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最終話

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 「皆藤、小田と随分親しいようやけど、気いつけや」
 「何のことですか?」

 田村はニヤけていた。

 「アイツ、真夏でも上着着て、暑苦しいのにネクタイまでしちょるやろ?
 なんでや思う?」
 「紳士だからじゃないですか?」
 「紳士? 極道っていつから紳士って言うようになったんや?」
 「えっ?」
 「あのオッサン、元、ヤクザやで。「般若の小田」と呼ばれてな? その世界では知らん奴はおらへんらしいわ。
 背広を脱がんのは、背中にモンモンしょっちょるからやで」

 僕は愕然とした。

 (嘘だ、あの優しくて博学な小田さんが元ヤクザ?)

 「嘘ですよそんなの! そんな人がウチの会社に入れるわけがないじゃないですか!」
 「会社には会社の事情があるんやろう? よう知らんけどな? あはははは」」



 小田さんといつもの定食屋で食事をしている時、僕は小田さんの服装を注視した。

 (本当に小田さんはヤクザだったのだろうか? 入れ墨があると田村は言っていたが・・・)


 「どうした皆藤君? 俺の服に何か付いてるか?」

 刺身定食を食べながら、小田さんは優しい眼差しで僕を見た。

 「お醤油が飛んだのかと思いましたが、僕の勘違いでした」

 僕は咄嗟にウソを吐いた。

 「そうかい? 刺身を食べる時は危険だからね?」

 (こんなにやさしい人がヤクザだなんて、あり得ない)

 僕は田村に揶揄からかわれたんだと思い、食事を続けた。



 現場回りの途中、営業車の中で小田さんが言った。

 「皆藤君、見てみたいかい? 私の背中の般若の入れ墨を?」

 皆藤は驚いて急ブレーキを踏んだ。
 春先の田園地帯には菜の花畑が広がり、他にクルマはなかった。

 すると小田さんは背広を脱いで、ネクタイを外すとクルマの外へ出た。
 小田さんはワイシャツのボタンを外してそれを脱ぐと、黒い長袖の肌着を脱いだ。

 任侠映画で見た、見事な般若だった。

 「私はね? 昔、極道だったんだ。
 そんなヤツがどうして住宅の営業をしているのか、知りたいかい?」

 僕は返答に困った。

 「私には親がいない、捨子だったんだ。
 私の夢だったんだよ、一戸建ての家に僕の家族と住むことが。
 高校を中退して、ヤクザになった。
 そしてを果たして足を洗い、大工の見習いになって建築を学んだ。
 そんな時、今の社長に拾われたんだ。
 軽蔑したかい? 極道だった私を?」
 「軽蔑なんてしていません! でも、驚きました・・・」
 「そりゃそうだよね? 極道の住宅セールスマンなんていないからね? はっはっはっつ」
 「小田さんは僕の憧れです」
 「私は3月末でこの会社を退職することにしたんだ。
 よくがんばったね?」
 「イヤですよ! もっと教えて下さいよ! 家づくりのことや人生のことも!」
 「いいかい皆藤君? この仕事はお客さんの人生を背負う仕事だ。
 東京でラーメン屋をやるつもりだから、食べにおいでよ」
 「どうして辞めちゃうんですか!」
 「そろそろ体がキツくなって来たからね? 歳には勝てないよ。あはははは
 最後に言えることは、皆藤君はいい営業マンに「なりつつある」ということだ。
 24時間、年中無休じゃなきゃいけない。でも働きっぱなしでいろという訳じゃない、パチンコをしていようが、お姉ちゃんといちゃついていようが映画を観ていようが、麻雀をしていてももちろんかまわない。
 でもお客さんから呼ばれたら、すぐにそれらを中断し、お客様の元へ駆け付けなければならない。
 僕たちの仕事はね? お医者さんと同じなんだよ。
 常にお客さんの立場で考えなきゃいけない。
 そこに住宅屋としての誇りと真実がある。
 何しろ大抵のお客さんは自分に保険まで懸けさせられて、420回もの住宅ローンを払い続けるんだからね?
 だからこそ、私たちも家づくりに真剣にならなければいけないんだ」

 僕は泣きながら、何度も何度も小田さんの話に頷いた。

 「小田さん、今までありがとうございました。
 必ず食べに行きます! 小田さんのラーメンを。ううううう」
 「お金はちゃんと取るからね? 商売だから。あはははは」

 小田さんは僕の肩をポンポンと叩いた。
 春一番が吹いていた。




 ようやく野上さんの家が完成した。

 「皆藤君、本当にありがとう。やっと私たちのマイホームが出来たのね?」

 野上さんたちの大家族は、出来上がったばかりの家を見上げ、うっとりとしていた。
 9人の大家族の家。
 子供さんたちの嬉しそうに輝く瞳、幼稚園の紀子さんは五月さんの手をしっかりと握っていた。

 「ほら、ノンちゃんのお家だよ、よかったね?」
 「うん、五月お姉ちゃん、家族のお家だね?」
 「そうよ、そしてこれからはもう一人、家族が増えるのよ。
 10人家族になるのよ」
 「? どうして?」
 「賑やかな家族になるわね? 健一!」
 「はい、お母さん!」
 「お母さんなんて私には似合わないわよ、かーちゃんでいいわよ、かーちゃんで! あはははは」
 「それじゃ・・・、かー、ちゃん・・・」

 五月は僕に寄り添った。
 僕は春からこの家族の一員になって、五月と同じ部屋で同居することになっていた。

 僕はこの時、確かにこの家が笑っているのを見た。

 「ほら五月、見てごらん、家が笑っているよ、僕たち家族の家が」
 「本当ね? お家が笑ってる!」

 僕はそっと五月の肩を抱いた。

                『住宅セールス狂詩曲』完

                  
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