【完結】樹氷(作品240107)

菊池昭仁

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第5話

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 娘が生まれて、私たち夫婦の寝室は別々になった。
 夫の博行はダブルベッドを独占し、私は和室で寝ていた。

 人生の分岐点にやって来た今、私は自分の人生に自信を無くしていたところだった。

 (果たしてこのままでいいのかしら? 私の人生)

 この生活を手にするために払った私の代償はあまりにも重い。
 伊作に再会したことで私はそれを痛感していた。

 娘たちもやがてこの家を出て行くだろう。
 深夜まで帰らぬ共働きの妻を心配して起きて待つこともなく、いびきをかいて寝ている夫と暮らしてこのまま死んで行くことへの絶望感。
 人の幸福とは一体何だろうか?
 お金? 家族? 何事もなく安定した人生を送ること?

 大学を卒業し、メガバンクのシンクタンクで管理職として働いている私には、いつもパリでの想いが燻ったままだった。


 就職して三年が過ぎ、仕事にも慣れて生活も安定してきた頃、大学の親友、みやびに誘われて私は合コンに参加した。


 「奈緒、今日ヒマ? 合コンに来てくれないかなあ? 今日、ひとりドタキャンされちゃってさあ。イケメン揃いの有望株だから奈緒もおいでよ」
 「人数合わせじゃあんまり気乗りしないなあ~」
 「いいじゃないの、奈緒は彼氏もいないんだし、どうせヒマしてるんだからさー」
 「まあ、それはそうだけど・・・」

 そこで出会ったのが今の夫、博行だった。

 中々のイケメンで、大手広告代理店に勤めるエリート君だった。
 話題も豊富で気が効いて、一緒にいると楽しかった。
 付き合うには申し分のない男性だった。

 そして三度目のデートで私たちは男女の関係になり、それから1年後、私たちはゴールインをした。


 博行は家事も育児も率先して協力してくれたが、パートナーとしてはどこか物足りなさを感じていた。


     不味くはないが、美味しくもない


 そんな夫だった。
 長く一緒にいると、美人もイケメンも慣れてくるというが、それは確かだった。

 例えば食事の楽しさとは美味しい料理を食べることではなく、「誰と食べるか?」が重要なように、「誰と人生を歩むのか?」という選択が人生には大事だ。
 私の心は風に吹かれるコスモスのように頼りなく揺れ始めていた。 


 娘たちと朝食を食べていると、夫の博行が起きて来た。

 「今日は接待だから夕食はいらないから」

 (今日もまた女と会うのね?)

 私はすぐにそう直観した。
 夫は嘘を吐く時、罪悪感からなのか、語尾が僅かに下がる癖があった。
 私はそれを聞き逃さなかった。

 「そう? じゃあ今日は子供たちとファミレスにするわね?」
 「私はファミレスよりも回転寿司の方がいい」
 「私もその方がいい! お姉ちゃんに賛成!」
 「あらそう? じゃあ今日はお寿司にしましょうか?」
 「うん」

 私は内心、苦笑いをした。

 (今日もまたお寿司かあ)

 それは昨夜ゆうべも伊作とお寿司だったからだ。

 夫は残業のことなどには何も触れずに、ゴミ袋を携えて長女の凛と先に家を出て行った。

 「華、ママたちもお出掛けするから早く食べちゃいなさい」
 「うん、わかったー」

 こうしてまた、いつもの日常が始まった。

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