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第三楽章
第14話 詩を書けない詩人
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「銀ちゃん、良かったわね? 素敵な恋人が出来て」
「ごめん、詩音。俺ばっかりしあわせになってしまって」
「ううん、うれしいわよ、私。銀ちゃんがやっと笑えるようになって」
「でも、詩が書けないんだ。もう詩が降りて来ないんだよ。俺は詩人なのに」
「悲しい詩人より、幸福な銀ちゃんの方が私は好きよ」
「俺は詩人でいたいんだ。詩音が愛してくれた詩人、森田人生でいたいんだ」
「我儘言わないの。琴子さんと結婚するの?」
「結婚?」
「彼女はあなたと結婚したい筈よ」
「俺が結婚に向かない男だということは、詩音がいちばん良く知っているじゃないか?」
「でも今の銀ちゃんなら大丈夫。だって銀ちゃん、とても楽しそうだから。私と暮らしていた時よりもずっと」
「俺は人をしあわせにする自信がないんだ」
「銀ちゃん・・・」
暖炉の火が消えて、俺は寒さで目を覚ました。
俺は詩音の夢を見ていた。詩音は聖母マリアのように慈愛に満ちた眼差しで、俺にやさしく微笑んでくれていた。
最近、微熱があり、身体が怠く感じる。
琴子との営みで張り切り過ぎたせいかもしれない。俺はそう考えることにした。
いつもの手の震えが始まった。
俺は冷蔵庫からペリエを出してグラスに注ぎ、そこにゴードン・ジンを入れ、ライムを櫛型にカットして絞り、軽くステアして飲んだ。
手の震えはすぐに収まった。
俺は再び暖炉の火を起こし、揺れる赤い炎を見ながらジン・ライムを飲み、余ったライムを齧った。
ライムの鮮烈な香りと苦くて酸っぱい味に、脳とカラダが覚醒した。
グラスの炭酸が弾ける音。俺は鉢植えのミントの葉を千切ると手の平に乗せ、パンと叩いてミントの香りを強めるとそれをグラスに浮かべ、再びジンを足した。
俺は夢から現実の世界へと戻った。
初めは琴子とすぐに別れるつもりだった。それがお互いのためだと思ったからだ。
だが俺は琴子を抱いてしまった。
彼女に会えば会う程、どんどん琴子を好きになってしまう自分がいる。
好きから恋に変わる前に別れるべきだったのにだ。
それがこの僅か数日の間に、俺の琴子への想いは恋をすっ飛ばして、愛に変わってしまった。
ゆらゆらと燃える暖炉の炎。俺の心も揺らいでいた。
私はKIOSKで新聞とタバコを買い、琴子のホテルへと向かった。
9時ジャストにドアを3回ノックした。
琴子の弾んだ声が聞こえる。
「はーい! 今開けまーす!」
ドアが開き、琴子は黒のカシミアのコートを着て立っていた。
すると突然、彼女はコートの前を開いて見せた。
彼女は全裸だった。
「一度、やってみたかったの。これ」
少し恥ずかしそうにはにかむ琴子。
「その透明な服、とても素敵だね?」
「さああなたも早く着替えて頂戴。透明なタキシードに」
「はい、はい」
「ハイは1回!」
「はい」
俺は琴子の口をキスで塞いだ。
琴子との熱い朝の「French kiss」が始まった。
琴子は何度かオルガスムスを迎え、俺は琴子に2回射精した。
「ねえ、今日は何処に連れて行ってくれるの?」
「ノートル・ダムはどうかな? 今日は日曜日だからミサがあるんだ。パイプオルガンでバッハでもどうだい?」
「あら素敵じゃない? ノートル・ダムには行ったけどパイプオルガンは聴いたことがないわ」
「じゃあ決まりだ」
