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第11話 親子ごっこ
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夕暮れ、チュイルリー庭園にある移動式遊園地はパリの夏の風物詩だが、冬の時期は照明だけが点いて、閑散としていた。
遠くから手押しオルゴールの音楽が聞こえていた。
日本料理の店、『体心』はこの近くにあった。
「こんばんは」
「あら先生、お久しぶりでございます」
「女将、ご無沙汰だったね? 今日は娘を連れて来たんだ」
「こんばんは、娘のアリスです。いつも父がお世話になっています」
「あらあら、こんなに綺麗なお嬢さんがいらしたんですね? 日本からおいでですか?」
「はい、パリにいる父を監視するためにやって来ました。
大丈夫ですか? ウチの父は?」
「はい、いつもご贔屓にしていただいております。
ささ、どうぞカウンターの方へ」
「ありがとうございます」
私とアリスは親子という設定にした。
そうでもしないと説明が面倒だったからだ。
ずっとフレンチばかりだったせいか、アリスはうれしそうだった。
「大将、俺には鰆の西京焼きと熱燗を。
この子にはおすすめでどんどん握ってやってくれ」
「かしこまりました。お嬢さん、嫌いな物はありますか?」
「魚卵系は苦手ですけど、それ以外なら大丈夫です」
「かしこまりました。それでは白身魚から始めますね?
まずはヒラメの昆布〆から」
寿司飯のいい香りが食欲をそそる。
アリスはうっとりとした顔でそれを頬張った。
「凄く美味しいー! 美味しくて死んじゃいそうー!」
「たくさん食べなさい」
アリスはご満悦だった。
するとそこに中年の日本人らしき男性が私たちに近づいて来た。
「失礼ですが、小説家の一ノ瀬五郎先生ではありませんか?」
「そうですが・・・」
「私、飯島といいます。
先生の小説のファンです、サインをいただけないでしょうか?
お食事中に申し訳ありません」
すると彼はシステム手帳を広げた。
「すみません、色紙とかがございませんので、こちらにお願い出来ますでしょうか?」
「かまいませんよ」
私は「飯島さんへ」とサインをした。
「ありがとうございます、感激です。先生にパリでお会い出来るなんて」
私は万年筆を彼に返し、尋ねた。
「パリへはご旅行で?」
「はい、妻と一緒に」
「それは良かった。パリは初めてですか?」
「新婚旅行で1度だけ。三カ月前、妻が亡くなりましたので、パリへは彼女の位牌と一緒に参りました。
もう一度、パリに来るのが妻の夢でしたので」
「そうでしたか、では奥様も天国で喜んでいらっしゃるでしょうね?」
「はい、私もそう思います。
今日、先生にお会い出来たのも、家内の計らいだと思います。
お食事中、お邪魔してすみませんでした。
一生の宝物にいたします」
物腰のやわらかいその男性は、そう言って自分のテーブルに戻って行った。
テーブルの上には奥さんの位牌が置かれていた。
「ありがとう智子。一ノ瀬先生にお会いすることが出来たよ、サインまで頂戴したんだ、ほらね?」
飯島というその男は、位牌に向かって話し掛けていた。
テーブルには2人分の料理が並んでいた。
「いい旦那さんだね?」
「ああ、そうだな。
奥さんも喜んでいることだろう」
食事を終えて外に出ると、雪が降っていた。
「五郎ちゃん、とっても美味しかった。
いつもご馳走してもらっちゃってゴメンね?」
「ひとりでする食事は味気ないものだ。アリスが一緒だと飯も旨いよ。
俺の方こそ感謝しているよ、こんな爺さんと食事をしてくれて。
さっきの店、中途半端な現地人のやっている店じゃないから旨かっただろう?」
「うん、とっても美味しかった!」
遊園地の照明も消え、街灯に雪が照らされていた。
「ねえ、五郎ちゃんの家族はパリに来たことはあるの?」
「女房とは30年以上前にな。娘の優香がまだ生まれる前の話だ。
優香は来たことはない」
「優香さんにも見せてあげたいね? パリ」
パリではしゃぐ優香を私は想像した。
そして空想した。優香にパリを自慢げに案内する自分の姿を。
それが叶わぬ夢と知りながら。
アリスが私と手を繋ぎ、私たちは雪の降るパリを歩いて行った。
まるで本当の親子のように。
遠くから手押しオルゴールの音楽が聞こえていた。
日本料理の店、『体心』はこの近くにあった。
「こんばんは」
「あら先生、お久しぶりでございます」
「女将、ご無沙汰だったね? 今日は娘を連れて来たんだ」
「こんばんは、娘のアリスです。いつも父がお世話になっています」
「あらあら、こんなに綺麗なお嬢さんがいらしたんですね? 日本からおいでですか?」
「はい、パリにいる父を監視するためにやって来ました。
大丈夫ですか? ウチの父は?」
「はい、いつもご贔屓にしていただいております。
ささ、どうぞカウンターの方へ」
「ありがとうございます」
私とアリスは親子という設定にした。
そうでもしないと説明が面倒だったからだ。
ずっとフレンチばかりだったせいか、アリスはうれしそうだった。
「大将、俺には鰆の西京焼きと熱燗を。
この子にはおすすめでどんどん握ってやってくれ」
「かしこまりました。お嬢さん、嫌いな物はありますか?」
「魚卵系は苦手ですけど、それ以外なら大丈夫です」
「かしこまりました。それでは白身魚から始めますね?
