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第一楽章

第3話 写真のないフォトスタンド

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 フランスでは死亡が確定してから、48時間以内に埋葬しなければならない法律がある。
 キリスト教圏での死に対する考えは、仏教や神道の考えとは異なる。
 カトリック教徒が6割、プロテスタントが4割。あとはイスラム教徒とユダヤ教徒が殆どの国である。
 フランス革命、その後の恐怖政治で処刑された人々は60万人とも80万人とも言われている。同じ同胞をである。
 ギロチンはギヨタン博士とルイ16世が、なるべく死刑囚に苦痛を与えずに処刑が出来るようにと考案された物で、1日に斬首された者はせいぜい70人程度だと伝えられている。
 殆どは拷問に近い状態で処刑されたらしい。
 そして皮肉なことに、ルイ16世は自分が開発を命じたギロチンで、自分と家族の命を失うことになってしまった。
 この美しいフランスには、死に対してそんなおぞましい歴史があった。
 キリスト教を信仰し、自由と平等、博愛を掲げたこの国がである。



 銀河の遺体を日本に輸送することも出来たのだが、日本には彼の身寄りがない。
 私たちは海が好きだった銀河のために、海の見える墓地に彼の亡骸を埋葬した。
 『マダム・タッソー蝋人形館』にはマリー・アントワネットのデスマスクのレプリカがあるが、私も銀河の亡骸を見た時、本気でそれも考えたが周囲から反対された。
 銀河は水死ではなく、直接の死因は急性心筋梗塞だった。
 直ぐに近くを通った漁船に引き上げられたこともあり、遺体の損傷もなく、まるで眠っているようだった。 
      
 私は彼の天然パーマの髪にハサミを入れ、遺髪を取った。
 それをロケット・ペンダントの中に収め、いつも身に着けている。
 ただ残念だったのは、彼の写真が一枚もなかった事だった。
 銀河は人に写真を撮らせなかった。
 私がスマホで彼を撮影しようとした時、彼に真顔で怒られた。

 「俺の写真を撮るのは止せ」

 今にして思えば、それは彼の私への思い遣りだったのかもしれない。
 銀河の事を、私が早く忘れられるようにと。





 母とクリスマスの準備をするためにパリの街へ出た。
 明日はクリスマス・イブ。パリの街はいつもより華やいでいた。
 私の状態が少し上向いたこともあり、母の表情は明るかった。

 「ねえ、クリスマス・プレゼントは何がいい?」
 「欲しい物はないからいいよ」
 「そう? もうそんな歳でもないか?」
 「悟おじさまに何かプレゼントするんでしょう?」
 「ちょっと寄りたいお店があるんだけど、いいかしら?」
 「いいよ」

 私はぶっきらぼうにそう答えた。
 クリスマスには銀河にスマホをプレゼントするつもりだった。
 もしも彼に何かあった時のGPSの代わりにもなるようにと。
 銀河は携帯を持ってはいないと言っていたが、彼は本当に携帯を持ってはいなかった。
 いや、持っていたはずだが、私と愛し合うようになって、彼はセーヌ川にでも携帯を捨ててしまったのかもしれない。
 猫が自分に死期が迫ると家を出て行くように、銀河もまた、そう考えていたのだろうか?
 でももし、私が銀河に携帯を持たせてさえいれば、彼をフェリーに乗せなくても済んだかもしれないと思うと、それが口惜しかった。
 たとえ銀河が不治の病を抱えていたとしても、彼の最期を看取ってあげたかった。
 


 母は宝飾店に入って行った。

 「これを下さい」

 母のお買物は早い。お洋服を選んでも靴を選んでも、ぱっぱと決めてしまう。迷いがない。

 それはハートをふたつに割った、昭和生まれの母が好みそうなペアの金のネックレスだった。
 合わせるとひとつのハートになる物だった。
 クリスマスのラッピングを待っている時の母の表情は、まるで高校生のように輝いていた。