日曜日の夕方は既に暗く、ノートル・ダム大聖堂は闇の中にライトアップされていた。
「寒いね?」
琴子は俺に身を寄せた。
「この正面のポルタイユの三つの門は知ってるよね?」
「音大の春休みの海外レッスンでパリに寄った時に見たわ」
「そうか。向かって左が聖母マリアの被昇天を表している。その中に1体だけ、首がなくその首を抱いている像があるだろう? あれが斬首されても布教を続けた聖サン・ドニだ。
右は聖母マリアの母、聖アンナが彫られている。こちらにいるのが聖マルセル。このシテ島に架かるポンヌフ橋で生まれ、セーヌ川に棲む嵐や水害をもたらし、人を食べてしまうというドラゴンを退治したという伝説の聖人だ。
この建物に見られる様々なガーゴイルやキマイラが、いくつか教会の雨水を吐き出しているのもそれに由来するらしい。
そして真ん中が『キリスト最後の審判』だ」
「世界が滅亡した後のあれね?」
「様々な解釈があるが、ここの『最後の審判』はあの第一層目にある天使が吹くラッパの音で死者が蘇るところから始まる。
そして第二層目では大天使、ミカエルが天秤で死者の魂の重さを量るんだ」
「もしも魂の重さが重かったら?」
「大天使ミカエルの方の天秤が重くなっているのが見えるだろう? 魂が重いとミカエルの左側、天国へとその死人は迎えられるんだ」
「じゃあ軽いと地獄なのね?」
「その通り、そうすると悪魔の待っている右側、地獄へと連行されてしまうという訳だ」
「なんだかリアルで怖いわ」
「そして一番上の層で最終審判をしているのがイエス・キリストだ。
右に大きな十字架を持った天使と、左には槍と楔を持った天使がいて、すべての人々の罪をイエス・キリストが贖ったという受難が表現され、イエスの左側には聖母マリアが、そして右側にはキリストに跪く洗礼者、聖ヨハネがいる」
「私は地獄はイヤだなあ。銀といっしょに天国がいい。今日のベッドでの時みたいに」
「でもそれは無理だな? お前は天国でも俺は地獄だから。
さあ、寒いから教会の中へ入ろう」
教会の中ではオルガニストがパイプオルガンの調整をしていた。
俺たちが硬い木の長椅子に座ると、荘厳なパイプオルガンの演奏が礼拝堂に響き渡り、司祭のミサが始まった。
胸の前で十字を切り、祈りを捧げる琴子に俺は見惚れた。
ミサが終わり、俺たちは近くのカフェで夕食を摂った。
牡蠣の旨い季節になったので、俺は生牡蠣とアルザスの白ワインを注文し、琴子は平目のムニエルにして同じワインを飲んだ。
「琴子はプロテスタントだったよな? ノートル・ダムは聖ローマカトリック教会だったが、誘ってよかったのか?」
「大丈夫だよ、パイプオルガン、初めて聴くことが出来て良かったわ。ありがとう、銀。連れて来てくれて。
ノートル・ダムで結婚式なんて挙げられたら素敵だろうなあ?」
琴子はそう言って笑うとワインを飲み、上品にムニエルを口にした。
「ノートル・ダムはフランス革命では内部は破壊、略奪され、かなり酷い状態だったらしい。
作家のビクトル・ユーゴーが小説『パリのノートル・ダム』を書いて、それにより市民運動が起こり、ノートル・ダム、すなわち「われらが貴婦人」、聖母マリア大聖堂は再建されたんだ。
大聖堂の建築には200年の歳月を要したんだ。
白人は日本人と違って急がないし、慌てない。
日本人は1年単位で物事を考えるが、彼らは100年単位で考える。
余談になるがパリの距離を示すゼロ起点は凱旋門ではなく、ここノートル・ダムになっている。
パリの本当の中心はここ、ノートル・ダムなんだよ」
「へえー、そうなんだあ。銀はなんでも知ってるんだね?
