島君という子が今日、旦那さんと一緒にここに来るかもしれないんだ。
 もし食べに来たら、彼女にこれを渡して下さい」
 「ああ、ロングヘアのいちばん美人のお嬢さんですね?
 かしこまりました。ではそのようにさせていただきます。
 喜ぶでしょうね? そのご夫婦」
 「よろしくお願いします」

 すると大将が言った。

 「俺も美人は忘れねえから大丈夫だぜ、大森さん」
 「アンタは女なら誰でもいいもんね?」

 そう言って女将は笑った。

 「それじゃお前は誰でもいい女だったんだな? あはははは」
 「そうだね? あはははは」

 ふたりとも笑っていた。
 私は急々と『潮騒』へと向かった。
 もしかするとまた、椿に会えるかもしれないと。
 


 「大森さんはいい上司だよね? 部下への気遣いも忘れないなんて」
 「あんな上司なら俺も働きてえよ。
 大森さんくれえだよ、「領収書くれ」なんて無粋なことを言わねえ人は」
 「会社のお金を胡麻化して飲み食いして、美味しいのかしらね?」
 「馬鹿野郎、それくらいしねえと割りが合わねえんだよ。
 サラリーマンは楽じゃねえからな?」

 大将と女将がそう話していると、そこに霧島たち夫婦がやって来た。

 
 「こんばんはー」
 「あら、大森さんのところの社員さんよね? 霧島さんでしたっけ?
 大森さん、今帰ったところなのよ。
 「霧島さんという社員さんが来たら、これを渡して下さい」っておっしゃって、ハイどうぞ、福沢諭吉さん」
 「えっ、支店長がですか?」
 「今どき珍しいよな? あんな上司。
 さあ、ジャンジャン食べてくれよな? どんどん握るから」
 「大森支店長はいつもそうなんですよ。何でも先回りしてスマートにこなす人なんです。
 社員にも、お客さんにも業者さんにも心配りを欠かさない人なんです。
 言わなきゃ良かったなあ、お寿司を食べに行くなんて。
 気を遣わせちゃったみたい」
 「後で何かお礼をしなきゃな?」
 「うん」



 『潮騒』の店の前に立つと、椿の唄が聴こえた。
 嬉しかった。
 私は静かにドアを開けた。

 俺を手招きする鈴子ママと茜。
 マイクを持ったまま、椿が目で会釈をした。

 先週は給料日前の雨の月曜日で閑古鳥が鳴いていたが、今日は漁師らしき男たちが4人で飲みに来ていた。
 椿が唄い終わると指笛を鳴らし、椿に拍手喝采を浴びせた。

 
 「いやあー、やっぱり椿ちゃんの歌は最高だ!
 俺の嫁さんにしたいくらいだぜ! あはははは」
 「何言ってんの山ちゃん、あんなにきれいな奥さんと、かわいい子供が3人もいるのに」
 「離婚するよ離婚! あはははは」
 「すごいなあー、漁に出た時に寄港した、ワイキキのクラブ歌手より凄えよ!」
 「三郎! お前、誰と比べてんだ? このスケベ! がはははは」


 私がカウンターに座わり、おしぼりで手を拭いていると隣に椿がやって来た。

 「先週はありがとうございました。
 いただいた分、今日、たっぷりと歌わせて下さいね?」
 「良かった。もう小名浜から他に移ってしまったかと思ったよ」
 「椿ちゃんに金曜日と土曜日も来てもらって、お店も繁盛して助かっちゃった。
 良かったわね、椿ちゃん? また大森ちゃんと会えて」
 「ママさんには感謝しています。
 大森さん、今日は来てくれないか心配しちゃいました。
 またお会い出来て、凄くうれしいです」

 すると今度は老人がひとりでやって来た。

 「おお、いたいた椿ちゃん。
 今日は都はるみを頼むよ」
 「わかりました。
 では相良さん、歌わせていただきますね?」
 「おう、頼んだぞ。
 じゃあ、はるみちゃんの『北の宿から』な?」
 「ハイ、わかりました」
 
 この曲も椿は完全に自分の物にしていた。
 椿が歌うと、『北の宿から』をどの歌手が歌っていたのかさえ忘れてしまうほどだった。



 午前零時になると、いつの間にか客は私だけになっていた。
 
 「少し休んだらどうだい? ママ、何か椿に作ってあげてよ。
 もちろんママと茜ちゃんもどうぞ」
 「ありがとう、大森ちゃん。
 椿ちゃんは何がいい? でもクルマだからお茶かジュースよね? コーラもあるけど?」
 「じゃあウーロン茶をごちそうになります」

 グラスを持つ着物の袂からすらりと伸びた白くか細い腕。
 マイク一本で生きている、椿の切なさが伝わる。


 「いつも火曜日がお休みなんですか?」
 「そうだよ、火曜日と水曜日が休みなんだ」
 「いい奥さんですね? 毎週外で飲ませてくれるなんて」
 「独身なんだよ、俺は。
 女房は7年前に死んだんだ」
 「そうだったんですか? ごめんなさい、余計なことを言ってしまって」
 「いいんだ、俺も歳だからな?
 そのうち俺もあっちに行くよ」
 「そんなこと言わないで下さい! 長生きして下さい!」
 
 めずらしく椿は語気を荒げた。
 
 「一緒に歌ってくれるか?」
 「もちろんです。『銀恋』でしたよね?」
 「覚えていてくれたんだね?」
 「うふっ 当たり前ですよ」


 鈴子ママが私と椿の前にマイクを置いて、『銀座の恋の物語』のカラオケを入れた。
 裕次郎と牧村旬子のデュエットソング。

 

   心の底まで しびれる様な
   吐息が切ない 囁きだから
   泪が思わず 沸いてきて
   泣きたくなるのさ この俺も・・・

             (作詞:大高ひさを)


 「大森さんって歌、お上手なんですね?」
 「上手くはないけど好きだよ、歌は。
 イヤなことも忘れて、スッキリとした気分になるからね?」
 「もっと歌いましょうよ」
 「そうだな? 歌おう」


 私たちは『愛が生まれた日』や『ロンリーチャップリン』などを歌った。

 
 「今日はとても楽しかったよ。
 じゃあまた、会えるといいな? 椿と。
 ママ、お会計して下さい」
 「はーい」
 「椿、元気でな?
 年末の紅白歌合戦、いつか出られるといいな?」
 「またどこかで会いたいです。大森さんと」
 「これ、餞別だ」

 私は椿に3万円を渡した。
  
 「いただけません、こんなに!
 先日もいただいたばかりだし」
 「いいから貰っておきなさいよ、大森ちゃんの気持ちなんだからさあ」
 「投資だよ、椿が大スターになったらメシでも奢ってくれればいい。
 楽しみにしているよ」
 「それじゃあご厚意に甘えて遠慮なく、ありがとうございました」

 椿は大事そうに紙幣を抱いた。



 店を出て歩き始めると、携帯番号くらいは交換しておけば良かったと後悔した。
 すると、

 「大森さーん!」

 椿が私を走って追いかけて来た。

 「あのー、一緒にラーメン食べに行きませんか? はあはあ
 ママから美味しいお店を聞いたので」


 その夜、私たちはラーメンを食べ、椿は私のマンションに泊まった。

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