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第10話

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 高橋さんの奥さんのお姉さん、和花のどかさんが東京から来てくれた。

 「初めまして、ひまわりハウジングの皆藤と申します。
 いつも高橋様には大変お世話になっております」
 「お世話になっているんじゃなくて、「お世話している」の間違いじゃないの? 皆藤君?
 大体の話は妹から聞いています。ごめんなさいね? 我儘な父で」

 和花さんはそう言って笑っていた。
 聡明で美しい女性だった。
 旦那さんは丸の内にオフィスを構える、テレビCMも流している企業のオーナー社長だった。


 「あの真赤なフェラーリはお姉様のおクルマですか?」
 「そうよ、ちょうどいいドライブだったわ」
 「すごいですね? フェラーリなんて。初めて見ました!」
 「ただのクルマよ。ところでどうなの? パパはまだ反対しているの?」
 「納得したみたい。皆藤君の熱意にほだされてね? ね、皆藤君?」
 「とんでもありません! 僕はただラーメンをごちそうになっただけです」
 「皆藤君がパパに気に入られたことは確かね? 一緒に『仙台屋』のラーメンを食べるなんて。
 これからもお願いね? 皆藤君、私もチョクチョク来るから、客間だけはしっかり作ってよね?」
 「かしこまりました! 素敵なお家にいたしますので、どうぞお任せ下さい!」

 すると源一郎さんが奥座敷から出て来た。

 「高速は空いていたか?」
 「うん、スイスイだったわよ。都内はごちゃごちゃだけどね?」
 「特にお前の住んでいる辺り都心だからな?」
 「これ、パパの好きな鳩サブレ」
 「ありがとう、久しぶりじゃのう」
 「ねえ、『蛇の目寿司』から出前取ろうよ、皆藤君も食べて行きなさいよ。
 美味しいんだよ、『蛇の目寿司』は」
 「いいんですか? 僕までごちそうになってしまって」
 「なあに気にすることはない。皆藤君は家族みたいなもんじゃから、遠慮はいらん」
 「珍しいわね? パパがそんなこと言うなんて。
 よっぽど気に入られたのね? 皆藤君」



 高橋家の宴が始まった。

 「ほら健一、お前も飲め」

 僕はいつの間にか下の名前で呼ばれていた。

 「駄目ですよ、僕、クルマですから」
 「だったら泊っていけばいい、布団ならいくらでもあるからな?
 会社の上司にはワシが電話してやるから安心しろ、さあ飲め」
 「そうよ皆藤君、飲もう飲もう、ほらカンパーイ!」

 僕はとても嬉しかった。勧められるままに酒を飲み、その夜、源一郎さんと床を並べた。


 「源一郎さん、今日はとっても楽しかったです。ご馳走様でした」
 「いつでも泊っていけ、酒も沢山あるからな?」
 「ありがとうございます。源一郎さん、必ずいいお家にします」
 「ああ、よろしく頼むよ」
 「はい」

 僕は源一郎さんに一日も早く、新しい家に住んでもらいたいと思った。



 源一郎さん夫妻には離れに移動してもらい、解体が始まった。
 長年慣れ住んでいた家が壊されて行く様を見て、源一郎さんご夫婦は涙を拭っていた。


 「この家には沢山の思い出があったんじゃ。ワシの爺さん婆さん、親父にお袋、そして女房や娘たちの思い出がな? いかんな? 歳を取ると涙もろくなってしまって」

 そんなご夫妻を見て、僕も一緒に泣いてしまった。



 それから地鎮祭、上棟式と、職人さんたちのお陰で工事は順調に進んでいった。

 ところが10月に入いると何度も台風の襲来を受け、工事が遅延していた。


 「今日も台風か・・・」
 
 僕は心配になり、現場に向かった。


 リビングのサッシガラスが割れ、雨水がリビングに吹き込んでいた。
 僕はすぐに割れた窓をコンパネで塞ぎ、応急処置をしてリビングに入り込んだ水を掻き出し始めた。

 すると、現場監督の磯崎がそこへやって来た。

 「馬鹿野郎! 何ですぐに俺を呼ばねえんだ! お前ひとりで何が出来るってんだ!」
 「すみません! でも、家が心配で!」

 磯崎はクルマからバケツやタオルを用意し、懸命に水を掻き出し始め、なんとか原状回復することが出来た。


 「お前びしょ濡れじゃねえか! ジャージしかねえけどこれに着替えろ。風邪をひくぞ」
 「磯崎さんは?」
 「俺は大丈夫だ、着替えの作業着を持って来ているからね?」

 私たちはまるで仲の良い兄弟のように笑った。

 そこへ源一郎さんがやって来た。

 「風呂、沸かしてあるから入れ、暖まって来い。
 シャツとパンツは新しいやつを置いてあるからそれに着替えろ」
 「ありがとうございます!」
 「すみません、ご主人」
 「ご苦労さん、大変だったな? この台風の中を。
 今日は帰るのも危険だ、ウチに泊まっていけばいい」
 「すみません、工期が遅れて」
 「しょうがねえよ、アンタらのせいじゃねえ、台風には勝てねえからな? あはははは」


 その日から磯崎さんと僕は、毎日現場に行き、工事を手伝った。


 みんなの協力のお陰で、クリスマス・イブの2日前に建物が完成した。

 「ありがとう磯崎監督、皆藤君。
 年内に間に合わせてくれて、本当にご苦労様でした」

 高橋夫妻も凄く喜んでくれた。

 「喜んでいただけてうれしいです! ウチの皆藤も頑張りました。
 コイツ、若いですけど一生懸命なんです。バカみたいに」
 「立派な家じゃな? すばらしい出来じゃ。
 ありがとう、監督、健一」

 みんな手を取り合い、大泣きだった。



 大晦日、NHKの紅白歌合戦では白組が勝ち、除夜の鐘が鳴る中、炬燵に入ったまま、源一郎さんは微笑むように天に召された。

 「パパ、もう寝ちゃったの?」
 「きっと疲れたのね? 朝から張り切っていたから」
 「笑って寝てる。うふっ」
 「でも何だかヘン! パパ、パパ!」
 「早く救急車!」


 木の香りが残る新築の家で、家族に看取られた最期だった。
 
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