一緒にいて飽きないわ。ふふっ」
俺はこの美しく微笑む琴子を今すぐにでも抱き締めたいと思った。
おそらくこれから琴子をホテルに送って行けば、今日の昼と同じことになるだろう。
だが今夜は琴子と触れ合うことは止めようと、俺は考えていた。
食事を終えてホテルに向かうタクシーの中で、俺たちはずっと手を繋いでいた。
琴子が俺の耳元で囁いた。
「今夜は泊まっていってね?」
「ゴメン、どうやらノートル・ダムで風邪を引いたらしい。
今夜は帰るよ、お前に移しちゃ悪いから」
「移してもいいわよ。ふたりでお風邪を引けば、ずっと一緒に寝ていられるじゃない?」
「ありがとう、琴子。今夜は家に帰ってエッグ・ノッグでも飲んで早く寝るよ。
いつも俺がお前を勝手に引っ張り回しているけど、君の用事はないのかい?」
「私は大丈夫だよ。もしも明日も具合が悪かったら看病に行ってあげようか?」
「その気持ちだけいただいておくよ」
「銀のバカ! 携帯番号も教えてくれないし家にも呼んでくれないなんてヘンよ! 本当は家に奥さんとか子供までいたりして! 怪しい!」
「あはは、そうかもしれないよ? もしそうだったらどうする? 俺と別れるか?」
「泣く、泣いちゃう・・・」
「ごめん、そのうち俺の自宅にも琴子を招待するよ」
「じゃあ携帯番号教えて」
「俺、携帯持ってないんだ」
「銀の嘘つき!}
琴子は俺の鼻を摘まんで笑った。
賢い女だと俺は思った。
琴子に携帯番号を教えたら俺と連絡がつかなくなった時、その履歴が琴子を苦しめてしまうことになってしまう。携帯番号を教える訳には行かなかった。
彼女も女だ、そう考えるのは無理もない。
琴子は俺のことは殆ど何も知らないのだから。
「絶対だよ! じゃあ指切り!」
と言ったが、琴子は指切りをしなかった。
「指切りはいいや。銀を信じているから。
明日は午後に迎えに来て。部屋で待ってるから」
「じゃあ13時に迎えに行くよ」
ホテルの前に着いた。
「今日は悪いがここで失礼するよ。部屋まで送れなくてごめん。おやすみ琴子」
琴子は私の頬にキスをしてくれた。
「おやすみなさい。銀」
「おやすみ、俺の歌姫」
俺はタクシーの中からホテルに入って行く琴子の小さな後ろ姿を見送った。
部屋に戻り、照明を点けた。
朝、エアコンを点けたまま家を出たので部屋は暖かかった。
私は詩音の写真を手に取り、話し掛けた。
「彼女がここに来たいそうなんだけど、連れて来てもいいかい?」
彼女はいつもと変わらず、ただ笑っているだけだった。
俺はバーボンをラッパ飲みし、ジュリー・ロンドンの『涙の河』を掛けた。
俺はようやく孤独から解放された。
「ごめん、詩音。俺ばっかりしあわせになってしまって」
「ううん、うれしいわよ、私。銀ちゃんがやっと笑えるようになって」
「でも、詩が書けないんだ。もう詩が降りて来ないんだよ。俺は詩人なのに」
「悲しい詩人より、幸福な銀ちゃんの方が私は好きよ」
「俺は詩人でいたいんだ。詩音が愛してくれた詩人、森田人生でいたいんだ」
「我儘言わないの。琴子さんと結婚するの?」
「結婚?」
「彼女はあなたと結婚したい筈よ」
「俺が結婚に向かない男だということは、詩音がいちばん良く知っているじゃないか?」
「でも今の銀ちゃんなら大丈夫。だって銀ちゃん、とても楽しそうだから。私と暮らしていた時よりもずっと」
「俺は人をしあわせにする自信がないんだ」
「銀ちゃん・・・」
暖炉の火が消えて、俺は寒さで目を覚ました。
俺は詩音の夢を見ていた。詩音は聖母マリアのように慈愛に満ちた眼差しで、俺にやさしく微笑んでくれていた。
最近、微熱があり、身体が怠く感じる。
琴子との営みで張り切り過ぎたせいかもしれない。俺はそう考えることにした。
いつもの手の震えが始まった。
俺は冷蔵庫からペリエを出してグラスに注ぎ、そこにゴードン・ジンを入れ、ライムを櫛型にカットして絞り、軽くステアして飲んだ。
手の震えはすぐに収まった。
俺は再び暖炉の火を起こし、揺れる赤い炎を見ながらジン・ライムを飲み、余ったライムを齧った。
ライムの鮮烈な香りと苦くて酸っぱい味に、脳とカラダが覚醒した。
グラスの炭酸が弾ける音。俺は鉢植えのミントの葉を千切ると手の平に乗せ、パンと叩いてミントの香りを強めるとそれをグラスに浮かべ、再びジンを足した。
俺は夢から現実の世界へと戻った。
初めは琴子とすぐに別れるつもりだった。それがお互いのためだと思ったからだ。
だが俺は琴子を抱いてしまった。
彼女に会えば会う程、どんどん琴子を好きになってしまう自分がいる。
好きから恋に変わる前に別れるべきだったのにだ。
それがこの僅か数日の間に、俺の琴子への想いは恋をすっ飛ばして、愛に変わってしまった。
