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第一楽章

第13話 突然の愛

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 マリア・カラス。20世紀唯一無二の歌姫は1923年、ニューヨークの五番街で生を受けた。

 ギリシャからの移民であった両親。父親のジョージは薬剤師をして財を成したが、ニューヨークの株の大暴落により破産してしまう。
 母、エヴァンゲリオンは次の子供は男の子を望んでいたらしい。
 姉のジャッキーにはピアノを、そしてマリアには歌を習わせた。
 
 両親の離婚により、姉とマリアは母と共にギリシャへ戻ることになり、ある日、母はまだ12歳だったマリア・カラスをアテネのラジオ番組に出演させ、評判を得る。
 そして17歳以上でなければ入学資格が得られない、アテネ音楽院に当時まだ13歳だったマリアを17歳だと年令を詐称させ、奨学金まで得て入学させてしまう。
 その時のオーディションで歌ったマリア・カラスの素晴らしい歌声とその並外れた声量に、一同は驚愕してしまう。
 マリア・カラスが15歳になると、アテネ劇場で歌手としてのデビューを飾る。

 第二次世界大戦が勃発し、ギリシャはイタリアとドイツによって占領されてしまうが、母親はマリアに占領軍の兵士の前でオペラを歌わせて生計を立てていた。

 やがてギリシャはイギリス軍によって解放され、マリアは占領軍へ貢献したと非難されて国を追われ、父親を頼って再びニューヨークへ戻ってゆく。

 2年間は鳴かず飛ばずだったらしいが、プッチーニのオペラ、『トスカ』を歌うことで認められ、ここからマリア・カラスの歌姫としての快進撃が始まった。


 
 家に帰った琴子は、すぐに輝信から連絡が来たことを興奮して母親の久子にそれを話した。

 「ママが言った通りだった! 今日の午後、彼からLINEが届いたの、「もう一度会って、話がしたい」ですって!」
 「良かったじゃないの、琴ちゃん! 今日中にまた電話が来るはずだから、その時はすぐに出ちゃ駄目。彼が5回コールするまで待ちなさい。
 3回では駄目よ、あなたが木村君の事をまだ好きだとバレてしまうから。
 でも7回では切られてしまう可能性がある。だから呼出音が5回鳴ってから出なさい。わかったわね?」
 「了解しました! 恋愛マイスター殿! あはははは」
 「よろしい。うふふっ。だったら早くお風呂に入っていらっしゃい、電話がいつ来てもいいように」
 「はーい」


 私はいつ彼から電話が来てもいいように、お風呂にもスマホを持って入った。

 (いつまで待たせるのよ、早くかけて来なさいよ)

 自分で返信すればいいものを、そんな自分勝手な自分を私は嗤った。



 食事を終え、部屋でスコアに目を通していると、突然携帯から『エリーゼのために』が流れ始めた。
 それは彼からの着信合図の音楽だった。

 私は慎重に5回、コールを数えて電話に出た。

 「もしもし」
 
 私は黙っていた。

 「・・・」
 「琴子? 僕だけど、今、電話しても大丈夫?」
 「今更何の用?」
 
 私は出来る限り冷たく彼をあしらった。

 「琴子と会って話がしたい」
 「私にはもう何も話すことなんてないわ」
 「君は僕の話を最後まで聞いてくれなかった。だから今度は最後まで僕の話を聞いて欲しいんだ」
 「白紙にしたいんでしょ? 私とのことは。
 だったら会ってもしょうがないんじゃない? 私と別れたいってことだもんね?」
 「白紙にしたいと言ったのは「最初に戻って君を愛し直したい」という意味だよ」

 私は天にも昇る気持ちだった。

 「面倒臭い人ね? 私、明日の夜しか空いてないわよ」

 私はあまり時間を空けない方がいいと思った。その間に彼の考えが変わるかもしれないと思ったからだ。

 「これから琴子の実家に迎えに行っては駄目かな?」
 「これから?」
 「駄目かい?」
 「別にいいけど」
 「じゃあ20時までには迎えに行くよ」
 「気をつけてね、少しくらい遅れてもいいから」

 母のアドバイスに従って、お風呂を済ませておいて良かったと思った。

 私は下着をに着け替え、予めデート用に用意しておいた服を着て、すぐに化粧を始めた。



 時間通りに彼がアルファロメオで迎えにやって来た。

 「じゃあママ、行って来るね?」
 「ちょっと待って、琴子、香水は?」
 「あっ、忘れてた」
 「ちょっと待っていなさい」

 母は洗面所の化粧棚からDiorの『Rose de Rose』を持って来ると、それを私の頭の上で天井に向けて軽く噴霧してくれた。
 私はそのパフュームの中で一回転し、甘い薔薇の香りを全身に纏った。

 「今日は少し遅くなってもいいわよ、お泊りでもいいわ。
 パパには聡子ちゃんの家にお泊まりに行ったって言っておくから。恋愛は待ってるだけじゃ駄目、こちらから迎えに行かないとね?」

 意外だった。母からそんな言葉を聞くなんて。

 「ありがとうママ。それじゃ行って来ます」
 「頑張ってね? 琴子」

 母は私の背中を軽くポンと叩いて送り出してくれた。



 輝信はいつものように助手席のドアを開けてくれた。
 私はコートを着たまま助手席に座った。
 車内は『マリア・カラス』の淡い薔薇の香りに包まれていた。
 その花束は後部座席に置かれてあった。

 (もしかして、私のために?)

 それ以外に考えることは出来ない。
 私の心は、もうすでに一杯になっていた。

 クルマが静かに動き出した。

 「ごめん、突然呼び出したりして」
 「話しって何?」

 私は期待で胸がドキドキした。
 まるでオペラの初舞台の時のように緊張していた。

 「本当はあの時、白紙に戻してもう一度、友だちから琴子とやり直したいと言おうとしたんだ。でも琴子は怒って帰ってしまった」
 「当たり前でしょう? 自分から私を口説いて置いてそれはないんじゃない? まったく!」
 「ごめん。でもあの後色々考えてみて思ったんだ。何を失っても君と結婚しようと」

 彼はハザードランプを点けて路肩にクルマを停車させると、後部座席に手を伸ばし、『マリア・カラス』の花束を私に渡してくれた。

 「これはこの前のお詫びだよ」

 私はその大きな花束を受け取って泣いた。
 それは輝信の真心だと思ったからだ。
 失ったと思っていたものが今、再び私の手の中に戻って来たのだ。

 だが、プレゼントはそれだけではなかった。

 彼は小さな紙袋を取り出すと、シルバーのリボンの掛けられた小箱の包みを解き、

 「僕と結婚して下さい」
 「あっ、・・・はい」

 それは予想だにしていない、突然のプロポーズだった。
 彼はそのロイヤルブルーの箱を開けてサファイアリングを取り出すと、私の左手の薬指に婚約指輪をはめてくれた。指輪のサイズはぴったりだった。薬指に輝くサファイア。

 私は声をあげて泣いた。感情を曝け出して泣いた。
 彼は私にやさしくキスをしてくれた。
 私はそれに情熱的に熱く応えた。


 その夜、私たちは結ばれ、初めての朝を迎えた。
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