まずはヒラメの昆布〆から」
寿司飯のいい香りが食欲をそそる。
アリスはうっとりとした顔でそれを頬張った。
「凄く美味しいー! 美味しくて死んじゃいそうー!」
「たくさん食べなさい」
アリスはご満悦だった。
するとそこに中年の日本人らしき男性が私たちに近づいて来た。
「失礼ですが、小説家の一ノ瀬五郎先生ではありませんか?」
「そうですが・・・」
「私、飯島といいます。
先生の小説のファンです、サインをいただけないでしょうか?
お食事中に申し訳ありません」
すると彼はシステム手帳を広げた。
「すみません、色紙とかがございませんので、こちらにお願い出来ますでしょうか?」
「かまいませんよ」
私は「飯島さんへ」とサインをした。
「ありがとうございます、感激です。先生にパリでお会い出来るなんて」
私は万年筆を彼に返し、尋ねた。
「パリへはご旅行で?」
「はい、妻と一緒に」
「それは良かった。パリは初めてですか?」
「新婚旅行で1度だけ。三カ月前、妻が亡くなりましたので、パリへは彼女の位牌と一緒に参りました。
もう一度、パリに来るのが妻の夢でしたので」
「そうでしたか、では奥様も天国で喜んでいらっしゃるでしょうね?」
「はい、私もそう思います。
今日、先生にお会い出来たのも、家内の計らいだと思います。
お食事中、お邪魔してすみませんでした。
一生の宝物にいたします」
物腰のやわらかいその男性は、そう言って自分のテーブルに戻って行った。
テーブルの上には奥さんの位牌が置かれていた。
「ありがとう智子。一ノ瀬先生にお会いすることが出来たよ、サインまで頂戴したんだ、ほらね?」
飯島というその男は、位牌に向かって話し掛けていた。
テーブルには2人分の料理が並んでいた。
「いい旦那さんだね?」
「ああ、そうだな。
奥さんも喜んでいることだろう」
食事を終えて外に出ると、雪が降っていた。
「五郎ちゃん、とっても美味しかった。
いつもご馳走してもらっちゃってゴメンね?」
「ひとりでする食事は味気ないものだ。アリスが一緒だと飯も旨いよ。
俺の方こそ感謝しているよ、こんな爺さんと食事をしてくれて。
さっきの店、中途半端な現地人のやっている店じゃないから旨かっただろう?」
「うん、とっても美味しかった!」
遊園地の照明も消え、街灯に雪が照らされていた。
「ねえ、五郎ちゃんの家族はパリに来たことはあるの?」
「女房とは30年以上前にな。娘の優香がまだ生まれる前の話だ。
優香は来たことはない」
「優香さんにも見せてあげたいね? パリ」
パリではしゃぐ優香を私は想像した。
そして空想した。優香にパリを自慢げに案内する自分の姿を。
それが叶わぬ夢と知りながら。
アリスが私と手を繋ぎ、私たちは雪の降るパリを歩いて行った。
まるで本当の親子のように。
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