ゆらゆらと燃える暖炉の炎。俺の心も揺らいでいた。
私はKIOSKで新聞とタバコを買い、琴子のホテルへと向かった。
9時ジャストにドアを3回ノックした。
琴子の弾んだ声が聞こえる。
「はーい! 今開けまーす!」
ドアが開き、琴子は黒のカシミアのコートを着て立っていた。
すると突然、彼女はコートの前を開いて見せた。
彼女は全裸だった。
「一度、やってみたかったの。これ」
少し恥ずかしそうにはにかむ琴子。
「その透明な服、とても素敵だね?」
「さああなたも早く着替えて頂戴。透明なタキシードに」
「はい、はい」
「ハイは1回!」
「はい」
俺は琴子の口をキスで塞いだ。
琴子との熱い朝の「French kiss」が始まった。
琴子は何度かオルガスムスを迎え、俺は琴子に2回射精した。
「ねえ、今日は何処に連れて行ってくれるの?」
「ノートル・ダムはどうかな? 今日は日曜日だからミサがあるんだ。パイプオルガンでバッハでもどうだい?」
「あら素敵じゃない? ノートル・ダムには行ったけどパイプオルガンは聴いたことがないわ」
「じゃあ決まりだ」
日曜日の夕方は既に暗く、ノートル・ダム大聖堂は闇の中にライトアップされていた。
「寒いね?」
琴子は俺に身を寄せた。
「この正面のポルタイユの三つの門は知ってるよね?」
「音大の春休みの海外レッスンでパリに寄った時に見たわ」
「そうか。向かって左が聖母マリアの被昇天を表している。その中に1体だけ、首がなくその首を抱いている像があるだろう? あれが斬首されても布教を続けた聖サン・ドニだ。
右は聖母マリアの母、聖アンナが彫られている。こちらにいるのが聖マルセル。このシテ島に架かるポンヌフ橋で生まれ、セーヌ川に棲む嵐や水害をもたらし、人を食べてしまうというドラゴンを退治したという伝説の聖人だ。
この建物に見られる様々なガーゴイルやキマイラが、いくつか教会の雨水を吐き出しているのもそれに由来するらしい。
そして真ん中が『キリスト最後の審判』だ」
「世界が滅亡した後のあれね?」
「様々な解釈があるが、ここの『最後の審判』はあの第一層目にある天使が吹くラッパの音で死者が蘇るところから始まる。
そして第二層目では大天使、ミカエルが天秤で死者の魂の重さを量るんだ」
「もしも魂の重さが重かったら?」
「大天使ミカエルの方の天秤が重くなっているのが見えるだろう? 魂が重いとミカエルの左側、天国へとその死人は迎えられるんだ」
「じゃあ軽いと地獄なのね?」
「その通り、そうすると悪魔の待っている右側、地獄へと連行されてしまうという訳だ」
「なんだかリアルで怖いわ」
「そして一番上の層で最終審判をしているのがイエス・キリストだ。
右に大きな十字架を持った天使と、左には槍と楔を持った天使がいて、すべての人々の罪をイエス・キリストが贖ったという受難が表現され、イエスの左側には聖母マリアが、そして右側にはキリストに跪く洗礼者、聖ヨハネがいる」
「私は地獄はイヤだなあ。銀といっしょに天国がいい。今日のベッドでの時みたいに」
「でもそれは無理だな? お前は天国でも俺は地獄だから。
さあ、寒いから教会の中へ入ろう」
教会の中ではオルガニストがパイプオルガンの調整をしていた。
俺たちが硬い木の長椅子に座ると、荘厳なパイプオルガンの演奏が礼拝堂に響き渡り、司祭のミサが始まった。
胸の前で十字を切り、祈りを捧げる琴子に俺は見惚れた。
ミサが終わり、俺たちは近くのカフェで夕食を摂った。
牡蠣の旨い季節になったので、俺は生牡蠣とアルザスの白ワインを注文し、琴子は平目のムニエルにして同じワインを飲んだ。
「琴子はプロテスタントだったよな? ノートル・ダムは聖ローマカトリック教会だったが、誘ってよかったのか?」
「大丈夫だよ、パイプオルガン、初めて聴くことが出来て良かったわ。ありがとう、銀。連れて来てくれて。
ノートル・ダムで結婚式なんて挙げられたら素敵だろうなあ?」
琴子はそう言って笑うとワインを飲み、上品にムニエルを口にした。
「ノートル・ダムはフランス革命では内部は破壊、略奪され、かなり酷い状態だったらしい。
作家のビクトル・ユーゴーが小説『パリのノートル・ダム』を書いて、それにより市民運動が起こり、ノートル・ダム、すなわち「われらが貴婦人」、聖母マリア大聖堂は再建されたんだ。
大聖堂の建築には200年の歳月を要したんだ。
白人は日本人と違って急がないし、慌てない。
日本人は1年単位で物事を考えるが、彼らは100年単位で考える。
余談になるがパリの距離を示すゼロ起点は凱旋門ではなく、ここノートル・ダムになっている。
パリの本当の中心はここ、ノートル・ダムなんだよ」
「へえー、そうなんだあ。銀はなんでも知ってるんだね?
