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第2話
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私は足を止め、ガラス越しに展示会場を見渡した。
高鳴る心臓の鼓動。
老夫婦と話しをしているその後ろ姿には確かに見覚えがあった。
絵を説明しながら振り向いたその男性は、まぎれもなく20年前にパリで愛し合った、西山伊作だった。
ボサボサの頭に銀縁の丸眼鏡、その奥には優しく澄んだ瞳があった。
すぐに彼を抱きしめたい衝動に駆られたが、女心がそれを阻んだ。
(少しでも綺麗な自分で会いたい)
小走りに女子トイレへ向かい、私はお化粧を直し、髪と服装を整え、軽くコロンを纏った。
その時、今日は仕事帰りなので地味なベージュの下着だったことを思い出し、そんな慌てた鏡に映る自分が可笑しかった。
勇気を出して個展会場の中に入って行くと、そこに彼の姿は無かった。
受付の女性に来展名簿の署名を促された。
「ご芳名をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「あっ、はい」
私は広谷奈緒とは書かず、旧姓だった前園奈緒と署名をした。
彼を驚かせたいという思いと、そして私がここを訪れた痕跡を残すために。
だがその一方で不安もあった。
想い続けていたのは私の方だけだったのかもしれないと。
そしておそらく、彼も結婚をして子供もいるかもしれない。
自分は何を期待しているのだろうと私は思った。
「西山先生はどちらに?」
「ただいま席を外しておりますが、すぐにお戻りになると思います。
ごゆっくりとご覧になってお待ち下さい」
「ありがとうございます」
私は彼の絵を丹念に見て回った。
当時、パリで見た彼の作品とは作風がかなり変化していた。
ここに展示されている彼の作品は、パリの下町や公園の風景を油絵で描いた物が多く、ブラマンクに影響を受けた佐伯祐三のそれとは違い、彼独自の見事な構図、色使い、そして絵筆のタッチに私は魅了された。
蘇る彼のアトリエの油絵の具とニスの匂い。
じっくりとひと作品ずつを鑑賞して行くと、そこに一枚だけ女性のポートレートが掛けてあった。
それを見た時、私は稲妻に打たれたような衝撃を受けた。
それはパリのカフェで微笑む私だった。
両手でコーヒーカップを包み、美しく輝く巻き毛と鳶色の瞳。
その絵は今にも動き出しそうだった。
突然、背後から懐かしい声がした。
「どうだい? いい絵だろう? モデルは奈緒、君だ」
私は振り向き思わず叫んだ。
「伊作!」
「覚えていてくれたんだね? 僕の名前を」
「当たり前じゃない! 忘れるもんですか!」
すると彼は私を強く抱きしめて言った。
「奈緒に会いたかった。
僕はこの20年、この日をずっと待ち望んでいたんだ」
涙が止まらなかった。
せっかく直したお化粧も無駄になってしまった。
「絶対に会えると信じていた」
「私も、いつもあなたのことを想っていたわ。
本当に偶然なの、偶然にここを通り掛かったのよ。
そしたら、そしたら伊作の絵が・・・。
私、神様を信じるわ」
「個展は日曜日までだけど、日本にはしばらくいるつもりなんだ。
これから少し時間ある?」
「もちろん!」
「じゃあ食事でもしよう。
悪いが木下さん、僕はこれで失礼するから後はよろしくお願いします。
さあ行こう、奈緒」
伊作は私の手を取り、デパートの個展会場を後にした。
その時、私はダスティン・フォフマンが主演の映画『卒業』を思い出していた。
結婚式の最中に、教会からエレーンがベンジャミンと逃げるあのシーンを。
私はすべてを忘れ、キャサリン・ロスが演じるエレーンになった。
頭の中でサイモン&ガーファンクルの『Sound of Silence』が鳴っていた。
高鳴る心臓の鼓動。
老夫婦と話しをしているその後ろ姿には確かに見覚えがあった。
絵を説明しながら振り向いたその男性は、まぎれもなく20年前にパリで愛し合った、西山伊作だった。
ボサボサの頭に銀縁の丸眼鏡、その奥には優しく澄んだ瞳があった。
すぐに彼を抱きしめたい衝動に駆られたが、女心がそれを阻んだ。
(少しでも綺麗な自分で会いたい)
小走りに女子トイレへ向かい、私はお化粧を直し、髪と服装を整え、軽くコロンを纏った。
その時、今日は仕事帰りなので地味なベージュの下着だったことを思い出し、そんな慌てた鏡に映る自分が可笑しかった。
勇気を出して個展会場の中に入って行くと、そこに彼の姿は無かった。
受付の女性に来展名簿の署名を促された。
「ご芳名をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「あっ、はい」
私は広谷奈緒とは書かず、旧姓だった前園奈緒と署名をした。
彼を驚かせたいという思いと、そして私がここを訪れた痕跡を残すために。
だがその一方で不安もあった。
想い続けていたのは私の方だけだったのかもしれないと。
そしておそらく、彼も結婚をして子供もいるかもしれない。
自分は何を期待しているのだろうと私は思った。
「西山先生はどちらに?」
「ただいま席を外しておりますが、すぐにお戻りになると思います。
ごゆっくりとご覧になってお待ち下さい」
「ありがとうございます」
私は彼の絵を丹念に見て回った。
当時、パリで見た彼の作品とは作風がかなり変化していた。
ここに展示されている彼の作品は、パリの下町や公園の風景を油絵で描いた物が多く、ブラマンクに影響を受けた佐伯祐三のそれとは違い、彼独自の見事な構図、色使い、そして絵筆のタッチに私は魅了された。
蘇る彼のアトリエの油絵の具とニスの匂い。
じっくりとひと作品ずつを鑑賞して行くと、そこに一枚だけ女性のポートレートが掛けてあった。
それを見た時、私は稲妻に打たれたような衝撃を受けた。
それはパリのカフェで微笑む私だった。
両手でコーヒーカップを包み、美しく輝く巻き毛と鳶色の瞳。
その絵は今にも動き出しそうだった。
突然、背後から懐かしい声がした。
「どうだい? いい絵だろう? モデルは奈緒、君だ」
私は振り向き思わず叫んだ。
「伊作!」
「覚えていてくれたんだね? 僕の名前を」
「当たり前じゃない! 忘れるもんですか!」
すると彼は私を強く抱きしめて言った。
「奈緒に会いたかった。
僕はこの20年、この日をずっと待ち望んでいたんだ」
涙が止まらなかった。
せっかく直したお化粧も無駄になってしまった。
「絶対に会えると信じていた」
「私も、いつもあなたのことを想っていたわ。
本当に偶然なの、偶然にここを通り掛かったのよ。
そしたら、そしたら伊作の絵が・・・。
私、神様を信じるわ」
「個展は日曜日までだけど、日本にはしばらくいるつもりなんだ。
これから少し時間ある?」
「もちろん!」
「じゃあ食事でもしよう。
悪いが木下さん、僕はこれで失礼するから後はよろしくお願いします。
さあ行こう、奈緒」
伊作は私の手を取り、デパートの個展会場を後にした。
その時、私はダスティン・フォフマンが主演の映画『卒業』を思い出していた。
結婚式の最中に、教会からエレーンがベンジャミンと逃げるあのシーンを。
私はすべてを忘れ、キャサリン・ロスが演じるエレーンになった。
頭の中でサイモン&ガーファンクルの『Sound of Silence』が鳴っていた。
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