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第10話 満月の夜
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妻が入所する予定の『木漏れ日の里』のケアマネージャー、佐久間さんが痴呆になった妻の状態を確認するために家にやって来た。
「お名前を教えてくれますか?」
「あなたは誰ですか? 私は教頭の安田です。失礼ですよ、まずは自分からご挨拶をなさい」
「これは失礼しました。私、佐久間と申します」
「ああ、そうそう、PTA副会長の田中さんでしたわね? 私、まだ朝ご飯を食べていないのでお茶でも飲んで待っていて下さる?」
「朝ご飯はさっき食べただろう?」
「山本先生、私の給食は生徒と一緒に食べますからね? わかりましたか?」
「はい、教頭先生。ではそのように準備いたします。ですが教頭先生、本日は教育委員会の佐久間課長がお見えですがどういたしますか?」
「あらそう? こちらが佐久間課長さんですの? はじめまして、安田の家内でございます。
うーさーぎー おーいし かーのーやーまー♬」
佐久間さんは眼鏡を外し、私の顔を見て涙を拭った。
「今まで奥様のお世話をたった一人でしていらしたんですね? お疲れ様でした」
「妻ですからね? 当然ですよ」
「よく、よくがんばりましたね?」
「妻のこと、くれぐれもよろしくお願いします」
「ご安心下さい。当『木漏れ日の里』は設備も環境も整っており、親切なスタッフたちが24時間体制でケアに当たりますから」
「ケアマネージャーの佐久間さんなら私も心置きなく楽園に行くことが出来ます」
「今まで本当にお疲れ様でした。楽園は素晴らしいところのようですものね? 同僚がそこのスタッフさんと知り合いで、まるで豪華客船に乗っているみたいって言っているそうです」
「そのようですね? 豪華な食事と娯楽が充実していて、お酒もタバコも自由だそうです。厚生労働省のホームページで確認しました」
「それでは一週間後、奥様をお迎えに参ります」
「よろしくお願いします」
満月だった。
私はリビングの窓を開け放ち、家の明かりを消して辻井伸行のベートーヴェン、『月光』ソナタを掛け、妻と月光浴をしていた。
とても美しい月明かりの夜だった。
「きれいなお月様。私、あなたと結婚して本当に良かったわ」
私は夢を見ているのかと思った。妻の玲子が正気に戻っていた。
「僕の方こそ、君と結婚して本当に良かったと思っているよ。
ありがとう玲子。君には苦労をかけたね?」
「いいえ、私は凄くしあわせだったわ。あなたと結婚して子供も大きくなって。
でもね? 私、本当はあの月から来たかぐや姫なの。月の使者が今夜、私を迎えにやって来ることになっているの。だからあなたとは今夜でお別れ・・・」
すると妻の玲子は裸足のまま庭に降りて行った。
私も妻の後に従った。
「僕も君と一緒に月に行ってもいいかい?」
「あなたお仕事は? 会社を辞めるならいいわよ。一緒に行きましょうか? 私と月へ」
その時、私は衝動的に妻を月に帰してやろうと思った。
私は背後から妻の玲子の細い首を両手で夢中で絞めた。
死の尊厳は政府が決めるのではなく、自分たちが決めるものだ。
妻の体がだらりと重くなり私は手を離した。
妻が絶命したことを確認すると、私は家からナイフを取りに行き、自分の左手首と頸動脈を切って妻と手を繫いで芝生に横になった。
月が美しく輝いていた。
薄れゆく意識の中で私は妻と、2頭のペガサスが曳く馬車に乗った。
微笑む妻、玲子。
「あなた、行きましょうか? 月へ」
「そうだな? ふたりで行こう。俺たちは夫婦だから」
どこからか『Fly me to the Moon』が聴こえていた。
「お名前を教えてくれますか?」
「あなたは誰ですか? 私は教頭の安田です。失礼ですよ、まずは自分からご挨拶をなさい」
「これは失礼しました。私、佐久間と申します」
「ああ、そうそう、PTA副会長の田中さんでしたわね? 私、まだ朝ご飯を食べていないのでお茶でも飲んで待っていて下さる?」
「朝ご飯はさっき食べただろう?」
「山本先生、私の給食は生徒と一緒に食べますからね? わかりましたか?」
「はい、教頭先生。ではそのように準備いたします。ですが教頭先生、本日は教育委員会の佐久間課長がお見えですがどういたしますか?」
「あらそう? こちらが佐久間課長さんですの? はじめまして、安田の家内でございます。
うーさーぎー おーいし かーのーやーまー♬」
佐久間さんは眼鏡を外し、私の顔を見て涙を拭った。
「今まで奥様のお世話をたった一人でしていらしたんですね? お疲れ様でした」
「妻ですからね? 当然ですよ」
「よく、よくがんばりましたね?」
「妻のこと、くれぐれもよろしくお願いします」
「ご安心下さい。当『木漏れ日の里』は設備も環境も整っており、親切なスタッフたちが24時間体制でケアに当たりますから」
「ケアマネージャーの佐久間さんなら私も心置きなく楽園に行くことが出来ます」
「今まで本当にお疲れ様でした。楽園は素晴らしいところのようですものね? 同僚がそこのスタッフさんと知り合いで、まるで豪華客船に乗っているみたいって言っているそうです」
「そのようですね? 豪華な食事と娯楽が充実していて、お酒もタバコも自由だそうです。厚生労働省のホームページで確認しました」
「それでは一週間後、奥様をお迎えに参ります」
「よろしくお願いします」
満月だった。
私はリビングの窓を開け放ち、家の明かりを消して辻井伸行のベートーヴェン、『月光』ソナタを掛け、妻と月光浴をしていた。
とても美しい月明かりの夜だった。
「きれいなお月様。私、あなたと結婚して本当に良かったわ」
私は夢を見ているのかと思った。妻の玲子が正気に戻っていた。
「僕の方こそ、君と結婚して本当に良かったと思っているよ。
ありがとう玲子。君には苦労をかけたね?」
「いいえ、私は凄くしあわせだったわ。あなたと結婚して子供も大きくなって。
でもね? 私、本当はあの月から来たかぐや姫なの。月の使者が今夜、私を迎えにやって来ることになっているの。だからあなたとは今夜でお別れ・・・」
すると妻の玲子は裸足のまま庭に降りて行った。
私も妻の後に従った。
「僕も君と一緒に月に行ってもいいかい?」
「あなたお仕事は? 会社を辞めるならいいわよ。一緒に行きましょうか? 私と月へ」
その時、私は衝動的に妻を月に帰してやろうと思った。
私は背後から妻の玲子の細い首を両手で夢中で絞めた。
死の尊厳は政府が決めるのではなく、自分たちが決めるものだ。
妻の体がだらりと重くなり私は手を離した。
妻が絶命したことを確認すると、私は家からナイフを取りに行き、自分の左手首と頸動脈を切って妻と手を繫いで芝生に横になった。
月が美しく輝いていた。
薄れゆく意識の中で私は妻と、2頭のペガサスが曳く馬車に乗った。
微笑む妻、玲子。
「あなた、行きましょうか? 月へ」
「そうだな? ふたりで行こう。俺たちは夫婦だから」
どこからか『Fly me to the Moon』が聴こえていた。
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