一緒にいて飽きないわ。ふふっ」
俺はこの美しく微笑む琴子を今すぐにでも抱き締めたいと思った。
おそらくこれから琴子をホテルに送って行けば、今日の昼と同じことになるだろう。
だが今夜は琴子と触れ合うことは止めようと、俺は考えていた。
食事を終えてホテルに向かうタクシーの中で、俺たちはずっと手を繋いでいた。
琴子が俺の耳元で囁いた。
「今夜は泊まっていってね?」
「ゴメン、どうやらノートル・ダムで風邪を引いたらしい。
今夜は帰るよ、お前に移しちゃ悪いから」
「移してもいいわよ。ふたりでお風邪を引けば、ずっと一緒に寝ていられるじゃない?」
「ありがとう、琴子。今夜は家に帰ってエッグ・ノッグでも飲んで早く寝るよ。
いつも俺がお前を勝手に引っ張り回しているけど、君の用事はないのかい?」
「私は大丈夫だよ。もしも明日も具合が悪かったら看病に行ってあげようか?」
「その気持ちだけいただいておくよ」
「銀のバカ! 携帯番号も教えてくれないし家にも呼んでくれないなんてヘンよ! 本当は家に奥さんとか子供までいたりして! 怪しい!」
「あはは、そうかもしれないよ? もしそうだったらどうする? 俺と別れるか?」
「泣く、泣いちゃう・・・」
「ごめん、そのうち俺の自宅にも琴子を招待するよ」
「じゃあ携帯番号教えて」
「俺、携帯持ってないんだ」
「銀の嘘つき!}
琴子は俺の鼻を摘まんで笑った。
賢い女だと俺は思った。
琴子に携帯番号を教えたら俺と連絡がつかなくなった時、その履歴が琴子を苦しめてしまうことになってしまう。携帯番号を教える訳には行かなかった。
彼女も女だ、そう考えるのは無理もない。
琴子は俺のことは殆ど何も知らないのだから。
「絶対だよ! じゃあ指切り!」
と言ったが、琴子は指切りをしなかった。
「指切りはいいや。銀を信じているから。
明日は午後に迎えに来て。部屋で待ってるから」
「じゃあ13時に迎えに行くよ」
ホテルの前に着いた。
「今日は悪いがここで失礼するよ。部屋まで送れなくてごめん。おやすみ琴子」
琴子は私の頬にキスをしてくれた。
「おやすみなさい。銀」
「おやすみ、俺の歌姫」
俺はタクシーの中からホテルに入って行く琴子の小さな後ろ姿を見送った。
部屋に戻り、照明を点けた。
朝、エアコンを点けたまま家を出たので部屋は暖かかった。
私は詩音の写真を手に取り、話し掛けた。
「彼女がここに来たいそうなんだけど、連れて来てもいいかい?」
彼女はいつもと変わらず、ただ笑っているだけだった。
俺はバーボンをラッパ飲みし、ジュリー・ロンドンの『涙の河』を掛けた。
俺はようやく孤独から解放された。
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