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第15話

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 「ゲームは一日1時間までってお母さん言ったわよね?」
 「うるさいなあ、いいじゃないか? 30分位おまけしてよ」
 「じゃあもうゲーム禁止にするわよ、それでもいいならやりなさい」
 「わかったよー、お母さんのケチ」

 運はふてくされるようにゲームをするのを止めた。


 運は小学5年生になっていた。
 子供の成長はつくづく早いと思う。
 私の生活の殆どが運と夫のために費やされていたが、それはイヤではなかった。
 私はしあわせだった。
 愛する家族に尽くす喜び。それは妻であり母であるがゆえの悦びだ。
 だが運が大きくなって行くにつれ、ある不安が瑠璃子に湧き始めていた。
 それは運がどんどん直人に似て来ることだった。

 ゲームのことを叱られて反抗する息子の態度は、穏やかな夫のそれではなく、我儘な直人の目だった。
 おそらく夫の健介もそれには気付いているはずだった。
 それなのに夫は嫌味も言わず、運に父親として接してくれている。



 「今度の金曜日はキャンプに行こうか?」
 「うん、行きたい!」

 運が小学生になってからは毎年、山桜を楽しみながら家族でキャンプに出掛けた。
 夫はアウトドアには無縁な人だったが、運が生まれてからは見よう見まねでそれを始めた。
 そして今ではすっかりそれが板に付いていた。

 テントを張ったり火を起こしたりと、運と私に大自然を満喫させてやりたいと思ったようだ。



 私は運にはサッカーや野球ではなく、ピアノを習わせてあげていた。

 「ねえ? 運にピアノを習わせてあげたいんだけど、実家から私が使っていたピアノを運んで来てもいいかしら?」
 「いいんじゃないか? 音楽はいいよ、音楽は。
 男の子でピアノが弾けるなんていいね?
 僕もピアノを弾きたかったんだけど、親には承諾してもらえなかったんだ」
 「あなたも弾いたら? 私が教えてあげるから」
 「お願いしようかな?
 でももう歳だしなあ」
 「大丈夫よ、弾きたい曲はあるの?」
 「ベートーベンの『月光ソナタ』とか弾けたらいいね?」
 「がんばりましょうよ、家族みんなで」


 そんな毎日が楽しかった。
 夫が本当の父親ではないことを運が知ることはないだろう。
 だがそれは、絶対にないと言い切れるのだろうか?

 瑠璃子の不安は時折頭をもたげていた。




 キャンプにやって来た。美しい自然の中で釣りをしたり、星を眺めたりすることで、運は大喜びだった。
 小さな小川で釣りをしながら、BBQを楽しんだりした。
 料理は私の担当だった。
 月に一度は自宅のウッドデッキでBBQをしていたので、かなりレパートリーも増えていた。

 今日のキャンプご飯はパエリアと鳥のレバーのアヒージョにした。
 そして運にはお気に入りのソーセージと、レインには豚の赤身を焼いてあげた。
 私と健介はスパークリングワインを飲んでいた。


 「運、ソーセージもいいけど、ママのパエリアも旨いぞ」
 「うん、ママのお料理はいつも美味しいからね?
 なあ、レイン?」

 レインは運をチラリと見て、また肉を美味そうに食べ始めた。

 「ありがとう、運。
 お魚、なかなか釣れないわね?」
 「お母さんもやってごらんよ、そう簡単には釣れないんだから。ねえ、お父さん?」
 「釣りはね、釣れなくてもいいんだよ。
 釣れるのを待っているのが楽しいんだから」
 「でもボク、お魚が釣れないとイヤだなー。
 だってつまんないもん」
 「大人になればわかるよ。
 釣りはこれくらいにして弓矢を作るか?」
 「うん、やりたいやりたい!」
 「よかったわね? 運」
 「お父さん、早く早く!」
 「じゃあ、あの林から竹を取って来よう」
 「はーい!」
 「気を付けて行くのよ」


 瑠璃子はふたりの後ろ姿を見詰めながら、このしあわせがずっと続けばいいと祈った。
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