 ツリーのセットや七面鳥、明日の食材とクリスマス・ケーキの材料などを買った。
 そして私はひとつだけ、フォトスタンドを買った。


 「パリでも作るの? クリスマス・ケーキ?」
 「もちろん! ケーキとおせちは買う物じゃないわ。愛情を込めて作る物よ」

 母はお料理もお菓子作りも上手だった。本物の職人さん以上に研究に余念がなかった。
 私の誕生日にも、バースデー・ケーキはいつも母の手作りだった。
 家で開く私の誕生日パーティでは、母が招待者たちから褒められていた。

 「院長の奥さん、このケーキはどこのパティスリーの物ですか? 凄く豪華ですね?」
 
 すると母は軽く口に手の甲を当て、微笑んでこう答える。

 「素人の真似事ですよ。うふっ」
 「これ、奥様の手作りなんですか! 海音寺院長、洋菓子店もお出しになられたらいかがです?」
 「料理とケーキは女房の趣味なんだよ。ケーキ屋なんてとてもとても。あはははは」

 製薬会社のMRたちに対して、父は上機嫌だった。
 その頃から父は外に女を作り、母をまるで家政婦のように扱うようになっていた。


 
 家に戻ると暖かかった。悟さんが暖炉に火を入れてくれていたからだ。
 アンディー・ウイリアムズの『White Christmas』が流れていた。

 「やあお帰り。混んでいただろう? 僕もさっき帰って来たところだよ」

 私と母は外套と手袋を脱ぎ、暖炉に手をかざした。

 「寒かったわあ、明日はイブだからね? どこも一杯。すぐに夕食の支度をするわね? アンディーなんて懐かしいわね?」
 「不動産屋に行ったついでに思わず買ってしまったよ。何か手伝おうか?」
 「じゃあお酒の準備とツリーを組み立てて頂戴。飾り付けは後で私と琴子がするから」
 「わかった。やっておくよ」


 ここに銀河がいれば、どれだけ楽しかったことだろう。
 私はクリスマス・カードに銀河の簡単なイラストと、「星野銀河」「詩人、森田人生」と名前を書き、買って来たフォトスタンドにそれを納めた。

 「先生の写真はないのかい?」

 悟さんに訊ねられた。

 「写真を撮られるのが嫌いな人だったから」

 すると悟さんはスケッチブックを取り出し、サラサラと鉛筆描きで銀河のポートレイトを描いてくれた。
 画家の悟さんが描いた銀河の肖像画は、今にも微笑みかけて来そうだった

 「はい、琴子ちゃんへのクリスマス・プレゼント」

 私はそのスケッチブックを抱き締め、泣いた。

 「ありがとう、ありが、とう・・・、おじ様。額に入れて大切に飾ります」

 キッチンの母も、

 「良かったわね? 琴子」
 
 私は何度も頷いた。




 食事を終え、クリスマスの飾り付けも完成した。
 最後に玄関ドアに宿り木のリースを飾った。
 ツリーの電飾が点滅し、とても綺麗だった。

 「明日のイブが楽しみね?」
 「ありがとうママ、悟おじ様」
 「明日はノートル・ダムに先生の冥福を祈りに行きましょう」
 「うん。ありがとうママ」
 「何を言っているの? 「ありがとう」だなんて。だって「銀ちゃん」は私たちの家族でしょ?」
 
 (そうだ、銀河は私たちの家族なんだ)


 「本当に一人で大丈夫なの?」
 「大丈夫。ママとおじ様はホテルでゆっくり休んで下さい。私のせいで夕べは殆ど寝ていないんだから」
 「じゃあ明日、迎えに来るよ」
 「10時頃に迎えに来るから用意していなさい」
 「うん。おやすみなさい」
 「おやすみ琴子」
 「おやすみ、琴子ちゃん」


 母と悟さんは母のホテルへと戻って行った。
 伽藍とした部屋。私は悟さんが置いていってくれた、アンディー・ウイリアムズのCDを聴いてベッドに入った。
 私は銀河と私が愛し合った痕跡の匂いを嗅いだ。

 (幽霊でもかまわない、銀河に逢いたい)

 「銀・・・」

 その夜、私は銀河と結ばれるように、ぐっすりと眠った。
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