★【完結】雨の夜 君とノクターンを(作品230319b)

菊池昭仁

文字の大きさ
1 / 9

第1話 雨の夜

しおりを挟む
 妻のくららが死んだ。

 カーテンを閉じたままの昼夜の区別が出来ない部屋。私は毎日浴びるように酒を飲んでいた。
 会社も辞めた。


 「坂口、奥さんを亡くしたお前の気持ちはわかる。だがそれで会社まで辞めることはあるまい」

 本田常務はそう慰留してくれたが、アル中になった私は会社のお荷物でしかなかった。

 「取り敢えず休職扱いにしておくから、いつでも戻って来い。いいな?」
 「ありがとうございます」


 
 それは酷い雨の夜だった。
 雷鳴が轟き、バケツの水をひっくり返えしたような土砂降りの雨が窓を叩いた。
 私はいつものようにくららが好きだったショパンのノクターンを聴きながら、板チョコを齧りバーボンをラッパ飲みしていた。


 「くらら、どうして君は俺を残して死んだ? おかげで俺はこの通り、ゾンビのような生きる屍だよ」

 私はくららのフォトスタンドにそう話し掛けた。


 「しょうがないでしょう? 死んじゃったんだから」


 対面キッチンに死んだはずのくららが立っていた。


 「くらら!」

 私はくららに駆け寄り抱き締めようとしたが、くららに止められた。


 「ダメよ、私に触れてはダメ。あなたが私に触れると二度と会えなくなってしまうから」

 そう言ってくららは寂しく微笑んだ。

 「くらら! 君は本当にくららなんだね?」
 「あなたは私が怖くないの? 私はもう死んでいるのよ? 幽霊なのよ?」
 「怖いはずがないじゃないか? 大好きな君の幽霊なんだから」
 「相変わらず変な人。でも、そんな変なところに私は惚れちゃったんだけどね?」
 「なんでもっと早く出て来てくれなかったんだ?」
 「いろいろ事情があるのよ、こっちの世界には。詳しくは言えないけどね」
 「会いたかったよくらら。とても会いたかった」
 「私もよ。あなたには私が見えていなかったでしょうけど、私はいつもあなたのそばにいたのよ。気付かなかった?」
 「時々、そんな気がしていた。君が隣にいるような感じがした。
 あれは本当だったんだね?」
 「そうよ、いつもあなたの事を心配していたの。
 毎日お酒ばかり飲んで、ご飯もろくに食べないで。
 おまけに会社も辞めちゃうし、会社の人たちも寂しがっていたわよ、あなたが会社を辞めちゃったから。
 意外と人望があったのね? 特に総務の律子ちゃんなんて、あなたのことが大好きみたい。罪な男」
 「そんなことまでわかるのか?」
 「そうよ、だからオイタするとすぐにわかっちゃうんだからね」
 「俺にはくららだけだよ」
 「わかっているわよ、私もあなたが大好き。
 でもね、悲しいお酒はダメ、お酒は楽しく飲まないと。
 泣きながら飲むお酒なんてサイテーよ。生きてる時はいつも一緒に楽しくお酒を飲んだわね?」
 「ああ、お笑い番組を見て大声で笑ったりしながらな?」
 「そうよ、だからこんなお酒の飲み方はもう止めてね。わかった?
 そしてきちんと食事をバランス良く食べること。
 あなたにはもっと長生きして欲しいから。私の分まで。
 だからお願い、約束して」
 「わかったよ、そうするよ」
 「私ね、雨の夜にだけあなたに姿を見せて、こうしてお話をすることが出来るの。雨の夜にだけ。
 でも、私はいつもあなたの傍にいるから安心して。あなたはひとりじゃないわ」
 「じゃあずっと雨だといいな、くららとこうして会えるなら」
 「ずっと雨っていうのもどうかしらね?」

 くららは笑った。
 くららの幽霊が突然消えてしまった。

 私はすぐにカーテンを開けた。
 するともう雨はあがり、夜空には美しい満月が輝いていた。

 その夜、私は初めて笑うことが出来た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

初体験の話

東雲
恋愛
筋金入りの年上好きな私の 誰にも言えない17歳の初体験の話。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...