それを人は愛と呼ぶ

菊池昭仁

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第5話

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 月曜日は予報通りの雨だった。
 私は映画『ひまわり』のDVDを観ながら、いつものようにワイルドターキーをロックで飲んでいた。

 ヘンリー・マンシーニの胸が締め付けられるような音楽とソフィア・ローレンの絶望、マルチェロ・マストロヤンニの苦悩に心が軋んだ。


       切ない恋にこそある美しさ


 それが救いでもあると思う。
 悦びや嬉しさはひと時の癒しだが、悲しみや切なさは人生に深みを与えてくれるスパイスだ。
 だがそれを敢えて望む者はいない。
 
 私は今の生活に満足していた。
 定食屋として好きな料理をして暮らす毎日。そして常連さんたちとの他愛無い会話。

 映画を観終わった私は遮光カーテンを開け、雨の降るグレーの空を見上げた。
 もうすぐときめきの春がやって来る。


 あっという間に久しぶりの連休も終わり、私は店を開けた。
 いつものようにお客の満足そうな食べっぷりを眺め、私は幸福だった。
 そして午前零時を過ぎた頃、千秋が男を連れて店にやって来た。

 「功作、酷いじゃないの! 勝手にお休みなんかして!」
 「ごめんごめん、この店は雨の日は定休日なんだよ」
 「だったら言ってよね! しょうがないから昨日はコンビニ弁当で我慢したんだからあ。
 とりあえずビール2本と餃子4人前」
 「かしこまりました」

 私は今日のお通しの「牛スジ煮込み」とビールを出した。
 そこに七味をどっさりと掛ける千秋。

 「相変わらず千秋は辛いのが好きだな? それで味がわかんのか?」
 「私、辛いの大好き。ピザとかパスタにタバスコ1本使っちゃうのマサトも知ってるでしょ?」
 「俺は辛いのは苦手だけどな?」
 「じゃあ結婚出来ないね? 私たち。あはははは」

 その千秋の彼氏らしい男には見覚えがあった。
 たまにアーケードで見掛けるホストだった。
 髪を金髪に染め、大きく胸元の開いたシャツからは、派手な金のネックレスが光っていた。
 ふたりはそれぞれ手酌でビールを飲んでいた。

 「この牛スジ、すげえうめえじゃん!」
 「功作はね、料理の天才なんだよ。何でも美味しいんだから! ねっ? 功作?」

 私は餃子を皿に乗せながら口元が綻んだ。
 まるで自分の娘に褒められているようでうれしかった。

 「はい餃子、お待ちどう様」
 「キタキタ! 功作の餃子って凄く美味しいんだよ。この餃子の街、宇都宮でも一番なんだから。
 私と同じNo.1! あはははは」
 
 そのホストも餃子を食べた。

 「ホントだ。こんな旨い餃子、初めて食った」
 「あと私にラーメンを作って。マサトは何がいい?」
 「この店、メニューはねえのか?」
 「あそこに掛けてある札がそうだよ」
 「じゃあ俺はカレーで」
 「ここのライスカレーを食べたら、CoCo壱にはもう行けないよ」
 「ホントかよ? 俺、CoCo壱好きだけどなあ」

 千秋が旨そうにラーメンを啜っていた。
 そしてその男もカレーを食べ始めた。

 「何だこのカレー! スゲえ美味いよ!」

 すると千秋がそこに少しオタフクソースを掛けた。

 「何すんだよ千秋」
 「いいからいいから。食べてご覧よ、もっと美味しくなるんだから」

 恐る恐る男がソースの掛かったカレーを食べると、

 「いけるなこれ? ソース、合うよ」
 「ねっ? 美味しいでしょう?」

 その時男のスマホが鳴り、男は携帯を持って店の外に出て行った。
 千秋が寂しそうに言った。

 「多分、女か奥さんだよ。あのロクデナシ男」

 千秋は少し温くなったビールを口にした。

 「ねえ功作。どう思う? あの男?」
 「どうって俺は人を見る目がねえからなあ。
 千秋が良ければそれでいいんじゃねえか?」
 「私はね、ダメだと思うんだ。
 お金にはだらしないし、浮気なんてしょっちゅう。
 競馬にパチンコ、スロットにとギャンブル狂い。
 でも別れられないんだよねえ。
 私たち、似た者同士だから・・・。
 奥さんと別れるなんてウソなのもわかってる。
 バカでしょう? 私」
 「女はバカな方が可愛いもんだぜ」

 私はタバコに火を点け、ルイボスティーを飲んだ。
 男が帰って来た。

 「悪い千秋、ダチがバイクで事故ったらしい。悪いけど3万円ほど貸してくんねえ?」

 千秋は黙って財布から3万円を出して男に渡した。

 「サンキュー千秋。愛してるぜ」

 そう言って男は店を出て行った。
 千秋は泣きながらその男の残したカレーを食べた。

 「せめて功作の作ってくれたカレー、食べてから行けばいいのに。
 ねえ功作、私にもタバコ頂戴」
 
 私は千秋の前に灰皿を置き、タバコを差し出し火を点けてやった。

 悲嘆に暮れる千秋の心に火を灯すかのように。

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